日本企業のマニュアル 加賀屋 2回目

レストランチェック

 加賀屋が「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で長年日本一を続けている理由は、

 女性が輝く2つの仕掛け~搬送ロボと保育園

https://bizgate.nikkei.com/article/DGXMZO3113869030052018000000

をお読みいただけたら、裏方の巨大な搬送システムや仲居さんへの保育園付き量の整備などのハードシステムへの投資が大事だとお判りいただけたと思います。

でもハード以外にも七尾の加賀屋のような大型旅館を運営し、サービスでも高い評価を継続して得るには、きちんとしたマニュアルや仕組みが必要です。平成10年2月にはISO9001(国際標準化機構)国内の旅館・ホテルで初めて認証を受けています。

 ISO9001は文書による明確な品質管理であり、各部署の仕事内容と責任、作業マニュアルなどを明記して、品質の継続的な確保を目指すものです。

旅館の場合部門は、経営企画課、人事課、仕入用度課、施設課、調理課、用度課、物販課、料飲課、フロント課、予約課、婚礼課、などに分かれます。そして各課の職務権限、業務分掌、作業マニュアルを明確にして、担当者が変わっても品質を継続して確保することです。その改定記録など、保管記録も重要です。

「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で長年日本一を続けているだけあって、お客様の送迎、客室サービス、クレーム処理などのマニュアルは詳細で素晴らしいのです。裏方の経営企画課、人事課、仕入用度課、施設課、用度課、物販課、料飲課、フロント課、予約課、婚礼課、等のマニュアル化も完ぺきでした。

しかし一番難しかったのが調理課のマニュアル化で課題として指摘されていました。日本料理は修行先によって大きく異なり、魚の下ろし方、出汁のひき方(作り方)も人によって大きく異なります。マニュアル化もされていないのが当たり前です。

料理学校で学んでいても調理場では最初は鍋洗いなどの下積みからです。料理人として認められるまで何年かかるかわかりません。もちろん加賀屋はこの調理を合理化しようとしていました。

その一つが、あえの風という近隣に開いた旅館です。本体の加賀屋は高級旅館でサービスは素晴らしいですが、客室料金は高く、年配富裕層客向けです。若い客層も取ろうと作ったのが、あえの風です。料金をリーズナブルにするため、料理の部屋出しをやめ客に食事処に来てもらう料亭方式としました。

演出として、有名歌劇団に来てもらい、踊りや歌などのショー・レストラというエンターテイメントを導入しました。料理は一定の価格ながら、一部の料理を選択制にして、魅力を出したのです。

 部屋出しをやめてコストダウンを図るだけでなく、調理工程も改善を目指しました。旅館の忙しいのは週末や、盆暮れ、正月、ゴールデンウイーク、等で、平日は暇という、忙しい時と暇な時の差が大きいのです。

その対策として、スチームコンベクションオーブンとブラストチラーによるクックチルを導入し、暇な日に調理し、すぐ冷却して細菌の発生を抑えて保存し、忙しい日に最終加熱して提供します。空冷のクックチルであれば5日は保存できます。スチコンとブラストチラーによるクックチルは経験のない調理人には扱いが難しいし、レシピーがわかりません。

そこで調理レシピーを大阪の辻調理学校に作成依頼をし、マニュアル化をしました。しかし本体の加賀屋は旧態依然とした調理システムであり、ISOのマニュアル化という点で空白地帯でした。

当時社長であった小田禎彦氏は立教大学の大先輩であり、ある時に最近料理がおいしくない。ちょっと見てと相談を受けました。小田禎彦氏は立教大学時代に野球部に所属し(長嶋茂雄氏の4年後輩)当時の厳しい練習を生き抜いた人であり、自分にも他人にも、経営にも厳しい方です。小田禎彦氏が今の加賀屋を築き上げたといってよいでしょう。

小田禎彦氏 説明

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E7%A6%8E%E5%BD%A6

 ファスト・フード出身の私にそんな依頼があったのには伏線があります。実は私は大型旅館の厨房設計をしたことがあるのです。山形県の上ノ山温泉にある、老舗の古窯という旅館です。

