マクドナルド不振の理由と現状 第1回目 2023

マクドナルド時代の体験談

 日本マクドナルドは、3代目社長の原田泳幸社長が退任し、現社長のサラ・カサノバ氏に引き継いだ後の、2014年7月にチキンマックナゲットの中国製造業者の不衛生な管理で評判が落ちた後、2014年月末から、2015年正月にかけての異物混入で、大打撃を受け巨大な赤字計上店舗数1000店舗あまりの閉店と改装という荒療治後、劇的な回復を示しています。ただマクドナルド関係者はたいへん口が堅く、真相がよくわかりません。私は以下にあるようにマクドナルドに20年弱在籍し、その後ファストフード企業のコンサルタントとして独立しました。私の経験から問題の真相をご説明しましょう。過去数回に分けて書いていますが、新たに加筆しました。

1)日本マクドナルドの開業時昔話

 日本マクドナルドは藤田田(藤田商店含む)と米国マクドナルドコーポレーションの50%づつ出資と思われていますが、実は当初は、米国マクドナルドコーポレーションが50%、日本側は第一製パン(創業者の故細貝社長が当時経営トップ)と故・藤田田氏の個人企業の藤田商店と25%づつの出資による合弁会社としてスタートしました。

 1号店というと銀座と思われていますね。でも実は、幻の1号店があるのです。米国マクドナルド社は郊外型が基本でした。海外はまずカナダ、次が日本でした。米国は東京郊外を主張し、神奈川県茅ヶ崎市の海岸沿いに米国デザインのドライブインのお店を開業しようとしました。

 合弁日本サイドの第一製パン製パン会社出身の店舗開発担当の方が担当でした店舗開発に慣れていないため、出店規制を知らなかったようです。茅ヶ崎や江ノ島を中心とする海岸沿いは景観と砂浜保護が厳しく、営業しては行けない地域と知らなかったのです。

 建物は完成したのですが営業許可が下りず、1号店を銀座にしたのです。それが日本マクドナルド社の大躍進につながったのは、幻の1号店失敗の怪我の功名なのです。

 この幻の1号店は30年ほど建物が放置されていました。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1303L_U1A710C1000000/
http://www.nikkeibookvideo.com/item-detail/26208/
 商品の歴史
http://news.mynavi.jp/articles/2010/02/16/macchronicle/

 ちなみにマクドナルド社が日本進出する数年前に、茅ヶ崎に当時米国マクドナルド社より大きなチェーンだった、バーガーシェフ社が不二家と提携し派手に開店しましたが、日本の車社会は米国ほど成熟していなくすぐに閉店でした。日本マクドナルド社も茅ヶ崎に開店していたら、今はなかったかもしれません。
http://careerconnection.jp/biz/studycom/content_756.html
http://spysee.jp/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0/1946188/profile

 同じくハンバーガーチェーン大手のバーガーキング社にレストラン西武(現・西洋フードコンパスグループ)が提携交渉していたのですが、日本の牛肉価格などの高さから、米国サイドが断り、レストラン西武はその代わり自社のハンバーガーチェーン・コルネットを展開し、チェーンオペレーションを学ぶため米国ダンキンドーナツと提携したのです。(西友の優秀な課長が担当し、そのノウハウは後のファミリーマートに生かされています。
http://www.seiyofood.co.jp/company/history
http://ss-foodlabo.com/knowledge/nenshi.php?nen=2

 ちなみに関東で最初のハンバーガーは六本木の ザ・ハンバーガー・インです。
http://blogs.yahoo.co.jp/julywind727/10133901.html
http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13040305/
http://r.gnavi.co.jp/j4vka8am0000/
http://roppongi.keizai.biz/headline/985/
http://e-food.jp/roppongi_blog/archives/2004/12/post_8.html
http://alao.cocolog-nifty.com/the_eye_forget/2005/12/3_71d9.html

 深夜まで営業しており、夜は洋パン(現在は死語で外人専用の娼婦の意味)のたまり場のいかがわしい店でした。

 六本木はピザの発祥のニコラスもありました。両店ともにいかがわしい人であふれていました。ちなみに日本でピザにタバスコをかけるようになったのはニコラスの影響でしょう。米国では真っ赤な鷹の爪が一般的です。
http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13015114/
http://www.nicolas-pizzahouse.com/

