Burger King のマニュアル 第3回

レストランチェック

 第1回と2回でバーガーキングのシステムのすばらしさと米国人に評価される味の秘密を述べました。それなのに全世界でマクドナルドの半分、日本ではマクドナルドの1%以下の規模にすぎない理由を見ていきましょう。

 カリフォルニア州サンバーナーディーノにあるマクドナルド兄弟のオリジナル店舗の訪問後に、創業者兼オーナー(キース・J・クレイマーと彼の妻の叔父マシュー・バーンズ)が「インスタマシン」(Insta-machines)と呼ばれる二つの機械の権利を買って、最初の店を開きました。

彼らは、購入した機械のうちの1台、インスタブロイラー(Insta-Broiler)と呼ばれるオーブンを使って調理していました。この戦略は非常な成功を収め、その後、すべてのフランチャイズがこの機器を使用するように義務づけられたのです。これがのちのNIECO社のブロイラーにつながるのです。

https://nieco.com/

 マクドナルドのレイ・クロックのようにバーガーキングを創業者から買い取って、企業展開したジム・マクラモアーJAMES W. McLAMORE の自伝で、ジェームズ・マクラモアはコーネル大学のレストラン学科を出て、マクドナルド兄弟のLAの店舗を見て感銘し、同じくマクドナルド兄弟の店を見て、インスタバーガーキングという店をフロリダに開いたキース・J・クレイマーとマシュー・バーンズのフランチャイジーになり、フロリダに店を構えます。

のちに会社を買収し、店舗展開を開始します。最初に会社名を「バーガーキング」と改めました。8年間でチェーンをアメリカ国内で250店舗以上を擁する規模にまで拡大させると、1967年に会社をピルズベリー (製粉の大手企業)に売却しました。

理由はフロリダという田舎では、シカゴという中心地のマクドナルドのように資金調達がうまくいかなかったからです。

Burger King Wikipedia 日本語

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

Burger King Wikipedia 英語

https://en.wikipedia.org/wiki/Burger_King

 ピルズベリー (製粉の大手企業)は日本では知名度が低いのですが、米国の最大手の製粉業者でその技術は高い評価を得ています。最近日本の厚生省も取り入れた、食品の安全基準HACCPをNASAの宇宙食の安全性を高めるために開発したのがピルズベリーです。

ピルズベリーは事業の多角化を目指し、当時急成長をしていたファストフードに参入を目指しバーガーキングを買収したのです。ピルズベリーの高い製造技術はバーガーキングの商品開発に貢献しました。しかし、ピルズベリーはファストフードの高速店舗展開に必要なフランチャイズ戦略を理解せず、それが日本での合弁での店舗展開を断った理由です。

 ピルズベリーの経営陣は1970年代後半と1980年代前半、数回にわたってバーガーキングの事業再構築を試みました。1978年にバーガーキングがマクドナルドの経営陣からCEO候補であった優秀なドナルド・N・スミスを引き抜いて企業刷新を行わせました。

この改革は「オペレーション・フェニックス」と呼ばれ、ドン・スミスは会社のすべてのレベルで業務を再構築しました。メニューの拡大、新しい標準化された店舗などです。だが、スミスは1980年、会社の売上が落ちる直前にペプシコに移籍しました。

 後継はピルズベリーのレストラン事業担当執行副社長のノーマン・E・ブリンカーがマクドナルドとの競争で優位に立ってブランドを再生させる任にあたることになりました。

彼が新たに打ち出した作戦の一つは新しい広告キャンペーンで、主な競合店を対象にした攻撃的広告を打ち出しまた。これはハンバーガーのトップチェーン、マクドナルドとバーガーキングでの激しい戦いの時代をもたらし、バーガー戦争として知られています。

しかし1984年、ブリンクラーは会社を去り、彼はダラスを拠点とするハンバーガーチェーンのチリーズを買収して経営者となり、ファストカジュアル業態を打ち立てました。

 スミスやブリンクラーの時代がバーガーキングが輝いていた時代と言えます。彼らの退任後、ピルズベリーは彼らによる変化の大部分を緩和もしくは破棄し、新規出店を抑制しました。会社の成長は停滞し、再度の売上低下を招き、バーガーキングとピルズベリーは財務的に苦しい状態に陥ったのです。