ちょうど30年ほど前に新宿に東京ガスが、都庁並びにあったガスタンク跡に高層ビル・パークタワーを都庁を設計した丹下健三設計で建設しました。上層階に日本初の高級ホテル・パークハイアットを誘致しました。パークハイアットの目玉として、最上階に超繁盛レストランのニューヨークグリルを設けました。また、ロビー階下の40階に日本料理梢を開いたのです。

普通ホテルの日本料理は、懐石料理などのかっちりした料理を提供するのですが、梢の料理長に山形出身の大江健一郎氏を迎えました。大江健一郎氏は古窯が銀座で経営する銀座古窯という和食店の料理長だったのです。飾らない素朴な山形の郷土料理などを、京都、美濃を中心に全国各地から厳選した、柔らかい器に盛り付ける斬新な料理とデザートで人気でした。

大江健一郎氏 説明

https://www.tv-asahi.co.jp/gohan-japan/chef/?id=0027

古窯 説明

https://www.koyo-gr.com/company/

 そんないきさつから、当時の古窯の社長佐藤信幸氏(現会長)が開業時にパークハイアットを訪問し、梢だけでなくニューヨークグリルを訪れ、ニューヨークグリルの素晴らしいオープンキッチンに感銘し、私に旅館のオープンキッチンを作ってよ、と注文を受けたのです。

古窯も加賀屋に負けじと「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選で全国総合第2位」を獲得したことがあります。古窯は加賀屋と異なり、食事処制度をいち早く取り入れていました。

古窯は、山奥の山形にいながら、野菜を多用した素朴な山形の郷土料理だけでなく、大間の本マグロや米沢牛の最高ランク肉等の日本中の旨い食材を取り寄せた豪華な料理が特徴だったのです。

 旅館は宿泊だけでなく、結婚式や地元財界の会合などで使われ、大型の宴会場が必要なのです。そこでその大型宴会場にニューヨークグリルなどの素晴らしいオープンキッチンを作ってくれという注文だった。

 私は厨房の設計家ではないのです。しかし、マクドナルド時代、見よう見まねで厨房設計にたずさわってきた。日本と欧米の厨房設計は大きく異なります。日本では大手厨房メーカーが、厨房機器全てを作り、自社のスタッフに設計させ、備え付けます。設計は自社で調理経験のない調理機器の知識しかない社員が行うのです。よって使い勝手の悪い厨房となりがちです。

欧米では調理経験のある厨房設計家(キッチンコンサルタント)が設計し、最適のレイアウトと調理機器を選定します。調理機器はフライヤー、オーブン、グリドル、など得意な分野に専念するメーカーで、キッチンエクイップメントサプライヤーと呼ばれます。そして、厨房機器を設置する厨房設置業者(ファブリケーター)を選び、厨房を完成させます。分業制です。

マクドナルドの場合自社で設計しますが、それが使いやすいかを検証する運営技術課(オペレーションデベロップメント)があります。私はSV時代に厨房で苦労した経験から、最終的に、運営統轄本部運営統括部長(運営技術課含む)、兼、海外運営部長,兼、機器開発部長に就任していました。その経験は厨房設計家(キッチンコンサルタント)として設計にたずさわっていたことになるのです。

王の調理機器とのかかわり

その経験をもとに旅館のオープンキッチン設計を開始しました。まず、最初に現在の厨房の観察と問題点の分析。調理人からのヒヤリング。経営者と調理人が求める厨房増の把握などです。厨房の観察は1日では終わりません。年間を通しての日曜祭日、盆暮れ、ゴールデンウイーク、宴会、結婚式、催事、等の繁忙期全部を見なければなりません。ということで厨房設計には1年くらい必要でした。

古窯のオープンキッチン設計談

王の経験談

旅館ホテルの厨房

https://www.food104.com/food104/tag/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E6%9B%B8%E5%BA%97%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E6%97%85%E9%A4%A8/

という私の経験を知った加賀屋社長の小田禎彦氏に任命されたのです。

「最近料理がおいしくない。ちょっと見て」というあいまいな注文ではよくその内容がわかりませんでした。そこで遠い能登半島七尾温泉まで、日本アルプスの険しい山道を縫って通い始めました。

次回は加賀屋の厨房の具体的な問題点と改善のマニュアル化のご説明をしましょう。

続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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