 ニコラスの当時の雰囲気は本「東京アンダーワールド」を読むとわかります。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/404247103X
http://e-food.jp/roppongi_blog/archives/2004/11/post_3.html
http://www.ne.jp/asahi/rover/sfx/books/0205/b020522.htm
http://www.slownet.ne.jp/sns/area/culture/reading/issatsu/200510051807-3000000
http://allabout.co.jp/gm/gc/214830/

 横浜のハンバーガーは 関内の舶来屋がありました。
http://hamburger-jp.seesaa.net/article/392275777.html

2)日本マクドナルド不振の経緯

<1>異物混入関連

2014年夏に中国でチキンナゲット製造企業が消費期限問題発生でマックとKFCは大打撃を受けました。マックは日本でも使っていて、ファミリーマートもとばっちりを受けました。

 このメーカーは『上海の食肉加工会社「上海福喜食品」で、使用期限を半月過ぎた鶏肉やカビが生えた牛肉を使っていたことが発覚し政府の摘発を受けそれがテレビで大々的に流れました。
 日本マクドナルドは販売するナゲットの約2割を上海福喜から調達し、取扱店舗は全店の約4割に当たる約1340店で、約500店では全面的にナゲットの販売を停止しました。。ファミリーマートも約1万店で販売していた「ガーリックナゲット」と、21日に東京都内など10店で試験販売を始めた「ポップコーンチキン」の取り扱いを中止です。上海の放送局が20日夜に使用期限を過ぎた鶏肉や牛肉を使っていたことを暴露。中国ではマクドナルドやケンタッキーフライドチキン(KFC)の現地運営会社が上海福喜から仕入れていたそうです。』

 上海福喜は米国食肉大手のOSIの子会社です。OSIはマックの最大手の食肉サプライヤーで、日本にも四国に工場を合弁で持っているので、日本マックは大変でしょう。日本マックは「弱り目に祟り目』でした。

報道
http://www.asahi.com/articles/ASG7Q571RG7QULFA01K.html
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/07/post-3338.php
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDC2200H_S4A720C1MM8000/
http://www.mynewsjapan.com/reports/1760
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/22/husi-food-scandal_n_5611481.html?utm_hp_ref=japan
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0FR0D520140722
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303828304580044251362242816

OSI情報
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0FR0D520140722
http://www.osigroup.com/

日本のOSI
http://www.obfoods.co.jp/


http://sonicch.com/archives/39267128.html
http://blog.esuteru.com/archives/7781331.html
http://www.akb48matomemory.com/archives/1006392577.html
http://annex2ahouse.blogspot.jp/2014/07/blog-post_23.html
http://www.kimasoku.com/archives/7781021.html
http://blog.livedoor.jp/futuer_thinking/archives/mac-niku.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1406022630/

 O.S.I.は元 Otto & Sonsという名前で、シカゴに本社を構えるマック創業時からの、優秀なサプライヤーで、イリノイ州 Auroraに本社と巨大な工場を持っています。
http://www.forbes.com/companies/osi-group/

 OSI Groupとして事故当時年商$5.9 ビリオンドル(1ドル100円として5900億円の)巨大な売上を誇る、マクドナルド最大級のサプライヤーです。1909創業で現在のCEOは Sheldon Lavin さんで、非上場企業です。従業員数は19,500人でForbes によると全米の個人企業として規模は62番目だそうです。加工商品は、元々は牛肉100%のハンバーガーだったのですが現在はベーコン、ホットドッグ、ピザ、魚、鳥、野菜等幅広く扱っています。

 マックや大手ファストフードの海外進出に対応して現在は工場が海外も含めて(日本は四国)17ヶ国にあり、その国と輸出を含めて85ヶ国に供給しています。最近は急成長する中国外食産業(中心はKFC親会社のYUMが400店、マックが1000店)に対応し工場を10カ所ほど運営し、750ミリオンドル(約750億円)かけて、世界最大最新の工場を建設中です。

