外食産業基礎コース 第3回目 人材教育その2

レストランチェック

 前回アルバイトを管理職のスイングマネージャーへトレーニングする話をしたがその補足をしよう。アルバイトを管理職にして金銭管理まで任せるのはモラル上危険だという考え方があるからだ。私の経験では社員より優秀なアルバイトのモラルのほうが高いということだ。

 私の経験では『アルバイトは所属する店を大事にする。社員は会社を大事にする。幹部社員は特定の上司を大事にする。(派閥)』のだ。

「アルバイトは所属する店を大事にする。」例をお話ししよう。

私がマクドナルド新宿二幸の店長時代に5名のスイングマネージャーを育てた時の課題はクレンリネス・清潔さだった。土日の売り上げが平日の5倍になる超繁盛店だった。その忙しさから汚れがたまりがちだった。5名のスイングマネージャー候補に店舗をきれいにしろと命じても、「こんなに売れるのだから無理だ」と綺麗にしなかった。

そこで他のマクドナルド店舗に彼らを連れて行って勉強させることにした。当時学芸大学の商店街の店舗を選んだ。売り上げが低いもので店舗の清潔さを売り物にしていたからだ。

店長は私とほとんど同じ頃に入社し後にSV昇進も同時期で、一緒に米国のハンバーガー大学に学びに行った、五十嵐修二氏だ。売り上げが低いので店舗を徹底的に清潔にすることにしたのだ。店舗のタイル張りの床は飲み物をこぼされたりして汚れるので、モップ掛けをしてきれいにする。しかしモップは濯いでも汚れ黒く変色し、嫌などぶのような匂いがする。顧客が食べているそばでモップ掛けをすると食欲がなくなり気分を害する。

そこで五十嵐氏はモップ掛け毎に、きれいに洗うだけでなく、漂白剤でモップを真っ白にするようにしていた。店舗のアルバイトは店舗のきれいさにプライドを持っていた。

 そのきれいな店に5名を連れていき見学させた。そして見学の後に学芸大学店のアルバイトとディスカッションさせた。学芸大学のアルバイトは5名の新宿二幸店のアルバイトに「あんたの新宿二幸店は売り上げが高いがクレンリネスがひどい」とぼろくそに言われた。

その帰りの電車の中で5名のアルバイトは怒り狂っていた。その怒りで前回紹介したように店舗をピカピカに磨き上げ始めたのだ。私がいくら言っても効かなかったのに同じアルバイトに思いきり馬鹿にされ、自尊心を気付つけられ奮起したのだった。

 もう一つアルバイトのモラルの経験がある。マクドナルドの店長と言っても色々あり、問題の店長もいる。その店長の問題を内部告発するのがアルバイトだ。

当時関西の統括や運営部長をしていた私の担当店舗に広島本通り店という繁盛店があった。広島一の繁華街にあるだけでなく、近くにある米国の岩国基地の米国軍人が訪れるので大繁盛店だった。1・2階に150席以上もある大型店で、汚れがひどくいくら言っても改善できなかった。

 ある時米国マクドナルド創業者の故・レイ・クロック氏の未亡人が自家用ジェットで訪日し、広島を訪れることになった。必ずマクドナルド広島本通り店を訪問するので、店舗の清掃と調理機器の調整を、筆者自ら行うことになった。もし未亡人に不快な思いをさせたら、私の首はもちろん日本マクドナルド創業者の故・藤田田氏も大変なことになる。

徹夜で掃除をしたら汚い事、あきれるくらいだった。調理機器の調整では、ハンバーガー類でなく、甘党の故・レイ・クロック氏が大好きだった、ホット・ファッジ・サンデー(温かいチョコレートトッピング)に的を絞った。サンデーやホット・ファッジは案外調整が難しく苦労した。その苦労の甲斐があり、店舗を訪問した未亡人は案の定サンデーを購入しほっとした。

