Burger King のマニュアル 第一回

レストランチェック

 マクドナルドに次ぐハンバーガー業界第2位のバーガーキング実質的創業者のジェームズ・マクラモアのバーガーキングという自伝をご紹介しましょう。

ジェームズ・マクラモアはコーネル大学のレストラン学科を出て、マクドナルド兄弟のLAの店舗を見て感銘し、同じくマクドナルド兄弟の店を見て、インスタバーガーキングという店をフロリダに開いたキース・J・クレイマーとマシュー・バーンズのフランチャイジーになり、フロリダに店を構えます。

のちに会社を買収し、店舗展開を開始します。最初に会社名を「バーガーキング」と改めました。8年間でチェーンをアメリカ国内で250店舗以上を擁する規模にまで拡大させると、1967年に会社をピルズベリー (製粉の大手企業)に売却しました。

Burger King Wikipedia 日本語

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

Burger King Wikipedia 英語

https://en.wikipedia.org/wiki/Burger_King

 バーガーキングはフロリダに本社を構えていたのですが、マクドナルドに比べ、企業体質が弱く、大手企業に点々と4回も買収され、経営方針が点々として変わり、それがマクドナルドに大きく水をあけられました。現在の店舗数は2万店弱でマクドナルドの4万店の半分にすぎません。

 その大きな原因は

<1>立地

 マクドナルドはシカゴと言う米国の中心地に立地しました。飛行機でほとんどの米国の大手都市に行けます。

シカゴは、牛肉の集散地で大手の優秀な業者がいます

 シカゴは米国の金融都市で、投資をするユダヤ人が多く住んでいて、マクドナルドは上場の際に大きく助けられます。日本の合弁相手の藤田田氏がマクドナルドに出会ったのもユダヤ人ルートです。

 また会社経営に必要な優秀な人材が多かったのです。

 調理に必要な調理機器も、シカゴの近隣には自動車工業のおかげで製造工場が多く調達が容易でした。

<2>財務

 社内にもユダヤ人幹部が多い、財務が強かったのです。以前にもご紹介したようにマクドナルドは土地の取得を積極的に行い、収益性が高かったのです。また、直営店売却や買収という技術で収益を安定させ株価を高く維持でき、大手企業による買収を防ぎ、経営を安定させました。

<3>マーケッティング

 マクドナルドは企業の多いシカゴにあったので、優秀なマーケッティング企業に恵まれ、優秀なマーケティング社員の確保でき売り上げを維持できました。

その最大の違いは日本への進出です。

 西武百貨店の子会社の西武レストランがバーガーキングとの提携交渉していました。しかしバーガーキングは日本の食肉の高さなどを理由に断ってきました。

当時バーガーキングはピルズベリーという大手製粉企業の傘下にあり、CEOのジェームズ・マクラモアは日本との提携に乗り気であったのですが、ピルズベリーがフランチャイズシステムを理解していなかったため交渉は中断しました。

マクドナルドは日本で大成功しその成功のノウハウをもとに世界進出に成功し、バーガーキングは米国内中心の外食企業として、マクドナルドの半分ほどの店舗数に過ぎません。

 でも、実はバーガーキングの調理システムはマクドナルドより生産性が高く、マクドナルドはバーガーキングの調理システムを追いかけてきました。マクドナルドが自慢する、メイド・フォー・ユーというシステムで重要なクラムシェルグリルや、商品の保管システム等はバーガーキングが創業時より備えていたのです。

私が米国で店舗の運営にあたっていた時に、部下の副店長が、バーガーキングに転職しました。彼に聞くとバーガーキングの店舗の生産性はマクドナルドより、3割ほど高いと言っていました。

 マクドナルド兄弟は、若い女性ウエイトレスを目当てにくる若いティーンエイジャーを排除して、健全なハンバーガーショップに仕立て上げようと、従業員全員が男性のセルフサービス店舗を作り上げたのです。

 マクドナルド兄弟の最大の功績はセルフサービスのハンバーガーショップに仕立て上げたことです。マクドナルド兄弟はテニスコートに機械のレイアウトを書き、作業導線の研究をして作り上げた店舗はデニーズなどのコーヒーショップの厨房に良く似ています。