 私はずいぶん以前にOSIと仕事をした際のCEOの Sheldon Lavin さんに
お会いしたことがあります。シカゴの昔の伝説マフィア、アル・カポネを
彷彿とさせる格好の良い方で、葉巻をこよなく愛しています。仕事の後
ダウンタウンの高級ステーキハウスMortonsに連れって行ってくれた思い出があります。米国のレストランは禁煙ですが、バーはOKです。Mortonsにはシガーバーを備えており、それが気に入っていたようです。
http://www.mortons.com/

 取引先の幹部は勿論、自社の社員従業員も大切にします。投資にお金を惜しまず、成果を上げた従業員は大事にする方で、今回の事件は信じられません。2年ほど前のKFCで使用する鳥の抗生物質過剰投与事件に引き続いた、今回の事件。マスコミの中には、政治的な意図的な外資攻撃でないかとみる見方も出ています。

写真は
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=682230488520456&set=pcb.682232391853599&type=1&theater

 2015年1月6日にチキンナゲットに異物問題発生しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150106-00000500-san-socihttps://imode.net/imail/oexaf/ahtm/index_f.htmlhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150105-05092439-webtoo-l02http://news.yahoo.co.jp/pickup/6144912http://papipu2ch.blomaga.jp/articles/63172.html

 青森県の1店でチキンマックナゲットにビニール片のような異物の混入が確認されたことと、12月31日、東京都江東区の「東陽町駅前店」でビニール片のような異物が混入していたと店員に申し出ていた件です。

 マクドナルドでは製造現場では、色のついたビニールを使用していると発表し、同一ロットのナゲット販売中止しました。でも、東京の場合は白か透明なので、同一工場で同一日に製造されたナゲットの使用中止の措置などは取らないとしていました。

 問題は店舗がその現物を保管もしなかったし本社に報告もしていなかったことです。店舗でのオペレーションは大分荒れているようです。
 マクドナルドは、リストラをやり過ぎ、過去の経験を話せる語り部がいないようだ。日本人役員も店舗経験の無い人が多く、実情をわかりやすく説明できないかもしれない。また外部委託が多いので(今回の品質管理も外部委託にしてしまったようだ)社内で対策を把握できず、今回のような正月の時期には説明できないのかもしれません。

売上動向
https://www.youtube.com/watch?v=eii5U5_OQYQ

2016年12月期上半期決算発表
https://www.youtube.com/watch?v=O3_rXN3enOU

異物混入
https://www.youtube.com/watch?v=hmCN–NzRKU

 CEOサラ・カサノバ氏出張時の取締役による記者発表(マスコミは批判的)
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/354152/
http://www.j-cast.com/tv/2015/01/08224805.html

 青木岳彦取締役と菱沼秀仁取締役のキャリア
http://www.mcdonalds.co.jp/company/outline/gaiyo.html

 日本マクドナルドホールディングス役員
http://www.ullet.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9/%E5%BD%B9%E5%93%A1

日本マクドナルド役員
http://www.mcd-holdings.co.jp/news/2014/release-140219b.html

日本マクドナルド 日本人役員
https://swot.jp/company/officer-detail/5035/

 マクドナルドのOBとして、過去どんな対策を真剣にしてきたか、代弁したいと思います。私はマクドナルド時代、店舗からのたたき上げで、店舗管理が中心であったのですが、平行して品質管理に深く関与していた経験があります。
 その経験を元に岩波書店から「失敗に学ぶクレーム対処術」という本を執筆しているのでご参考いただきたいと思います。
 
岩波アクティブ新書  http://www.iwanami.co.jp/
電子出版  http://www.papy.co.jp/act/books/1-24680/

 その本に詳しく書いているのですが、当時のグリドルの清掃の方法が悪く。研磨剤の金属片がハンバーガーに混入しお客様の消化器内で発見された経験があります。対策にはその数年が必要で、研磨剤なしで安全な薬品で清掃するようにしたのです。