 その後私は地区運営部長に昇進し、そのエリアを離れた。当時の広島本通りの店長はその後、新店舗のドライブスルー姫路中地店に移動した。その店長は人懐こく店舗を訪問するとニコニコと応対する。また、車に詳しく、私が車の部品を探していると、安い店舗を紹介もしてくれた。

 ある時、部下のSVのトレーニングで、私の担当店舗でもなく部下のSVの担当でもない、姫路中地店を訪問し、店鋪のQSCをチェックさせた。部下のSVの担当店舗を訪問すると事前に店舗に伝え店舗を綺麗にして本当の姿がわからないからだ。

姫路中地店は私が統括SV時代に開店した新店舗だった。しかし、開店まもないのに汚れが目立ち、商品の品質も悪かった。

 その後の評価会議で、その店長の評価が良かったので、私は異議を唱えたが、担当者の統括SVがもう直ぐSVに昇格させると高評価であった。担当者が責任を持つと言い張るので、そのままになった。その数ヶ月後にその店長は懲戒解雇となった。店舗のアルバイトの内部告発で店長の問題が明らかになったのだ。

その店長は、担当SVや統括SVの予定を入手し、上司が来る時だけ店舗でニコニコとで迎えるが、来ないときにはパチンコ屋で遊んでいるのだった。どうりで前任の店舗や新店舗があっという間に汚くなるわけだ。店舗のアルバイトは店舗に愛着があり、新任の店長により店舗が汚くなったのに我慢出来ず、内部告発したのだった。

 また2007年11月に早稲田店他3店舗のフランチャイジーがサラダの賞味期限を改ざんして販売していたのを他店のヘルプアルバイトが告発したこともある。

https://www.j-cast.com/2007/11/27013831.html?p=all

http://www.asahi.com/special/071031/TKY200711270213.html

 このように店舗のアルバイトは店舗に愛着をもって、モラルが高く、上司の店長をよく観察しているのだ。

 店長がアルバイトをきちんとトレーニングし、アルバイトの信用を獲得して、アルバイトが店舗を愛していれば、アルバイトは金銭盗難などしない。

私の経験では、モラルの低いアルバイトがレジの金をくすねるのは数千円程度であった。社員のほうが質が悪い。数万円程度の金を横領されたことがある。しかし私の在籍していたころはほとんど横領事件はなかった。

しかし最近のマクドナルドの社員のモラルは低く社員の横領金額は以下のように膨大になっている。店長で5,500万円、本社社員で7億円にもなる。詳細は以下のサイトをご覧ください。

最近の店長横領事件

元マクドナルド店長、売上金900万円横領容疑で逮捕 JR芦屋店で勤務、被害総額は5,500万円か 2020年

https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber2/202211/0015843842.shtml
https://www.jprime.jp/articles/-/26063?display=b

最近の本部社員の横領事件

マクドナルド社員3千万円横領容疑 口座の7億円消える

2019年10月25日 12時08分

https://www.asahi.com/articles/ASMBT3SHFMBTUTIL00J.html

前回アルバイトを教育してスイングマネージャーに教育する経験をお話しした。同じ経験を米国研修で行った。

 1980年当時の日本マクドナルドで英語を自由に扱って、米国のマクドナルド・コーポレーションと交渉できるのは、創業者の故・藤田田氏と故・ジョン朝原氏のほか数名しかいなかった。

当初はそれで問題なかったが、日本マクドナルドの企業規模が大きくなるとそうはいかなくなった。通常の会社であれば英語ができる人材を外部から採用すればよいのだが、米国サイドも故・藤田田氏も単なる英語使いを欲しなかった。マクドナルドを理解し、英語がわかる人材を要求したのであった。そのためには社員を短期旅行でなく長期に米国に派遣する必要がある。