異なるのはコーヒーショップの厨房は調理場で調理するコックはカウンターにいる客に背を向けて調理をしていることです。

コーヒーショップでは客が店舗に入ってから、ウエイトレスに注文を告げ、ウエイトレスがその注文をコックに伝え注文伝票をカウンターの上のクリップに止めます。コックはその注文を背中越しに聞き、時々カウンター上の伝票を確認します。

 通常のコーヒーショップの売り上げは客席のキャパシティで決まります。

注文してから作り出すと調理に15分ほど必要です。

そして客席にのんびりと座って連れとお喋りをしながら食べるとあっという間に1時間経過します。客席が100席あれば、1時間に最大100個のハンバーガーしか売れません。

 そこでマクドナルド兄弟は、ハンバーガーを売り上げ予測に基づいて製造しておき、紙ペーパーに包んで保温し、客が注文をしたら直ちにサービスする仕組みを作り上げました。この仕組みにより客席に縛られない大きな売り上げを得ることが可能になったのです。

 この仕組みの最大のポイントは客の来店を予測して、忙しくなったらあらかじめハンバーガーを調理して包装しておくことです。通常のコーヒーショップのように客に背を向けて調理していては迅速な対応ができません。

そこでコックが、客が入ってくる入り口に向いて調理をできるようにしたのです。

そのためにはハンバーガーパティを焼き上げるグリドルの向きを変える必要があります。それを実現するために特別な低い排気フードを開発したのです。

実はマクドナルド兄弟が開発した最大のポイントはコックが客を見ながら調理できるようにすることでした。

 日本ではマクドナルドは何か特殊な規格を持っているように思われますが、マクドナルドで使用している食材はごく普通のものです。

たとえば通常、ハンバーガーのミートパティの重さは約45gで、バンズの直径は約10cmです。これはマクドナルドが開発した規格ではなく、米国の一般的な食材規格なのです。45gというのは1/10ポンドのことで、1ポンドのひき肉から10枚のハンバーガーパティを作ることから決まりました。

バンズの直径は4インチという一般のバンズ規格そのままなのです。今でも米国の食品スーパーに行くとマクドナルドで使っているのと同じサイズのバンズやミートパティを買うことができるのです。

 マクドナルドで使っていたグリドルやフライヤー、シェイクマシンも当初は通常の市販品を使っていたのです。

しかし、マクドナルドのハンバーガーの人気が高まるにつれ、売り上げはどんどんあがってきました。客席にサイズに縛られないテイクアウトのセルフサービスのお店はものすごい売り上げを記録するようになったのです。

そこで、すべての調理機器とレイアウトの見直しをすることにしました。

 シンドラー氏の目標は、調理機器は自動化し、レイアウトは交差導線をなくすことでした。その点で、マクドナルドのライバル、バーガーキングの厨房の方がはるかに優れており、シンドラー氏はそれらの仕組みを詳細に分析し、マクドナルドでどのように取り入れるか研究をしていったのです。

 ハンバーガーの調理方法をちょっと見てみましょう。ハンバーガーの調理にはグリドルと、バンズトースター、作業テーブル、ホールディングビンと言う調理機器を使用します。その他、フライヤー、飲物のシェイクマシン、コークディスペンサー、コーヒーマシンなどです。

 ミートパティの調理方法は2種類あります。

鉄板タイプのグリドルを使用するのが、マクドナルド、ウエンディーズ、ハーディーズ等のハンバーガーチェーンです。グリドルは簡単で、朝食メニュー等の卵料理などを調理でき、汎用性が高いので最も一般的に使用されています。

また、厚さの異なるミートを焼く場合でも、時間を長くすれば良いのでメニューの多角化には向いているのです。しかし、グリドルの場合は片側を焼いた後ひっくり返す必要があり、重労働で調理時間が長く、失敗すると生焼けによる食中毒という問題があります。

 もう一つのミートパティの調理方法は伝統的なバーベキュー直火タイプです。米国で春になり天候が良くなると公園や家の庭でバーベキューグリルに炭をいれ、食品スーパーでパンズとミートパティを買ってきて、焼きたてのハンバーガーを楽しみます。米国で本格的なハンバーガーというと炭火焼のことになります。