 その部分を紹介しましょう。『 私のクレーム処理最大の失敗は、異物混入のクレーム処理で、サラリーマンが絶対にやってはいけないこと、「社長を謝りに行かせる」でした。クレーム処理はあっという間に終了しましたが、問題が二度と発生しないような対策を二年間徹夜でとるという過酷な仕事が待っていました。私がスーパーバーザー(数店舗の監督、以下SV)時代のことでした。お客さんがハンバーガーを食べたところ、喉に針が刺さって入院しているというクレームが入りました。私はすっ飛んでいきました。レントゲン写真を見ると、確かに喉に針状の金属が刺さっています。現物はステンレスの細い針で、よく見てみると、ハンバーガーを焼き上げるグリドル(フライパンの代わりに使用する厚さ三センチ、幅一・五メートル、奥行き〇・九メートルの鉄板)の研磨に使用するステンレス製の金たわしの破片でした。清掃した後に綺麗に拭き上げ、さらに翌朝また丁寧に拭き上げてから使用するのですが、どこかにミスがあったのでしょう。

 当方のミスなので誤りましたが、病院に入院中の客は納得しません。「俺の商売は屑鉄商だ。鉄屑が喉に刺さって死ぬなら本望だ」と絡み出します。どうすれば解決するのかと聞くと、「偉いやつが謝りにこい」と言うではありませんか。しょうがないので上司でなるべく年齢の高い部長を連れていったのです。
 当時の会社はまだ日本進出4年目、店舗数60店くらいで、そんなに年齢の高い部長はおりませんでした。年輩の部長を連れていっても、客は納得しません。「どうしたらよろしいのでしょうか?」と聞くと、「もっと偉いやつを連れてこい」「でも、この上は社長しかいませんよ」と言ったら、「その社長、藤田田を連れてこい」ということになってしまいました。

 まるでやくざのような言いぐさに困り果てた私は、故藤田田社長(当時、2004年4月没)に行ってくれとお願いしました。まだ店舗数の少ない時代、藤田社長は「よっしゃ」と身軽に謝りにいってくれました。病院で揉めるかと心配していたのですが、なんということはありません。握手をして「がはは」という笑い声でクレーム処理は終了です。これで良かったとホットしたのが間違いのもと、故藤田社長はそんな生やさしい社長ではありません。きっちりと「王君、ワシ、社長や、暇やないんやで」ときました。私はサラリーマンとしてやってはいけないクレーム処理をしてしまったわけです。そこで、責任をとって、金たわしを使わない清掃方法を開発させられることになってしまいました。マクドナルドに入社したての新人教育の際,グリドルの磨き方、シェイクマシンの洗浄殺菌(マックシェイクを作るアイスクリーム製造器)、フライヤーの洗浄、シンクでの器具洗浄などをやらされました。マクドナルドを外から見たときにはすべて全自動の機械を使用しているように見えましたが、実際の作業は相変わらず前近代的な手作業だったのにはがっかりさせられていました。グリドルをピカピカに磨いたり、器具洗浄を真夏にやらされたら、パンツまで汗びっしょりになります。新人アルバイトにやらせたら次の日には来ないという重労働でした。

 その新人のときのつらさと、客のハンバーガーに鉄屑が混入したクレーム事故が、私を清掃方法の改善に追い立てたのでした。幸いなことに、事故の直前、アメリカへの研修旅行の際に、マクドナルド店舗で使用している合理的な洗剤を目の当たりにして、それをヒントに洗剤で清掃する方法を開発することにしました。

 洗剤はアメリカのサンプルがあるから、それを洗剤会社の専門家に見せれば最適の配合をして、洗浄能力も優れた物を作ってくれると思ったら大間違いだったのです。アメリカと日本は水質が異なる。そのため、アメリカの配合成分をもとに日本の水にあった洗剤の開発をしなくてはなりませんでした。

また、アメリカ人と異なり日本人は品質にうるさく、アメリカ製の洗剤の洗浄能力ではOKが出ないという問題にもぶつかりました。アメリカの洗剤はグリドルの上についたカーボンを落とすだけで良かったのですが、日本の品質基準はたいへん高く、手作業で研磨剤を使い、鏡のようにピカピカになったのと同様の仕上がりでないと店舗はOKを出してくれません。また、アメリカと日本の安全に対する考え方が異なっており、洗剤は少量でも残留する可能性がある以上、配合成分にすべて食品添加剤として認定されているものを使用しないと安全でないという厳しい要求が出てきました。