 ピルズベリーはイギリスのエンタテインメント・コングロマリットであるグランドメトロポリタンによって1989年に買収されました。

 買収当初、グランドメットは新たなCEOバリー・ギボンズの指揮下にチェーンの収益性の改善を図りました。新商品の導入やディズニーとの提携では成功しました。その一方では引きつづき企業イメージに問題があったことや広告戦略が効果的でなかったことは失敗で、それを差し引いた結果は必ずしも満足行く物ではなかったのです。

ギボンズは利益を得ようと会社の資産のいくらかを売却し、多数のスタッフをレイオフしたのです。日本の西武商事と提携して、バーガーキングを展開し始めたのもこのころです。

 グランドメトロポリタンが1997年にギネスと合併してディアジオになっても変わらなかった。親会社がブランドをないがしろにし続けた代償は、有力フランチャイジーが事業から撤退するという形で会社に返ってきました。

事業価値は大幅に減少して、2000年にディアジオは最終的な決断を下し、損失の続くチェーンを切り離して売りに出しました。2002年にディアジオから会社を15億ドルで購入した投資ファンドのTPGキャピタルによって、会社は再独立を果たしました。

 新しいオーナーは素早く動いて会社を再活性化・再組織化した。その結果、2006年には株式の再上場を果たすという大成功を収めました。

 2010年、バーガーキングは3Gキャピタルという別の企業に買収され、非公開会社となり、それから2年後、バーガーキングはニューヨーク証券取引所に再上場します。2019年には人工肉を用いたインポッシブル・ワッパーを発売。

また、2020年にはワッパーの材料から合成着色料や化学調味料などが除外。そして、2021年1月、バーガーキングはブランドの再構築を実施したのです。

 このように親会社が点々とし、再上場を繰り返してきました。

日本の状況は以下の以前の王の記事参照

飲食店経営 2001年5月号

バーガーキング社の日本撤退の背景

米国バーガーキング社がJT(日本たばこ産業)との合弁会社事業のハンバーガービジネス、バーガーキング社の日本の展開から撤退することになった背景を分析してみよう。

1)ファーストフードビジネスの難しさ。

 今回バーガーキング社が合弁事業から撤退したのは、米国バーガーキング社やJTの経営の手法に問題があっただけではなく、日本におけるファーストフードやハンバーガーチェーンの展開が難しいという事実だ。

 マクドナルドが30年前に日本に進出する前には、不二家との提携で大手のバーガーシェフが茅ヶ崎に1号店を展開した。その後、大手商社と手を組んだハーディーズ、ファミリーレストランのサトが数店舗展開したホワイトキャッスル、同じくフレンドリーの展開したカールスジュニア、等ことごとく撤退している。

現存している、ダイエーのウエンディーズ、山崎製パンのデイリークイーン、等はかろうじて運営しているだけであり成功しているとは言い難い。成功している外資系の外食チェーンと言うと、マクドナルドとKFC、最近ではスターバックスのみである。

デニーズやミスタードーナツは成功しているが米国企業自体が不振で、日本側企業が商標権を買い取り純日本企業としての経営を行っている。

ファミリーレストランは米飯という日常食を出しており、立地の良い場所に出店すれば最初から売り上げを上げることが出来る。しかし、ハンバーガーのようなファーストフードは日本人にとってスナックの範疇を越えることは出来ず、ロケーションが良いだけではなく、ブランドを浸透させるテレビコマーシャルの存在が必要不可欠だ。

カップラーメンと同じスナックの位置づけであり、大量のテレビコマーシャルを放映により消費者を洗脳し、強制的に食べさせるという技術が必要になってくる。首都圏で大量のテレビコマーシャルを放映するには最低限度100店舗の出店が必要であり、それまでは赤字を覚悟する必要がある。

つまりファーストフード展開の最大のノウハウは商品の味ではなく、マーケティングのノウハウなのだ。それを知らない大手商社や、味だけにこだわるファミリーレストランチェーンでは成功するはずがない。

日本企業ではファミリーレストランのロイヤルも2回ハンバーガーチェーンの展開を行ったが、いずれも失敗に終わったのはマーケティング戦略を知らないファミリーレストランの限界を物語っている。

 100店舗を展開すると簡単に言うが、そのためには100億円までの累積赤字を覚悟する必要があり、それだけの資金を黙って投入することが可能な企業だけが生き残れる難しいカテゴリーである。