 この伝統的なバーベキュースタイルの調理方法を取り入れたのが、バーガーキングです。炭は温度が安定しないのでガスグリルで焼き上げることにしました。でも通常のガスグリルのチャーブロイラーはグリドルと一緒でコックが片面が焼けたらひっくり返さなくてはいけません。

そこでバーガーキングはガスグリルにコンベアーを組み合わせて、上下から自動的に焼くシステムを考案しました。このコンベアーグリドルを使用するのは、バーガーキングとカールスジュニアーです。米国人は本格的な炭火焼のバーガーキングの味を高く評価するようになりました。

http://www.nieco.com/

 もう一つの違いはハンバーガーの提供の仕方です。

マクドナルドは来客数を予測して、あらかじめハンバーガーを焼き上げて包装しておきます。しかし、10分を過ぎても売れないと廃棄処分にして、常に焼きたての熱々のハンバーガーを提供できるようにしました。

この仕組みはホールディングシステムといい大変良い仕組みですが、ピクルスやオニオンが嫌いだから抜いてくれという客の要望に応えることはできません。

また、マクドナルドの当初はハンバーガーとチーズバーガーの2種類で、作り置きをしておいても廃棄のハンバーガーはあまり出なかったのですが、ビックマック、フィレオフィッシュ、大型のクオーターパウンダー、などの追加により、予測生産がうまくいかず、廃棄処分が多くなるか、客を待たせるという問題にぶつかりました。

 バーガーキングはあらかじめバンズとミートパティを焼き上げておき、それを別々にスチーマーという蒸気保温庫に保管することにしました。

そして客の注文に基づいて、バンズとミートパティを組み立て、客の要望するピクルスやケチャップ、オニオンを加えるようにしました。そして包装したハンバーガーを軽く電子レンジで数秒過熱して熱々の状態で提供することにしました。

このフレキシブルな仕組みは大成功し、バーガーキングはマクドナルドの売り上げに肉薄してきました。

 それに対抗するためにシンドラー氏はミートパティの自動調理機器を開発し、それが後にミートパティを上下から挟んで同時に焼くという、クラムシェルグリドルの開発につながったのです。

 次にバーガーキング方式のスチーマーに対抗するためにより高性能なステージングシステムを開発したのでした。

 シンドラー氏が蒸気技術に注目したのは卵焼きの技術開発です。

シンドラー氏が研究していたクラムシェルの開発につながった、全自動型のハンバーガー自動焼成機でしたが、コストが高いことと、当時開発が進められたスクランブルエッグやエッグマックマフィンなどの卵を使う朝食メニューに対応できないことが重なり断念しました。

卵料理を作るためにはグリドルの温度を下げて時間をかけて調理をしなければならず時間がかかります。特にスクランブルエッグは熟練が必要です。

そこで、シンドラー氏が注目したのが蒸気です。

高温高圧の蒸気を卵に吹きかけて攪拌させるとアッと言う間にスクランブルエッグができるのです。この時に開発を依頼した企業が「Groen」と言うシカゴに本社工場がある蒸気釜の会社でした。

蒸気釜は高圧の蒸気で大型の回転釜を加熱させる仕組みで、炒め物やスープを作ることができます。

http://difc.difoodservice.com/groen_photolibrary.html

この高圧蒸気の技術で卵料理を作り、将来は全自動型のハンバーガー自動焼成機と組み合わせて自動化をしようと言うものでした。結局はこの時点では商品化されなかったのですが、この技術はエッグマックマフィンなどで使う目玉焼きの焼成機の開発につながりました。