 私は洗浄能力などは何か汚れのサンプルを使用して、機械で自動的に計算できると思っていたのですが、どうもそうではないということがわかってきました。店舗の調理機器で一定量の調理をして作った汚れを研究所で再現することが不可能なのです。つまり、店舗で実際に使用した後に機械の洗浄を行って評価しなくてはいけないのです。洗剤メーカーに「じゃ店舗で再現して清掃テストをしてよ」とお願いすると、洗剤メーカーは、「それは現場の作業を熟知している人がやらないといけないですよ」と言う、つまり、私にやれということなのです。現場の作業を熟知している同じ人が作業をして、評価をしなくてはなりません。なんと、私が毎日清掃作業を行って洗剤の評価をするはめとなりました。

当時の担当店舗は盛り場にあり、閉店時間が9時、10時、11時と異なり、清掃を一晩に3回もできます。そこで担当店舗を毎晩3店回り、グリドルの清掃作業をしました。実験と試作を繰り返すグリドルクリーナーの開発には2年間、しかも徹夜の作業が必要だったのです。お陰で洗浄作業は会社で一番うまくなってしまったのです。今でも目隠しをしても掃除ができるくらいです。

 しかし、洗剤ができれば終わりというわけにはいきません。他の洗剤のいろいろな問題も出てきて、すべての洗剤を開発する必要に迫られ、足かけ5年の歳月が必要でした。しかし、この洗剤の総合開発により、世の中に食中毒が増えた現在でも、事故を起こさず、完璧な衛生管理を行うことができているのです。
 クレーム処理というのは、その場の処理よりも、同じクレームを出さないようにするのにたいへんな努力が必要なのだと実感したのでした。

 グリドルクリーナーはあまりに良い洗剤で、特許が成立しました。特許は開発した洗剤メーカーが取得しました。もちろんこの洗剤の開発は私が担当しており、マクドナルド向けの専用洗剤でした。ところが、この洗剤メーカーはグリドルクリーナーを競合のハンバーガーチェーンに販売していたのです。「それは契約違反ですね」と担当者に確認したら、「そんなことはしていません」と言いはります。私は各チェーンに友人がおりましたから、店舗で洗剤を使用している写真を撮影し、メーカーを訴えることにしました。真っ青になった洗剤メーカーは他社に販売しないことを約束し、その証として特許をマクドナルド社に譲渡することになりました。

 グリドルクリーナーには、こびりついたカーボンを簡単に落とし去る能力があるのですが、アルカリ成分が高く、目に入ると失明する危険がありました。そこで、使用する際には使い捨てのゴーグルを使用するようにマニュアルを設定し、教育に当たっていました。15年ほど無事故でしたが、ある店舗で、アルバイトがそのマニュアルを守らずにグリドルクリーナーを使用し、運悪く目に洗剤が入り、失明の危機に陥りました。

 これは、使用マニュアルを守らなかったアルバイトが悪いのですが、そのたった一件の事故で、会社は大事なアルバイトに万が一のことがあるような洗剤を使用してはいけないと使用を中止しました。それから、あわてて、安全な中性の洗剤を開発することになったのです。このグリドルクリーナーはよくよく問題があるのですね。クレームが発生してから、完全に解決するまでに足かけ20年ほどの日時が必要だったのです。』

 マクドナルド時代の開発・マクドナルドの洗剤
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-03.html
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-04.html

 その他、異物が出ないようにシステムを改善してきた。私が在籍時代、1980年代後半には、店舗厨房には包丁・まな板は存在せず、缶詰も使用していない。包丁は歯が欠けて異物になるし、手を切るとブドウ球菌による食中毒の原因になるからだ。缶詰の場合は缶詰の蓋を切る際に金属屑が発生するからだ。プラスチック容器を切るはさみや、ホッチキスも厨房には置いていない。ケチャップも切り屑でる缶詰や、ガラス破片の原因となる瓶を使用せず、手で開けられるプラスチックなどの容器に入れていた。以前はタルタルソースに入れるタマネギは店舗で刻み,混ぜていたり、チーズのスライスを電動カッターなどでカットしていたが、全て工場加工にした。

