マックの裏側 第16回目 マクドナルド創業メンバーが語る秘話

マクドナルド時代の体験談

 2001年7月にジャスダック上場した際,故・藤田田氏は新規公開の創業者利益の恩恵を受けた。ご子息達は新規公開株の課税特例を受けられず、その結果納税額は父を上回ることになった。

 藤田元氏売却520万株、藤田完氏売却500万株、故・藤田田氏売却400万株、2001年分所得税番付では、株式売却益で親子3人で3位から5位にランクインし、藤田元氏33億7000万円、藤田完氏32億7000万円、故・藤田田氏21億6000万円の納税となっていた。(2001年分の全国 所得税 高額納税者上位100人より 朝日新聞平成14年5月16日夕刊より。)当時の株式売却益の税率は10%と低く、それから逆算すると御子息二人の継承した資産は600億円近い膨大な額だ)。 その後の故・藤田田氏の遺産は約500億円と言われており、故・藤田田氏の金儲けの才能には目を見張る物がある。

 2002年3月の有価証券報告書時点で,米国サイドは株式を50%所有し、故・藤田田氏は
157,700株11.86%所有していた。藤田元氏と藤田完氏はそれぞれ100,000株7.52%づつを所有していたが年度末にほとんど売却したと2002年3月の有価証券報告書に記されている。(ちなみにその期の株価最高は5080円で最低は2820円と記されている)
 
 米国マクドナルドが故・藤田田氏を嫌ったのは、日本の株式上場と、マクドナルドと藤田家の管理する企業との不透明な金の流れのようだ。

 2003年有価証券報告書で、藤田商店との役務契約解除(売上の0.5%)で約63億円支払い。 藤田商店と藤田元氏,藤田悦子氏(故・藤田田氏夫人)との賃借関係解消などを開始したと述べられている。配送業者のフジエコーは輸入品価格の2.5%を株式会社デン・フジタに支払う等明記。その前後の有価証券報告書 等で 藤田商店や、デン・フジタ、藤田興産などの複雑な利害関係が明らかになる。

 故・藤田田氏の死後、ファミリーが所有していた膨大な株処理が課題となり、2005年7月に香港のファンド・ロングリーチに推定総額750億円で売却した(藤田ファミリーは2005年6月末で日本マクドナルドの27%近い株式を所有していたようだ)。

 そして2017年で藤田家関係の企業と日本マクドナルドの金銭的な関係が完全に消え去った。日本マクドナルドと藤田商店や、デン・フジタ、藤田興産など藤田家サイド企業との複雑な利害関係は大分整理されてきたが最後まで残っていたのが、日本マクドナルドが店舗や、事務所、社員の社宅を藤田家関連の企業や個人から借りていたことだった。その藤田家サイドが所有していたり賃貸していた不動産をすべて第三者に売却させたのだった。これにより日本マクドナルドと藤田家側との一切の取引は終わった。その詳細は有価証券報告書に詳細に述べられ、HPに掲載されていたが、2017年末にそれらのコメントが消去された。

 以上のように、故・藤田田氏と藤田商店や家族が株式をほとんど売却し、その結果、故・藤田田氏の痕跡はマクドナルドの社内に残っていないが、金儲けの天才であった。でもその富の蓄積の裏には故・藤田田氏の綿密な準備があった。その点を見てみよう。

 日本マクドナルドは米国マクドナルド社と藤田田氏の合弁会社であった。正確には当初米国が50%、藤田田氏側と第一屋製パンの25%づつの出資であった。そして、第一屋製パンから2人の社員を移籍させて、食の経験のない故・藤田田氏のサポートをさせた。

 第一製パンをパートナーに迎えたのは、故。藤田田氏には食の経験が全くなかったからだ。第一製パンの役割は2つあった。ハンバーガーに使うバンズの製造と配送。そして、食材を製造業者から集め、その食材の保管と配送を担う、カミサリーシステムだ。ファミリーレストランのセントラルキッチンと似ているがちょっと異なる。セントラルキッチンは、食材の調理の集中加工を行い、店舗に一括配送し、店舗にはベテランの調理師をなくしたことにある。もう一つ、集中加工により、原材料価格が大幅に低下することである。ただし、セントラルキッチンへの設備投資が高く、自前の配達網もコストが高いことだ。ファミリーレストランが日本で誕生したころは、食品メーカーの加工技術と能力がひくかたため、自前で加工する必要があったからだ。現在は食品メーカーの食品加工技術と生産能力が向上し、専門の食材メーカーから仕入れ、配送も委託するほうが、品質が良くコストも有利になってきている。
 マクドナルド等の米国型ファストフードは食材メーカーに仕様書発注し、指定の倉庫に配送させる。指定の配送業者が店舗ごとの発注をまとめ、各店舗にまとめて配送する。食材の受発注や支払いも代行する。店舗では、食材の最終調理を行う。この方式はカミサリー方式と呼ばれ、米国のファミリーレストランよファストフードで採用されている。セントラルキッチンや自前の配送網を構築する必要がなく、コスト的に有利だ。食材は、常温、冷蔵、冷凍に分け、別々に配送する。