そしてこの蒸気の技術を受け継いだエンジニアが開発したのが、バーガーキングに対抗する高精度蒸気保温庫だったのです。

 余談ですが、フライドチキンプロジェクトで最終的に使用したスチームコンベクションオーブンは実はこのGroenと言うメーカーだったのです。

Groenのエンジニアたちはシンドラー氏のプロジェクトを覚えており、大変懐かしい思いをしたものです。

 バーガーキング社は自動調理器のブロイラーと作業導線が交差しないレイアウトで高い生産性とスピードサービスを実現していました。

 その優れたブロイラーを大変気に入ったシンドラー氏は、その製造メーカーのNIECO社にマクドナルド向けの自動調理器を作らせることにしました。

 バーガーキング社のハンバーガーパティを焼き上げるブロイラーはグリルではなく、直火で上下からパティを焼き上げる本格的な調理形式でした。

 そこで、シンドラー氏はハンバーガーの大きさの小さな2枚の鉄板にパティを挟んで焼き上げることを考案しました。

 小さな鉄板は自動で上下に動き、コンベアーで冷凍のパティが送られ、サンドイッチにされて焼き上がります。

 シカゴのウッド・フィールド・ショッピングモールの店舗で何回も実験をし、私も深夜まで立ち会ったことが昨日のように思い出されます。

 さて、この自動調理機器は大成功だったのですが、値段が当時で2,000万円と従来の厨房全体のコストと同じくらい高かったのです。

 もう一つの問題は、当時スタートした朝食の卵料理を調理することが出来なかったのです。

 従来のグリドルは温度を下げれば卵料理が簡単に作ることが出来るのですが、自動調理機器はそれが出来ないし、他の調理機器を入れるスペースもありません。

と言うことで、自動調理機器をあきらめたのですが、その調理方法が後のクラムシェルにつながっているのです。

 私もシンドラー氏に命じられて日本でちょっと風変わりな自動調理機器を作らされましたが、特許は取れたものの物になりませんでした。しかし、その過程で高精度の温度計や、簡単なグリドルの清掃方法を開発しました。先端技術というのはそれ自体が成功しなくても色々な派生技術を入手することが出来るという勉強でした。いい思い出です。

 マクドナルドは1990年代になると経済環境が劇的に変化したことを実感しだしました。創業時は朝10時半からの開店で、ハンバーガーとチーズバーガーの2種類しかなかったのが、朝6時から朝食を提供したり、牛肉ハンバーガーだけでなく、チキンナゲットやフィレオフィッシュ、ポークソーセージやベーコンメニューなど、メニューの拡大が進行したのです。

 また、従来のハンバーガーはケチャップ、マスタード、ピクルス、玉葱などを一定量あらかじめ入れて包装していましたが、30%の客はそれらのコンディメントの増減を要求するようになりました。その客の要望は品質の低下と長いサービス時間と言う問題を発生させました。

 マクドナルドの競争相手バーガーキング社はマクドナルドの問題点を把握し、自動化のコンベアーブロイラーを使い、バンズとミートパティをあらかじめ焼き上げ、それを蒸気保温庫に保管し、客のオーダーが入ってから焼き上げたミートパティとバンズを組み合わせ、客の好みに合わせたコンディメントを入れて電子レンジで加温して提供すると言う仕組みを作って好評でした。

 そこでマクドナルド社はそのバーガーキングの方式を徹底的に研究したのです。

そこでHATOCO社にコンピューター制御の蒸気保温庫を開発させ、焼き上げたミートパティを20分間保温することにしました。

 フライ物はヘニーペニー社の温風保温庫を使用します。またバンズは焼き上げて常温の容器に保管し、客の注文によりバーガーキングのようにハンバーガーを作ることにしました。

 その仕組みをステージング・システムと名づけて米国全店に導入しました。

しかし、蒸気保温庫のメンテナンスが難しいと言う問題と、店舗では電子レンジでハンバーガー類を何回も加温すると言う作業上の問題が発生し、品質が大幅に低下しました。

そこで、このステージング・システムの大幅な改革を開始したのです。

 それがメイド・フォー・ユーシステムで、3つの調理機器を組み合わせています。

(1)ステージングではハンバーガーとフライ物を別々の保温庫で保温していたのですが、今回は作業性と品質を重視してフライマスター社にユニバーサル・ホールディング・キャビネット(universal holding cabinets 「UHCs」)と言う遠赤外線で上下から保温する仕組みにしました。