その結果、異物混入は古いデーターですが、1986年の2月で2件、通常は倍とクレームの中では少ない方でした。一番多いクレームはサービスで、異物混入の4倍ほどであったのです。
 
 年間を通すと
接客クレーム53%          
商品クレーム17%(異物混入含む)   
店内清潔さ、近隣環境問題 クレーム9%
その他のクレーム21%

位でした。

 ある牛丼チェーンの場合を見てみると
接客態度サービス クレーム  31%
提供時間、品間違え クレーム 23% 
品質、具材の量など クレーム 19% 
異物混入 クレーム      14% 
環境、衛生問題 クレーム   13%

と,意外にも異物混入は少ないのです。

 品質管理では異物混入対策は当たり前で,一番の懸念は食中毒でした。その中でも牛肉に固有の食中毒菌 腸管出血性O-157でした。私が米国に駐在していた時に事故が世界で初めて発生し、CDCが記者発表し翌日から売上が激減し、戻るまで大変大変でした。

http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-01.html
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-02.html

 そこで米国マクドナルド社は大手食品工場の品質管理の専門家を招聘し、役員にし、品質管理を徹底するようになったのです。HACCPと言う厳格な衛生管理の工場や店舗への導入から、原材料単品ごとの品質基準を明確に定め,ブラック・ブックという膨大な規格を詳細に定め、クオリティ・アシュアランスと言う品質管理専門家を育て工場のチェックを行うようになったのです。

 また、工場の製造・品質管理レベルとモラルを上げる、プロダクトカッティングと言う,他工場の同じ製品を工場の責任者と一緒に比較する仕組みを行い、プライドから品質を向上させるようにしたのです。マクドナルド従業員の工場見学や、工場従業員の店舗実習を行い、交流を深めプライドを持って品質管理をさせるようにしたのです。

 最終的な目的は工場で加熱し店舗は再加熱することでした。メイド・フォー・ユー(以前はステ-ジング)という、加熱調理後60℃以上で保温するシステムは、実はサービス速度の向上だけではなく残存菌を死滅させることでもあったのです。当時、将来は工場で全ての食材を加熱調理し、殺菌し、店舗で再加熱するという構想を持ち、当初は店舗で手作りであったホットケーキを工場で焼き上げ冷凍配送したり、チキンナゲット等のチキンン商品歯工場で上げて、店舗で再度揚げ直す。フレンチ・フライやポークパティ(テリヤキバーガーや朝食用のポーク・ソーセージ)も工場で加熱調理するという事はすでに実施しています。
 
王の原稿

「マクドナルド 調理機器技術50年史」 <前編>
http://sayko.co.jp/food104/mac1.html

「マクドナルド 調理機器技術50年史」 <後編> 
http://sayko.co.jp/food104/mac2.html

 私の外食コンサルタントの経験からも、マクドナルドの異物混入対策や衛生管理対策は,他の外食産業よりも進んでいると断言できます。唯一後退しているかもしれないのは、厳しいリストラによる従業員と業者のモラルかもしれません。

2)マックの異物混入

 マクドナルドは絶不調であえいでいますね。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6146915?fr=fb_pc_tpc
http://allabout.co.jp/newsdig/c/77970?FM=fb_20150122_12&cm_mmc=FB--20150122--12-_-null

 そうすると3代目社長の原田泳幸氏の功罪が話題に上り始めました。

ビジネスジャーナルで
http://biz-journal.jp/2015/01/post_8702.html

マックでは怪文書、ベネッセでは再就職斡旋パンフ…原田氏の破壊的切り捨て経営と糾弾され出しました。

また
原島清司マクドナルドオーナー34店全て手放す
http://kenjunomure.seesaa.net/article/408476275.html
では原田氏時代の問題点を指摘しています。