 普段は不仲で意見の異なる故・藤田田氏と故・ジョン朝原氏が珍しく意見一致したのが、社員の長期米国研修のやり方であった。それは米国マクドナルドで仕事をしながら、英語、米国文化、米国マクドナルドビジネスを学ぶという現実的なやり方であった。

当時ファミリーレストランのロイヤルでは社員育成のために社員を米国の大学に留学させていた。しかし、故・藤田田氏と故・ジョン朝原氏のとった研修は全く違った。大学への留学は話題にも上らなかった。見るだけの勉強より、実際に働くほうが身につくという超現実的な考え方であった。

 働きながら学ぶには2通りがある。一番簡単なのは米国本社に派遣するというものであったが、故・藤田田はちょっと難しいもう一つのやり方を選んだ。

それは米国の1店舗を日本マクドナルドが購入し、米国マクドナルド・コーポレーションの1フランチャイジーとして運営するという実利を伴うものであった。米国の現地は反発したが故・藤田田が強く主張し、実力会長故・フレッド・ターナーが承認し、故・ジョン朝原氏も賛同した。

 1980年初頭に実現し、サンフランシスコ郊外のシリコンバレーの中心・サンタクララ市に店舗を構えた。現地法人のカリフォルニア・ファミリー・レストランという会社であった。店舗を運営する社員を統括スーパーバイザー、スーパーバイザーから3名ほどを選抜して2年間程滞在させるという形態であった。

 故・ジョン朝原氏は最初はあまり乗り気ではなかったが、フランチャイズ化が遅い日本がフランチャイズ化に乗り出せる一歩になるかもしれないと積極的に関与するようになった。カリフォルニアは朝原氏の出身の地区であり、地区のマック関係者をよく知っていたからでもある。

 筆者も統括スーパーバイザー時代に2代目の現地責任者として派遣された。朝原氏は筆者に英語を勉強したほうが良いと常に言っていた。逆らうと怖いのでいつも「はいはい」と調子よく返事をしているだけであった。

ある時に真剣な顔で本当に勉強する気があるかと聞いてきた。筆者はいつもの軽い考えで「はい」と言ったら、その2週間後にカリフォルニアに放り出されたのであった。

 のちに。カナダトロントの店舗も加わり、2店舗体制となった(トロントは市街地で不採算店であり、筆者が全国統括運営部長兼海外運営部長兼機器開発部長時代に、実力者元CEO故・フレッド・ターナー氏に直談判し、1990年初頭にシカゴ本社近くの郊外ネイパービルに移転して、ドライブスルー店舗を開業した)。

 上記の店舗での研修が軌道に乗ると、店舗研修の適性を判断し、シカゴにある米国本社での研修や、異なる地域のリージョンでの長期派遣研修をするようになった。

筆者は、店舗運営、調理機器などの分野を進んだが、人により、さらに上の地区本部長の勉強や(東海岸などの地区で数年勤務)、ハンバーガー大学での勉強、フランチャイズの管理業務、法務の業務、品質管理の業務、情報機器(POS)などの業務、店舗開発業務、などを学ばせるようになった。

 2店舗の責任者や米国本社での研修者になった人は大変優秀で、後に日本KFCの役員や米国ディズニーの東南アジアの責任者になった中澤一雄氏、ユニクロ役員(副社長や監査役)の田中明氏、トイザらスの社長になった田崎学氏、関西有力フランチャイジーの佐藤明氏、横浜地区有力フランチャイジーの李鋭敏氏他たくさんいる。

1981年(昭和56年)11月・私は米国店舗の統括責任者として渡米

米国サンタクララ店での経験

 2代目の駐在責任者になり、3名の日本人駐在員と、現地米国人3名で運営していた。責任者が変わったためか、現地米国人1人が辞め2名となった。

残った両名とも高校卒であった。1名はゲイであったが、頭が良かった。もう1人はユダヤ人であった。通常、ユダヤ人は、会計士、弁護士、医師、などの知的な仕事をするので彼に期待したが、彼の英語のボキャブラリーは私より少ないのだった。