2)合弁会社の難しさ

 合弁会社というのは大変難しい事業である。どちらかが過半数の株式を握りコントロールできれば意志決定は簡単であるが、今回のような対等の出資比率の場合にはどちらに主導権や決裁権限があるか明確でない。

そのような中途半端な状態の中で、米国、日本の親会社の経済的な状況が変化し、合弁事業を断念するに至ったのである。

<バーガーキング社の事情:リーダーシップの不在>

 バーガーキング社は昔から大会社の子会社として経営を行ってきた。バーガーキング社が最も成功したのは大手食品メーカー・ビルズベリー社の子会社の頃である。ピルズベリー社は製粉関係の商品を販売している会社であり、商品開発力が大変強く、バーガーキング社の商品開発に多大な貢献をした。

しかし、その後、英国の複合企業グランドメトロ社が親会社になり、数年前にさらに現在のディアジオ社(Diageo)に変わった。英国企業は金融改革後、その優れた金融技術により米国の数多くの企業を買収しその参加に納めている。

英国系の企業戦略は長期の展望よりも期間損益をきちんと求めるという厳しい物であり、バーガーキングに要求された条件も大変厳しかったようだ。子会社の運営は自由裁量権は広く与え自由闊達に経営させる場合と、日常の決済まで厳しく行う場合とある。

バーガーキング社に対する子会社運営の手法は後者であり、日常の運営に必要な経費決済に至るまで米国親会社が厳しく管理をしていたと言われる。その結果、米国バーガーキング社の社長(CEO)の交代は大変頻繁であり、12年間で8名が交代している。米国では社長のリボルビングドアー(しょっちゅう入れ替わる)と揶揄されている。

それに引き替えマクドナルド社の場合は1955年の創業以来、創業者のレイ・クロック氏を入れて4名しか変わっていない長期安定政権である。

 特にここ数ヶ月は実質上の社長が不在であり、Diage社が直接管理をしていた。その結果過去半年の売り上げを見てみると既存店の前年比の売り上げと利益は大幅に低下していた。

競合のマクドナルドとウエンディーズ両社の同時期の売り上げと利益は増加していたのにも関わらずだ。

 そして、やっと3月にバーガーキング社の新社長が決定した。新社長のDasburg氏は外食とは畑違いの航空会社ノースウエスト社の社長を勤めていた。不振のノースウエスト社を建て直し、上場した手腕を買われてバーガーキング社の社長に就任したのである。

 米国バーガーキング社の売り上げ不振は同社のフランチャイジーに大きな打撃を与え、フランチャイジーは親会社による不当な経営介入を嫌い、バーガーキング社を分離し米国において上場させるように要望をしており、それに対する親会社の回答が新社長のDasburg氏のスカウトである。

新社長の任務は新しい広告代理店による主力商品のワッパーのキャンペーンによる売り上げ奪回と、親会社からの分離上場と言う難しい物である。その難しい状況にさらされている米国バーガーキング社が日本の合弁事業に対する精神的、経済的なサポートを継続するのは大変難しいというのが客観的な状況であったわけだ。

<日本の事情>

 バーガーキング社の日本における当初のパートナーは西武鉄道系の西武商事であった。バーガーキング社はマクドナルドが日本に進出する以前より、日本への進出を検討していた。

筆者が30年前にレストラン西武(現、西洋フードシステムズ)に勤務していた際に、バーガーキング社との業務提携を模索していたが、バーガーキング社は日本が牛肉輸入を自由化していないことを理由に断ってきた経由がある。

その結果レストラン西武はコルネットという独自のハンバーガーチェーンの展開や、米国ダンキンドーナツ社との業務提携を行うことになった。それ以来、数多くの日本企業と合弁や業務提携の話はあったが、その都度消極的なバーガーキング社の姿勢がその実現を妨げていた。

西武商事との業務提携(当時は正式な合弁契約ではなく試験的な店舗展開であった)は親会社のグランドメトロポリタンが所有していたインターコンチネンタルホテルをセゾングループに売却した経緯から、日本での展開として西武鉄道系の西武商事が浮かび上がったようだ。