 第一屋製パンは、バンズの製造配送と、3温度帯の食品を配送する。マクドナルドは全国展開するので、東西に製造拠点が必要であった。パン工場は中小企業保護の観点から、中小企業庁による出店規制があり、新設はほとんど無理だ。そこで東京と大阪に製パン工場を持つ第一屋製パンに、出店の多い関東地区、関西地区、の本州を担当させ、九州、北海道、沖縄などは、地方のパン工場に製造配送を委託した。

 その製パンと配送を担える第一屋製パンは最適のパートナーであった。しかし当初は店舗数が少なく、採算の点から、マクドナルドの競合のロッテリアのバンズの製造供給を開始した。また、大株主の意識から、品質に対する向上要求にこたえなかった。

 また、店舗、調理機械設計担当の第一屋製パンから転職した、施設部の故・N氏の専横さに故・藤田田氏が不満であった。施設部は、調理機器設計・店舗設計、発注先業者選定、施工管理、のすべてを管理した。発注先選定は、相見積もりを取った競争でなく、あらかじめ業者を決めた随意契約であった。故・N氏は米国技術責任者の、天才技術者のシンドラー氏に取り込み、シンドラー氏が来日の時は業者に派手な接待を行わせていた。故・藤田田氏は、故・N氏が業者からリベートを貰っているかもしれないと疑った。しかし、開業当初は、第一屋製パンに依存せざるを得ず、具体的な対策ができなかった。 第一屋製パンが競合のロッテリアとの取引を開始したり、あまりよくない品質改善をしないことから、故・藤田田氏は、最初は食材配送の業者を中小企業の配送業者に変更した。バンズも名古屋の大手フジパンに変更した。そして、第一屋製パンから株を買い取り、50%の持ち株比率とした。フジパンには富士エコーというディストリビューター(カミサリーと配送センター、受発注、支払い、配送網)を作らせた。フジエコーは輸入品価格の2.5%を株式会社デン・フジタに支払うとして、各業者からのリベートをまとめた。

 それから、会社の組織改善に取り組んだ。その一つが、大蔵省傘下、国税局から迎い入れた、元地方国税署長経験者の伊勢田巧氏であった。伊勢田巧氏の役割は3つあった。

 第1に社内の金の流れを把握し、不正が起きないようにする。そのために監査室を作り、その室長についた。そして店舗はじめ各部を抜き打ち監査する。 さらに決済システムを明確にするために、稟議システムを作り、何か購入したり支出をする際に稟議書で関係各部の承認を受けるというものだ。この稟議書には必ず監査室の決裁印が必要になっていた。

 第2に施設部を店舗設計施工管理をする設計監理室と機器開発部に分けた。また購買部を作った。外部の業者に店舗施工を依頼する場合、設計監理部が設計をして業者選定と発注を購買部が行うという仕組みだ。これにより、特定の業者との癒着を防ぎ、相見積もりにより、コストが大幅に下がった。ただ、当初建築で仕様や管理法が明確でない場合が多く、相見積もりで慣れない業者を価格のみで選定した結果、店舗の完成度が低く、3年ほどは苦労した。当時大型店の江の島店等は特注の材料も多かったし、設計の標準化も行っていなかったこともあり、総コスト2億円ほどかかったが、最近では1億円少しで出来上がるようになった。当時、環八高井戸店、江の島店、京葉小松川店などのドライブスルー店を作ったが、店舗建築コストが高額で、売り上げの低い京葉小松川店などは大幅な赤字を出してしまた。当時は競合のすかいらーくがコストの低い標準型店舗を、人口急増の東京郊外の三多摩地区に大量出店しており、それに対抗しようとドライブスルー店を急増させていたが標準化のしていなかったマクドナルドのドライブスルー店舗では採算が合わなかった。

 第3が、国税局の税務対策だ。故・藤田田氏はマクドナルドの展開に連れ派手にマスコミに取り上げられたし、百貨店への高額な輸入ブランドの販売など、目立っていた。当時は毎年のように税務監査を受けていた。特に目をつけられたのが、日本マクドナルドの売り上げの1%を藤田商店にロイヤルティーとして(役務契約。当初売上の1%後に0.5%)を支払うことだった。このロイヤルティとフジエコーが納める輸入品価格の2.5%が故・藤田田氏への報酬となれば、高額な累進課税の所得税を徴収できる。
 故・藤田田氏は脱税などのブラックな脱法行為は継続できないと嫌がった。しかし真っ白な行動では利益が出ないと思っていた。税法は白黒のはっきりしないグレーゾーンが常にある。グレーゾーンを税法解釈でホワイトに変えれば莫大な利益が出る。伊勢田巧氏の最重要課題はこのグレーゾーンをできるだけホワイトに変えることだった。官庁からの出向や転籍者は基本的に出身省庁を見ており、企業サイドに立って不正を行わうことはなかった。