湿度の必要なハンバーガーは密閉した容器に入れ、カリッとした表面を維持するためにフライ物は湿気がこもらない容器に入れて保温をすることにしました。

(2)もう一つの機器は、ヒーティッド・ランディング・ゾーン(heated landing zonesと言うものです。

 従来のステージングは顧客の要望に基づいてハンバーガーを作るだけではなく、売上げを予測して作り置きをしてピークに対応できるように完成して包装したハンバーガーを保温するホールディングキャビネットを使用していました。そのため、予測を誤ってハンバーガーを作りすぎて品質を劣化させることになったのです。

そこで、完成品を保温をしておくホールディングキャビネットをやめて、全て客の注文後にハンバーガーを組み立てて、そのハンバーガーが冷めないように、小型の一時置き保温庫を開発したのです。

(3)3番目は高速トースターrapid-cook toastersです。

 ステージングではハンバーガーを組み立てた後、温めるために電子レンジを使用して、品質とイメージを低下させてしまいました。

今回のシステムは電子レンジを使わなくても熱々のハンバーガーが出来るように、バンズは客の注文後に15秒間と言う短時間で焼き上げることにしました。(従来は焼き上げるのに1分もかかっていました。)

 客の注文が入るとまずバンズを焼き上げそのバンズにUHCから取り出したミートパティとコンディメントを組み合わせて提供します。

この高速トースターの開発により電子レンジを排除することに成功したのです。

 この開発の初期にはマクドナルド社の店舗運営を研究するCore Innovation Centerのボブ・マーシャル(Bob Marshall)とラルフ・デッカー(Ralph Decker)が担当しました。彼らは研究室にマクドナルドの原寸大の厨房を作り上げそこでオペレーションの研究をしたのです。

次にマクドナルド機器開発部のジェリー・サス(Jerry Sus)とトム・イーワールド(Tom Ewald)が加わり、調理機器メーカーのフライマスター社をパートナーとして開発を開始しました。

 UHCの開発目的は一つの保温庫で複数の商品を保存できると言うフレキシビリティでした。

 高速トースターの開発も大変でした。従来マクドナルド社にフィレオフィッシュ用のバンスチーマーを供給していたアンチュネス社(A.J. Antunes)に担当させました。

この開発の成果は1996年のマクドナルド社のフランチャイジー向けコンベンションで公表され、1999年から店舗に導入が開始されました。

 マクドナルド・コーポレーションはシカゴでレイ・クロック氏が創業しました。レイ・クロック氏はマクドナルド・コーポレーションを創業する前は、シェイクのミキサーを販売していました。

 ロサンゼルス郊外のサンベルナルドという町から大量のシェイクの注文があったので、興味を持ったクロック氏がお店を視察しに行って出会ったのがマクドナルド兄弟の作ったハンバーガーショップだったのです。

 そして、感激したクロック氏はマクドナルド兄弟のハンバーガーショップのフランチャイジーになり、シカゴ郊外に1号店を開店し、後に兄弟からマクドナルドハンバーガーのノウハウと商標を買い取ったのです。

 その1号店は博物館として保存されて公開されていたのですがたびたびの水害に会い、閉鎖しています。

 クロック氏は東欧出身のボヘミアンで、元々はピアノの演奏家でした。

シカゴは古い町でヨーロッパからの移民が多く居住し、それぞれの出身国の人たちでコミュニティーを作っていました。いまだにボヘミア料理の店が多いのもシカゴの特徴です。ボヘミア料理で有名なのはソーセージで、その影響か、シカゴには有名なシカゴ・スタイル・ホットドックがあります。

 ニューヨークのホットドックはグリルで焼き上げますが、シカゴスタイルは蒸しあげるのが特徴です。JTが以前提携して日本で数店舗出店した、ポチュロというホットドック屋がシカゴで最大のホットドックチェーンです。

 さて、クロック氏はマクドナルド創業後、シェイクのミキサーを製造していた会社を買い取り経営者になり、マクドナルドの調理機器を供給するようになったのです。

マルチミキサー(Multimixer)を製造していたプリンス・キャッスル社です。後にその会社は独占禁止法を考慮し経営権を手放しましたが、調理機器の会社を経営した経緯から氏は調理機器の開発に大変興味を持っていました。

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続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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