コロナ禍の被害を最も受けたのが居酒屋業態です。もともと若者がお酒を飲まなくなったところにコロナで吹き飛んだのが居酒屋業態でしょう。居酒屋はとりあえず集まって歓談するのが特徴で、料理は軽いおふくろの味程度でよいのです。
それがコロナ禍以降、目的来店する料理の質を高めた店が求められるのです。今回はその代表を、チェーン展開する店と、個人店を紹介しましょう。
1)東京ミート酒場
うっかり地元パトロール忘れて1年半前に東京ミート酒場が練馬にできて繁盛していました。料理を強調した居酒屋です。
創業者の・四家公明さんが、調理指導の厳しい代々木八幡本店ハシヤ(現在は西新宿野村ビル店のみ)出身(7年間修業)と聞いていたのでパスタの店と思っていましたが、イタリアンの小皿料理の個性的な居酒屋ですね。パスタの店だと思ったら、個性的な小皿料理が多く、一杯飲んだ後の締めのラーメンがパスタというのりです。
お酒もこだわってカクテルも数多くあります。生ビールはハートランドというこだわりです。
料理を打ち出すために、大きなオープンキッチンの周りにカウンターを置き、奥に3つの4人席があります。凄いのはこのメニューでフランチャイズなことです。本店と思われるトスカーナ神谷町はもっと本格的な料理メニューも多いのですがね。フランチャイズは元従業員の独立型で、それでこの料理ができるようです。
ハシヤですが創業者が和風パスタ元祖の渋谷の壁の穴に1週間ほどいて料理を覚え、独立して代々木八幡に本店ハシヤを開店しました。ハシヤは4店舗ほどにしかなりませんでしたが実質和風パスタの準元祖と言えるでしょう。従業員の教育は厳しく、店は独特の緊張感に包まれていました。
トスカーナ神谷町HP
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さて、壁の穴の影響を受けて開店したのが、日本レストランシステム株式会社の洋麺屋五右衛門です。
同社の外食への参入は、昭和48年 8月株式会社ボルツ・ジャパン(輸入部門、昭和49年5月南インド株式会社に商号変更)を設立してインドより香辛料の輸入を始めます。昭和49年 4月「インドカレー専門店ボルツ」の直営1号店を東京都渋谷区宇田川町に出店したのが外食参入です。
ちょうど私はマクドナルド入社したころで、ボルツ入居のマンションの友人宅に居候していましたので時々食べに行っていました。
公式には発表していませんが、そのマンションのすぐそばに壁の穴があったので、参考にしたと思われます。洋麺屋五右衛門は女性に評価が高いことで当時はやり始めた駅ビルに引っ張りだこで、日本レストランシステム株式会社は大成長しました。
壁の穴の創業者の成松孝安さんは人が良く、レシピーを聞くと教えてくれました。ちなみに私の大好きなボンゴレのパスタの隠し味は、安い昆布茶です。昆布茶を入れると、一気に和風味になるのです。
壁の穴
2)地元の居酒屋 鳥忠江古田
昔は地元に多くの個人経営の店がありました。安い居酒屋、町中華、日本蕎麦屋、てんぷらや、焼き鶏や、とんかつ屋、鰻屋、が数多くありましたが、みんなチェーンに駆逐されました。
私の地元江古田に住んで60年になりますが、大分淘汰されました。江古田は大学が3つもあり、単身者向けの安アパートも多く、若者向けの店が多かったのです。
居酒屋では安くて有名だった「おしどり」という店(今はセブンイレブン)や秋田屋(今は貸しビル)という店がありましたが、今では撤退。チェーン居酒屋分野では安くてボリュームのある鳥貴族が最強です。
その強い鳥貴族の前で頑張っているのが地元で60年ほど経営している鳥忠です。リラックスして美味しいお店です。60年以上経営の今は2代目が味を守っているお袋の味の様な店です。地元の集まりでよく使われていました。安くはないのですが焼き鳥、鰻、刺身などの海鮮料理、などの鮮度がよくきちんとした料理で、地元客でにぎわっています。
やっぱり、居酒屋には料理が大事だと思わせるお店です。
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