 この原田氏の功罪を見ていきましょう。原田氏時代に辞めた社員などは批判しがちなので私の経歴を説明しましょう。私はOBですが、故藤田田氏絶好調の頃に故藤田田氏に干されて退職しました。だから、故藤田田氏の頃は良かったという考えは全くなく、マクドナルドをよく知っていながら、客観的に判断できます。

私の経歴
http://www.sayko.co.jp/company/index.html#rireki
http://www.sayko.co.jp/company/work.html

 原田氏はアップルコンピューター社の日本法人社長を務めた経験がある、日米のビジネスを熟知した優秀な経営者です。その行動力は素晴らしく物事を徹底するようです。ただ、破壊力が半端でなかったようです。

 原田さんは2004年に創業者の故藤田田氏の後継者であった2代目の八木康介氏の後を引き継いでCEOに就任します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E6%B3%B3%E5%B9%B8

 原田氏は米国サイドに再建を委託されたようです。米国マクドナルド・サイドが期待したのは徹底的な故藤田田色の一掃だったようで、故藤田田氏の小飼の社員を大リストラするのに成功します。故藤田田氏の小飼の幹部社員だけでなく、フランチャイジーも対象になりました。その証拠にマクドナルドのHPには故藤田田氏の名前は一切出ていません。
http://www.mcdonalds.co.jp/company/outline/enkaku.html

 何故米国マクドナルドが故藤田田氏を嫌ったかはこれからお話ししましょう。 また、取引先業者も大幅に入れ替えました。たとえば、バンズはフジ製パンからイナベーカリー、ミートは伊藤ハムからOSI資本のオレンジ・ベイ・フーズ(バンズもミートも米国マクドナルド社創業時からの取引先)に、その他配送業者も変更したようです。ミートに関して言うと伊藤ハムはミートパティだけでなく、昨年問題になった、チキンナゲットも製造していました。現在も伊藤ハムと取引があれば、今回、中国のOSI子会社の問題の後、国産に切り替えましたと言えたのですが。残念。

OSI
http://komoro-nunobiki-tayori.hatenablog.com/entry/2014/07/25/104852http://www.obfoods.co.jp/company.html

イナベーカリー
http://www.inabakery.co.jp/company.html

 その他、従来は厨房機器も多くは国産でしたが、現在はフライヤー以外のほとんどを輸入です。洗剤も輸入しています。次に原田氏が行ったのは直営店のフランチャイズ化です。原田氏は鋭い優秀な経営者です。直営店舗をフランチャイジーに売却すると,莫大な売却益が出て、且つ、管理する中間マネージメントも不要になる事を一瞬に見透かしたのです。その中間マネージメントの人をフランチャイジー企業に片道切符で出向さたり早期退職させました。また、本社の監督能力を上げるため4つほどあった地区本部を廃止しました。そして、従来は全体の30%のフランチャイズ比率を60%にしたのです。また本社の古い役員を一掃し、経験の少ない外部の人を入れることで、原田さんの影響力を長く維持できるようになったのです。
http://sharescafe.net/37379568-20140228.html
http://toyokeizai.net/articles/-/12862?page=3

 更に店舗のリストラを行いました。PODやサテライト、ミニマックとよばれた店舗を閉鎖しドライブスルーの大型店舗にするという大胆な店舗網再構築です。小型店舗は米国マクドナルドが反対する株式上場を行うための故藤田田氏の秘策でしたから、米国サイドが嫌ったのかもしれません。

 小型店は初期投資も低く、家賃も言いなりで最初から収益が出やすい形態でした。欠点は出店先がショッピングセンターや大型小売店でしたので、売上は出店先の客数に依存し、マクドナルドのマーケティング効果が出にくいのでした。 また、調理機器が少なく大型ハンバーガーや新商品が販売しにくかったのです。そういう意味では、乗降客数の少ない私鉄沿線の小型店舗も同じ問題を抱えていました。そこで原田氏は利益のあるうちに、小型店を閉鎖するという荒療治に打って出ました。駅前店舗や小型店舗が撤退するだけだったら良いのですが、撤退後に安い家賃で競合が出店してしまいました。
http://toyokeizai.net/articles/-/3800