 さて監査室の店舗監査と伊勢田巧氏の人となりを見てみよう。店舗への監査は抜き打ちで各帳簿や店舗内の各所を細かくチェックする。よくあるのは店舗机の引き出し内にある、小銭と印鑑だ。床に落ちていた小銭を机の引き出しに保管し、当日のレジ締め際に不足する現金がある場合それを使う。その会計操作が不正の温床になるとして、1円でも不明金として提出させた。また印鑑は、架空アルバイトを作って横領できるため不明の印鑑はチェックされた。店舗だけでなく各部も厳しい抜き打ちチェックした。2019年10月に発覚した、日本マクドナルドIR部統括マネージャーの7億円横領事件など信じられない。
https://www.asahi.com/articles/ASMBT3SHFMBTUTIL00J.html
https://news.livedoor.com/article/detail/17306610/
https://www.mag2.com/p/news/421551

 国税局出身者の伊勢田巧氏は、自分の経歴をひけらかして威張ることもなく、店舗の我々にも優しく丁寧に接してくれた。私が米国店舗の責任者として米国にいた時も店舗監査に来た。監査後私の家で夕ご飯を共にした。カリフルニアワインを出したのだが、その頃そんなに裕福でなかった私は、1ガロン(3.785L)数ドルのテーブルワインを出したら、苦笑いしながら気楽に飲んでくれた。国税局の重要な仕事に一つに酒の鑑定がある。酒類指導官・鑑定官という仕事だ。酒鑑定には税務署長も参加する。そのため、伊勢田巧氏は通常最高級の酒しか飲まないのだ。それを知らない私は大恥をかいたのだった。
https://www.nta.go.jp/about/recruitment/gijyutsu/gyomu/index.htm
https://www.nta.go.jp/about/organization/tokyo/sake/seminar/h19/01/01.htm 
https://www.youtube.com/watch?v=q9l9xsUSW6I

 伊勢田巧氏は我々マクドナルド社員には大変腰の低い方であったが、海外出張の時にそのすごさがわかった。日本マクドナルドのメインバンクがシリコンバレーに店舗を構えて、2名の日本人銀行員が常駐していた。伊勢田巧氏がシリコンバレー店舗訪問の連絡が日本の銀行本社からあったようだった。彼らは空港の送り迎え、食事の接待、ゴルフの接待と、物凄い丁重な扱いだった。国税庁というのは銀行にとって監督官庁であり、丁寧な接待が必要不可欠なのだ。伊勢田巧氏の凄さ,偉さを垣間見たのだった。

 もう一つ印象に残ったのは伊勢田巧氏の作り上げた稟議システムだった。普段は腰の低い伊勢田巧氏だか、稟議システムで必ず監査室を通すようにして強い影響力を持った。稟議書を起案して提出すると自動的に関係各部を回り決済される。時々決済が止まることがある。監査室のテーブルに上がるが、監査室の伊勢田巧氏と良好な関係がないと印を押さないのだ。私はやむなく、伊勢田巧氏を訪問し、お願いせざるを得ないときがあった。この稟議書システムにより伊勢田巧氏は強い影響力を維持した。

 この稟議書システムは、官庁で当たり前である。コストが下がるが、殆どの関係者の印があると、だれに責任があるかわからないようになることだ。官庁は減点主義であり、成果よりいかに責任を取らなくてすむかを重視する。日本の企業が社内の組織をきちんとしようと、関係官庁や銀行から人材を受け入れることが多いが、注意しなければいけないのはだれが責任をとって、素早く進めるかである。日本の稟議システムでは海外企業と仕事できない。ビジネスで外国企業の担当者と打合せし、金額が出て、持ち帰り、稟議書を回して決済すると時間がかかりすぎ、相手に逃げられてしまう。私が調理機器開発で、米国企業から数億円の調理機器を購入する交渉で、この稟議書システムでは交渉できない。そこで事前に想定の購入金額以内であれば即答し、金額が確定後再度稟議システムにかけるようにして対処した。相手米国企業の対応者は日本の意思決定を知っており、私の即答ぶりに驚いていた。

 さて、故・藤田田氏が社内組織でもう一つの改革を行った。購買部の新設と、店舗開発部の部長の採用だ。故・藤田田氏はすべての立地調査と家賃の最終交渉に関与していたが、業務が増えすぎ店舗開発部長を必要となった。故・藤田田氏の当時の片腕が、藤田商店から移籍した、総務部長の安藤宇八氏であった。当時の総務部は、人事部、経理部、総務部の兼任で莫大な権限を持っていた。安藤宇八氏は藤田商店がトランジスターラジオの輸出を行っていた経緯から、日本無線という企業出身の関西人だった。その安藤宇八氏がスカウトしたのが日本無線出身の故・下河辺氏と伊藤氏だった。故・下河辺氏を購買部長に据え、伊藤氏を店舗開発部長に据えた。この2つの部署は莫大な金の流れを管理する部署であった。故・藤田田氏は伊藤氏を店舗開発部に迎えた後も、自身ですべての新店舗の設定と家賃設定を見ていた。購買部と食材調達の富士エコーは大変重視し、藤田商店の藤田完氏に関与させていた。富士エコーの発足当初はフジパン出身者が社長であったが、後に安藤宇八氏を社長にした。故・藤田田氏は購買部を重視しており、2代目社長となる八木康介氏を社長就任前に購買本部長につけていた。

続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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