グランドメトロとしては、西武鉄道とセゾングループを同一の会社と認識し、多店舗展開をするパートナーとして選定したと言われている。

しかし、その後、西武グループの所有物件を中心とした店舗展開を考える西武商事との経営戦略の違いから、より資本力の強いJT社との合弁に転換をすることになった。

JT社はタバコという農産物を扱う関係から、食品や外食事業に対する取り組みは古くから行っており、以前、シカゴのホットドックチェーンのポチュロ社と提携しシカゴドックという名称で店舗展開を行ったことがある。

その当時のベテランの外食事業担当者などが中心となり日本におけるバーガーキング社の展開を開始した。そして、資金力に物を言わせ、小規模なハンバーガーチェーンの森永ラブの店舗を買収するという荒技で店舗数を拡大した。

しかし、ハンバーガービジネスは首都圏で大型店舗を100店舗展開後のテレビコマーシャルを行うまでは大規模な投資が必要であり、それを実現するための積極的な投資戦略は、短期的な利益の実現を要求する英国親会社の消極的な経営方針とはそぐわず、店舗展開の遅れというジレンマに陥っていた。

そのような状況の中、JT社は海外タバコ会社の買収という莫大な投資金額の必要により、ビジネスの絞り込み、本業回帰を迫られることになり、積極展開の出来ないバーガーキング社のビジネスを断念するのは当然の成り行きであろう。

3)バーガーキング社の海外展開の難しさ

 <バーガーキング社とマクドナルド社の海外展開の差>

 米国においてマクドナルドが12,000店を展開しているのに対して、バーガーキング社は8,000店舗を展開する第2位の巨大なハンバーガーチェーンであり、地域によっては互角の商売を行っているが、海外の展開に関してはバーガーキング社が成功したのはオーストラリアだけだと言われている。オーストラリアに関してもバーガーキングの商標は使えず、他の商標名を使用している。

 この海外展開の違いは海外における合弁会社選択の手法の異なりだろう。海外での展開は単に経済的な物だけでなく、政治、経済、宗教、生活習慣の異なる国にどうやってとけ込むかという難しさがある。ハンバーガーという日常食を食べさせるには最も保守的な人間の習慣を変えなくてはいけないのだ。

 マクドナルド社が日本に進出して30年(初めての海外展開)なるが、当初は日本円のドルレートは360円、牛肉は自由化されておらず高価、米と魚と醤油が主食、ポテトも種類が異なる。と言うような難しい時代であった。

しかしながら外食産業の将来性に目を付けた大手商社や流通企業、外食企業がマクドナルド社にアプローチした。一番執着したのは流通トップのダイエーの中内社長(当時)であり、契約直前までこぎ着け、日本人として最初にマクドナルドのハンバーガー大学に学んだと言われている。

そんな大企業のアプローチを横目に、当時は小さな輸入商社を経営していた藤田田氏がマクドナルドとの合弁契約にこぎ着けた。その理由は藤田氏の米国のビジネスパートナーと、創業者のレイクロック氏が知り合いであり、その縁で藤田氏とであったレイクロック氏がその経営センスに着目したというのがビジネスの始まりである。

 <合弁会社の経営者の条件>

 マクドナルドが日本を始めとする東南アジアで大成功を納めたのは、現地での合弁相手の選定方法である。マクドナルドの合弁相手の選定は相手の会社規模ではなく、経営手腕を持った個人である。

日本マクドナルドとの契約は藤田田氏との個人契約であり、氏が万一の際には契約が白紙に戻るという条項が入っていると言われるように、契約はあくまでも経営能力のある個人と行うということだ。

そして、契約期間中は対等の出資比率であっても現地の合弁相手の経営者の全面的に経営判断を任せるという徹底した権限委譲を行っている。

<合弁相手へのサポートと教育>

もちろん、権限は委譲するのだが、金銭的、技術的な問題が生じれば米国の専門家を派遣し徹底的にバックアップするという姿勢を示している。マクドナルド社が特に優れているのは命令ではなく、徹底した教育を施すと言うことだ。

その国に問題があればそれは殆ど経営手法を知らないと言うことであるから、まず徹底的な教育、いや、洗脳を施すと言うことだ。そのために米国に数百室のホテルを併設した立派なハンバーガー大学を建設し、翻訳者を用意し、世界各国の経営陣を母国語で教育している。

