北九州小倉で大きな火事が続きました。
北九州の台所として親しまれてきた旦過市場の大半が焼けたのが2022年8月。先日の記事で、単館系の映画館である小倉昭和館が復活を遂げました。
ところが年明け1月3日に、小倉駅に近い、魚町商店街の中の鳥町食堂街から火が出て、ほぼ焼けてしまいました。旦過市場も魚町銀天街も戦後の闇市から立上がり、小さな店が寄り添って営業を続けてきました。木造の建物が多く、火が出ると一気に広がってしまったのです。また、混乱期からの拡張で土地の権利関係が複雑で、今後の再建復興はかなりの障害があるような話が聞こえてきます。
鳥町食堂街といえば、小倉焼うどんの「だるま堂」です。ここも3代目が開いた店が消火活動の影響で営業再開は難しいという状況のようです。
「焼きうどん」といえば、小倉が発祥だという説があります。小倉うどん研究所の研究によると、戦後の物資が少ない時期に、焼きそばを作るにも麺が無かったので、乾麺のうどんをもどして作ったことから始まったとされています。焼うどんは人気となり、現在でも焼うどんを出す店が20店舗を超えています。かの「資さんうどん」のメニューにも含まれています。(乾麺ではなさそうですが)
B級グルメ、ご当地グルメが全国でブームになった時に、北九州で手を上げたのが、「八幡ぎょうざ」と「小倉焼きうどん」でした。B1グランプリのイベントにも必ず参戦していました。
創業店で永く続けて来られたのが2代目の坂田チヨノさんでした。残念ながら高齢のため2019年に閉店されました。
もう10年以上前に、それこそB級グルメで「小倉焼うどん」が名前を上げ始めたころ、発祥の店があるということで食べに行った記憶があります。それが鳥町食堂街だったのだなと思いだしているのですが、出かけていった当時は、それこそ古いアーケードの食堂街の小さな店で、おばちゃんがショボショボとやっている感じ。焼うどん創業の店というのを押し出す訳でもなく、茹でて時間の経った麺を、パンチのそれほどないソース味で出された覚えがあります。まあB級グルメってそんな感じがありますよね。今では一度でも行っておいて良かったなと思ったりします。
とはいえ、「小倉焼うどん」を愛してやまず、世の中に広めていこうという研究会が発足し、各地のイベントへ出店。2代目の店主の信頼を得て、ソースの配合や、焼き方を引き継ぐことになりました。3代目として開業したのですが、今回の被災となった訳です。
新しい店内に額装して飾られていた、2代目が使っていた「こてと返し」は火事後、現場に入れるようになった際に何とか店から見つけることが出来、テレビの取材では、復活できるように頑張るというコメントをされていました。
その小倉発祥焼うどんの定義がHPにありました。
1、乾麺を使用するべし
1、キャベツは若松産であるべし
1、豚肉はバラ肉であるべし
1、玉葱はその甘さを引き出すべし
1、秘伝のソースはよく研究するべし
1、削り節はアジ・サバ節を使用するべし
1、小倉地酒で香り豊かに仕上げるべし
あの緩い感じの焼うどんが思い出されます。なんとか復活して欲しいです。
小倉焼きうどん研究所
北九州市『鳥町食道街』大規模火災 営業再開のめどが立たないと悲痛な声募金活動も