春分の日を過ぎ、本格的な春。イランなどペルシャ文化圏の人々にとってはお正月とのこと。イタリアでは3月の終わりから4月の初めにかけては毎年復活祭の時期なので学校も1週間ほどお休みになります。太陽の動きと季節を元に様々な文化で似たようなお祭りが行われるのですね。
3年ぶりに行われた「人種差別をなくすためのレシピ」というイベントに今回も参加しました。今回が8回目、毎年この時期に行われていますが、コロナ禍で中止になっていました。
このイベントは参加者が自分の出身地の料理を持って集まり、みんなで食べて、踊ってというもの。移民融和活動をしている市民団体が主催しています。
今年は30カ国ほどの国の料理が並びました。アルバニア、モンテネグロ、グルジア、など東欧諸国とナイジェリア、モロッコ、カメルーンなどのアフリカ諸国が半分づつぐらい。アジアはパキスタンとインド。そして私が日本代表です。私が持ち寄ったのは、これだったら誰でも食べられる超無難な一品、ツナマヨ巻き寿司です。嬉しいことに一瞬でなくなりました。
東アジア、東南アジアの国々の参加者には今まで出会ったことがありません。住んでいない可能性もあります。
この地域にも雑貨や衣料品の中華系のお店は多く中国人と思われる人々の存在感はあるのですが、主催者によると誘っても興味を示さないとのこと。ちょっと残念ですが、彼らはイタリア全土に独自のネットワークを持っているようにも思われ、融和する必要も感じてないのかも知れません。
大都会だったら、もっと色々な国の人々が住んでいるに違いないのですが、人口数万人ほどのプーリアの田舎町でよく30カ国も集まるものだなと思うほどです。参加者は地元のプーリア人と他の土地から移り住んで来た人と半分づつぐらい。
今年も100名ほど集まりました。移り住んで来たと言っても難民として支援施設に住んでいる人達、その多くはアフリカ系、中東系の若者、は一定期間過ぎると職のある地域へ移って行きます。都会であったり、規模の大きな農業地域であったり様々です。
東欧系の女性達の多くは住み込み家政婦として高齢者の面倒を見ている人々で、彼女らもまた雇い主が亡くなれば次の職を求めて移って行くことになります。
家族揃ってこの地に定住している移民は中華系以外では少なく、地元の人と結婚している人もそう多くはありません。
先週はお隣のカラブリア州の海沿いで難民船が難破し多くの死者が出ました。今に始まった話ではないのですが、この現実をどう受け止めたら良いのか、複雑な気持ちです。移民と一言では括れないほど、背負っている問題は様々です。
「心を開いてわかり合おう」などとは簡単には言えないというのが本音です。
テーブルにずらっと並んだ各国の料理はどれも美味しく、食べきれないほど集まりました。いちいち詳しい説明などせずそれほど改まることもなく、みんなで食べて、お腹いっぱいになったら音楽に合わせて踊る。それでいいのでは、とも思うのです。