教育内容は店舗の日常的な運営に必要な店長コース、スーパーバイザーコース、統括スーパーバイザーコース、部門部長コース、フランチャイジー指導者コース、トレーナーコース、等のチェーン展開に必要なライン教育にとどまらず、マーケティングコース、店舗開発コース、会計コース、商品開発コース、等、会社経営に必要な経営手法まで詳細に教えている。

また、教育のみならず、問題があれば専門家を派遣し指導するようにしている。場合によっては、各国に専門家を長期出向までさせてのサポートを厭わない。

 また、単に教育するだけでは実務が身に付かないと言うことで、日本や東南アジアの国に関しては米国マクドナルド社の店舗をフランチャイジーとして運営させたり、米国本社の各部に出向をさせたりの実務経験を提供している。

 それに対してバーガーキング社の経営指導方針は全て米国と同じ基準であり、厳しい店舗運営水準を要求している。教育もマクドナルドと同様のマニュアルや教育体系を持っているが、どちらかというと店舗運営面の教育システムであり、ライン以外の教育を行うという考え方はないようだ。

このサポートの差が世界各国におけるバーガーキング社の店舗の差であると言えるのではないだろうか。

4)店舗運営、味、価格

 米国におけるバーガーキング社はマクドナルドにひけをとらない強力な会社だ。その秘訣は効率のよい店舗設計、優れた商品開発能力、優れたマーケティング能力、であり、技術的には立ち後れたマクドナルド社よりも優位に立ち、時々マクドナルド社よりも高い売り上げの伸びを示すことがある。(技術的な説明については今月号別項の飲食業の技術革新を参考にしていただきたい)

 マクドナルドとの一番の違いは経営効率の高さである。マクドナルド社は当初をのぞいて同一フランチャイジーに多店舗展開を許していない。現在では多くても10店舗ほどであり通常は3-5店舗を任せるのが普通だ。これは、1フランチャイジーが多店舗を展開すると投資家のようになり、店舗への関与が薄まるという考え方だ。

 それに対しバーガーキング社は1人のフランチャイジーが最大300店舗を持つという、企業経営のフランチャイジーの存在を許している。日本のKFCやミスタードーナツのように地方の有力企業や、地元財界人を選び、その人に複数の店舗展開を許している。

その結果、フランチャイジーの経営能力は高く、各ジーは自前のスーパーバイザーを抱えるケースも多く見られる。このように経営能力の高いフランチャイジーを抱えるバーガーキング社のジーに対する経営指導の労力は少なく、経営効率は大変高いと言える。

その反面、緻密な経営指導の必要な海外展開においては、きめ細かな経営指導能力のある店舗管理者が不足し、現地での展開がうまくいかないと言う傾向があるようだ。

 味の点ではバーガーキング社のハンバーガーは米国では本格的な炭火焼きと、大型の野菜たっぷりのハンバーガーで人気を呼んでいるが、日本人は大型の肉よりも軟らかいパンを評価するように、日本人独特のハンバーガーに対する品質基準が大きな課題であった。

さらに日本経済の不振とマクドナルドの65円ハンバーガーの攻勢という経済状況に、バーガーキングの肉の大きさと、おいしさが消し飛んでしまったのだ。この味の現地化への取り組みの遅さと、価格の高さは現在の不況の日本では致命的であったといえるだろう。

5)日本での外食合弁会社の成功の要因

 上記のように難しい日本での合弁会社の成功の要因を分析すると人であろう。

成功した、日本マクドナルドの藤田社長、KFCの大河原社長、スターバックスの角田社長を見てみると共通した項目がある。

<1>外食の経験は少ないが、マーケティングの手法に熟知している。

先ほど申し上げたように文化の異なる日本でなれない食品を販売するためには卓越したマーケティング手法の知識が必要であるからだ。

スターバックスの日本側のパートナーであるサザビー社は輸入商品販売などのアパレルのビジネスが本業であり、マーケティングの手法に大変優れているというのは、輸入商社を経営している藤田氏と同じである。