でこの2名の米国人社員は英語のできない私を馬鹿にしてなかなかいうことを聞かない。ゲイの頭の良い社員は、日本人が駐在責任者を務めるのは差別だと言いだす。そこで彼を解雇し、ユダヤ人社員1名とした。ユダヤ人社員は無断で店舗の電話で田舎にしばしば電話していた。そこでこれは業務上横領だと言ったら、顔を青くしたり赤くしたり信号機のように動揺した。それを機会に私には従順に従うこととなった。

 しかし、米国人社員1名では店舗が回らない。そこでアルバイトをトレーニングしてスイングマネージャーにすることにして人選を始め、3名の大学生アルバイトに白羽の矢を立てた。

なぜ大学生かというと、高校生と大学生では頭が全く違うからだった。日本人の場合、大学生も高校生も学力は大差ない。しかし米国の大学生と高校生では学力が全く違う。米国マクドナルド本社や地区本部からはよく手紙が来る。米国人の会話は易しいがビジネスレターは難しく英語に不慣れな私にはわからない。

そこで社員のユダヤ人に見せてもわからないという。困って大学生のアルバイトに渡すと、すらすらと読み、私に丁寧に説明してくれる。そこで3名の大学生をピックアップした訳だ。

日本では私がミーティングでモラルを高めたが米国で拙い英語しかできなくては無理だ。そこで地区リージョンのトレーニング部のマネージャー基礎コースや、シカゴのハンバーガー大学の店長コースを受けさせた。時間とコストを投入してトレーニングするのでモラルも高まった。

3名のうち1人は中国人留学生で卒業後帰国したが、米国人の2名は米国法人に入社し、そのうちの一人は日本マクドナルドに入社した。

 また、日本でやったように調理機器の修理やメンテナンスも高校生アルバイトにさせることにした。米国の高校生で機械好きは凄い。家にはガレージがあり、車の複雑な自動変速機を自分で下ろして分解清掃できるのだ。

そこで彼にメンテナンスをやらせたらすごかった。フライヤーは溶接部分から油漏れが発生するが、そのフライヤーを分解して、地元の溶接屋に持ち込み溶接し、再度組立する。屋上にあるダクトモーターも自分で交換するほどで、業者に修理依頼することはほとんどなくなり、大幅な修理代の削減に成功した

 大学生のスイングマネージャーは凄く優秀だったが、モラルの低い高校生スイングマネージャーの悪さはひどかった。近所の競合のファストフード店に忍び込み、店の備品を悪戯で盗み出したのだ。彼は母親が日本人で父親が牧師で信用していたのだが。父親に電話して文句言ったら、子供を徹底してかばうのだった。

まだマニュアルのないSV時代の新入社員教育

 私がSVになった時に新入社員4名の教育をすることになった。その頃のマクドナルドの課題はサービスだった。店舗数はまだ60店舗くらいの中小チェーンに過ぎず、売上の低い店も多かった。

今ではマクドナルドのようなセルフサービスは当たり前だが当時はまだ顧客が慣れておらず、マクドナルドのサービスに不満を持つことが多かった。と言っても旅館や高級料理屋のようなバカ丁寧なサービスは出来ない。

しかし、顧客への細かい気配りは必要だった。セルフサービスだが、ベビーカーを押していたり、体の不自由な顧客には買った料理を客席に運んであげるなどの気配りが必要だ。

 そこで参考になる気配りの良い店を選んで見学することにした。それが、ビアホールの神保町のランチョンと目黒のトンカツ屋とんきだ。両店ともに個人経営の店で経営者が店舗で陣頭指揮を取っている。共通しているのは丁寧なサービスでは無いが、顧客に注意を払い的確なサービスをすることだ。詳細については以下の私の記事を見ていただきたい

ランチョン 記事

とんき 記事

その他

マクドナルドの教育システム

アルバイトの短時間トレーニング方法

続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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