<2>英語に堪能

 合弁会社との交渉は文化や価値観の異なる提携相手への熱心な説得が必要であり、流暢な英語と海外文化への理解が必要不可欠である。

<3>優れたリーダーシップ

合弁会社の難しいのは海外との交渉だけでなく、日本の出資会社への説得、交渉という難しい仕事もあるというわけで、成功した3氏は際だったリーダーシップを持っている。

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6)ハンバーガーの調理機器

  ハンバーガーの調理にはグリドルと、バンズトースター、作業テーブル、ホールディングビンとに分かれる。そのほかに、フライヤー、飲物のシェイクフリーザー、コークディスペンサー、コーヒーマシンなどである。   

 ミートパティの調理方法は2種類ある。鉄板タイプのグリドルを使用するのが、マクドナルド、ウエンディーズ、ハーディーズ等のハンバーガーチェーンである。グリドルは簡単であり、他の朝食メニューの卵料理などを調理でき、汎用性が高いので最も一般的に使用されている。また、厚さの異なるミートを焼く場合でも、時間を長くすれば良いのでメニューの多角化には向いている。

  しかし、グリドルの場合は片側を焼いた後ひっくり返す必要があり、重労働で調理時間が長いという問題がある。それを解決するために、サンドイッチ方式の鉄板で、ミートパティを上下から挟んで同時に焼くという、クラムシェルグリドルが開発された。

日本でも採用され出しているが、やや問題があるようである。上下から挟むときにその間隔が正確でないと、生焼けが出たり、焼け過ぎでドライなミートになったりするのである。機械とミートパティそのものの精度は0.1mmを要求されるのである。

  もう一つの方法は伝統的なバーベキュー直火タイプのオーブンにコンベアーを組み合わせて、上下から自動的に焼くシステムである。このコンベアーグリドルを使用するのは、バーガーキングとカールスジュニアである。

92年度の米国のベストの新商品は、バーガーキングのバーベキューチキンサンドイッチ「BKブロイラー」である。これは伝統的なバーベキュータイプの直火焼きのコンベアーグリドルの良い面が最大限出ているサンドイッチであるといわれている。

7)ハンバーガーの提供方法

  従来のレストランの調理システムは、オーダーが入ってから調理をする、クック・ツー・オーダーであった。ハンバーガーは出来たてで温かく品質はよいが、調理に時間がかかるという欠点があった。

しかしながらいまだにその利点を生かしているチェーンはある。米国ではカールスジュニア、日本ではモスバーガーであり、手作りの品質の良さを訴え成功しているのである。

  マクドナルドの初期の頃のメニューはハンバーガーが1種類であり、そのため全メニューで10品目くらいであったのである。

そのためハンバーガーを事前に調理してウオーマーに保管しておき、オーダーがあったらすぐに提供できるようにしていた。これをストック・ツー・オーダーシステムと呼ぶ。このシステムによりテイクアウトのビジネスを成功させることが出来、かつドライブスルーのような新しいビジネスチャンスを物にする事が出来たのである。

  しかし、チェーンが出来てから15年もするとお客様は、大型サンドイッチやソースの異なるサンドイッチ、チキンサンドイッチ、

朝食メニューや、多国籍料理を望むようになってきた。そのため、数多くの商品を保温する必要があるが、商品の保管時間を過ぎて破棄する必要が出たり、製造に時間がかかり、サービングタイムに問題が出るようになってきた。

完成品のサンドイッチとして保温しておくと、ソースや肉汁がバンズに染み込んでしまうという問題が出てくる。そこで、調理に時間がかかるミートなどを事前に焼いておき、それを正確な湿度コントロールが出来る保管庫に保管しておく方法が出てきた。

これにより、焼いたミートを30分から1時間も保管する事が出来、作業が分散化し商品の破棄も少なくなり、オーダー後の商品のサービングタイムが格段に早くなるというメリットが出てきた。これをアッセンブル・ツー・オーダーシステムと呼ぶ。

現在では、多くのチェーンで採用されるようになってきている。 ハンバーガーは、簡単な食事であるが、買うに待たせない、サービスのスピードが速い、ドライブスルーなどの車を降りないで買えるシステムがある等の、サービスのスピードが一番のノウハウだ。

短時間で提供できる調理や提供のシステムを常に開発しておりそれが、ハンバーガーチェーンの売り上げを伸ばしている最大の原動力になっている。

8)スピードも大事だがやはり品質が決め手だ

 マクドナルドの採用したアッセンブルツーオーダーのシステムはステージングシステムとして全店舗に採用されサービス時間の短縮に大きな効果を収めたが、マクドナルドはここで大きな間違いを犯した。

焼いたミートパティを挟むバンズはトースターで焼いてからホールディングキャビネットで保管するが、客に提供する前に保管したミートパティをはさみ包装してから電子レンジで再加熱する。どうせ再加熱するならバンズをトースターで焼く必要はないじゃないかという論理だ。

 バンズを焼く理由は切り口を高温の熱板で焼き、焦げ目を付けて(キャラメライズという)肉汁や、ケチャップなどの調味料がバンズにしみこまないようにするためだ。水分がバンズにしみこむとべちゃべちゃになり美味しくなくなるからだ。同時にバンズを温めて美味しく感じさせるのも重要だ。

 そこで、電子レンジで温めるのだから、バンズに肉汁がしみこまないような工夫をすれば良いではないかという事で、バンズに品質を変え、トーストしないようにしてしまった。

しかし、トーストによる香りが失われたり、バンズの触感が変わったという事で段々消費者の人気がなくなり、昨年度の調査ではチェーンの中で最もハンバーガーの品質の評価が低くなってしまった。

その間に競争相手の一つであるウエンディーズは品質の改善を進め、96年にインアンドアウトに奪われた品質一番の座を奪い返していた。その結果マクドナルドの売り上げと株価は低迷を続けていた。

 また、既存店の売り上げの低迷を補うために続けていた米国国内における積極的なマクドナルドの新規出店戦略がフランチャイジーの既存店に対する売り上げを浸食しジーの間に不満が大きく膨れ上がっていった。

9)今後

 そのジーの不満に、とうとうマクドナルドが動き始めた。それが、今年2月に開催されたフロリダオーランドのディズニーワールドで開かれたコンベンションにおける新調理システムの発表だった。

品質を向上するために電子レンジでハンバーガーを再加熱することを中止し、そのかわり、商品の温度を高く保ち、かつ、サービング時間を短縮する新しい調理システムを開発したのだ。今後数百億円を駆けて既存店の厨房を改造するとしている。

さらに、経営トップの入れ替えを行った。国内を担当したエド・レンジ氏とCEOだったマイク・クインラン氏の代わりにジャック・グリーンバーグ氏がCEOにつくという発表を行った。

 経営トップが変わったことで今後のマクドナルドは積極的なメニュー開発や、財務面の改善を行うと思われ、またまたハンバーガー業界に旋風が巻き起こされそうな勢いである。このマクドナルドの動きを反映して低迷していた株価は一気に上昇している。

 日本ではマクドナルドの独り勝ちの状態であるが、米国の状況から見て、マクドナルドに出来ない商品の特徴を生かし、かつ、積極的な出店を行うチェーンが出てくると米国のようにハンバーガー業界に活気が生まれ,再度マーケットは大きく伸びるのではないだろうか。

 ハンバーガーチェーンの食材は、牛肉、豚肉、鳥肉、魚、小麦粉、野菜と世界中から安定して確保でき、もっともポピュラーであり安定した利益を出すことが可能だ。やり方によっては今後まだまだ大きく広がるジャンルだろう。

以上

日本の状況は

 1993年、西武商事(現・西武プロパティーズ)がアメリカ・バーガーキング社とフランチャイズ契約を結び、独自のチェーンを展開したが、のちに提携を解消した。

 1996年に日本たばこ産業(JT)が、米バーガーキング社の持株会社であるイギリス企業、グランドメトロポリタン社と提携し、バーガーキングジャパンおよび共同出資会社であるJTグランドメット株式会社を設立した。さらに、レストラン森永から取得した森永LOVEの店舗を利用してバーガーキングの事業を展開した。

 ところが、翌1997年にグランドメトロポリタンとギネスの合併に伴う方針変更によりJTグランメットは解散した。その後、2001年3月までJTとバーガーキング・コーポレーションの提携は続いた。その間に展開できた店舗数は当初の計画の4分の1である25店舗だった。

 2007年、ロッテとリヴァンプが共同出資会社バーガーキングジャパンを設立。この会社は2010年にロッテリア(韓国法人)(朝鮮語版)に買収された。

 2017年、投資会社のアフィニティ・エクイティ・パートナーズがアメリカ・バーガーキング社とフランチャイズ契約を締結した。

続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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