 現在の売上が悪いのは、中国問題や異物問題だけでなく、新店舗がないということ、総店舗数が減少していると言うことです。

国内店舗数の推移を見てみましょう
http://www.t.daito.ac.jp/~t037785/zemi_12ki/tenposu.gif

マクドナルドの発表でも
http://www.mcdonalds.co.jp/company/csr/pdf/companydata.pdf#search=’%E3%
83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E5%9B%BD%E5%86%85%E5%
BA%97%E8%88%97%E6%95%B0%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB’

 小型店を閉鎖し、初期投資額の多いドライブスルーを開店すると、利益率は低下します。昨年の2014年の決算は赤字でした。

 店舗数の減少、特に直営店舗の減少は人材面で深刻な弊害を生んでいます。マクドナルドの財産は、モラルの高いアルバイトですが、それは将来入社できるると言う希望があったからです。でも直営店舗の減少はその夢をつぶしたのです。

マクドナルドの人材育成
http://toyokeizai.net/articles/-/12503

 また社員の大リストラにより、競合の外食チェーンやコンビニに優秀な人材を供給してしまいました。現在急成長している企業には必ずマックOBがおります。リンガーハット、KFC、バーガーキング、ゼンショー(すき家、ウエンディーズ)、回転寿司チェーン、コメダ珈琲等では社長や取締役。社員ではスターバックス、トリドール、モスバーガー、鳥貴族、グリーンハウス、ローソン等にも。変わったところではディズニー、USJ、ユニクロ、マルハン、もOBが。また年齢と経験の長い優秀なOBはコンサルタントとして活躍しています。人材教育、立地調査、商品開発、品質管理、広告宣伝等の分野です。

 マクドナルドは既存店不振の原因をコンビニといっていますが、それ以前の問題なのです。ただ悲惨な現状を招いたのは原田氏のせいだけではなく、ベテランの米国マクドナルド出身の米国人役員が見過ごししたせいかもしれません。

 優秀な経営者の原田氏の行き過ぎた破壊について述べましたが、その後じっくりと考えると、原田氏があそこまで徹底した破壊行為に走るのは,米国サイドの要請とバックアップがあったのではないかと思えるようになりた。古い従業員の行きすぎたリストラを述べましたが、よく調べると、バンズや食肉加工業者の大手食材メーカー、大手物流業者、大手厨房機器メーカーまで変更している。そして故藤田田氏の開発した店舗も閉鎖しようとしてい多のです。

 ハンバーガービジネスをあまり知らない原田氏のサポートとして、米国マクドナルドサイドのベテランが常駐していたので,もし原田氏のリストラが行き過ぎであったら、ブレーキをかけられたはずです。原田氏の大リストラを見ていると、故藤田田さんに対する嫌悪感以上の憎しみさえ感じます。そこで何が米国サイドをそこまでさせたのかを知るため、故藤田田氏の功罪を見てみたいと思います。

 故藤田田さんも外食畑でなく,米国の企業と輸出入の仕事で取引があり、その関係で米国マクドナルド創業者の故レイ・クロック氏と知り合い、故藤田田氏が故レイ・クロック氏に気に入られ、日本マクドナルドを合弁で創業したのです。
http://news.infoseek.co.jp/article/keizaikai_pid_15775

 当時、数多くの日本企業が米国マクドナルドに提携交渉を行い,ある企業が契約寸前でした。それは故中内功氏率いるダイエーで、故中内功氏は日本人として初めて,米国マクドナルドのハンバーガー大学で研修を行っていたのです。(この件はダイエー系の外食事業部で良く語っていたそうです。故中内功氏は米国マクドナルドとの契約を故藤田田氏にとられたことを悔しがり、独自でドムドムというハンバーガーチェーンを作り、後に急成長していたウエンディーズと提携することになったのです。)

 故レイ・クロック氏が何故大資本のダイエーとの契約を取らず、小さな企業の故藤田田氏と提携したのかは、両者とも具体的に語ってはいません。私の伝聞した内容と推測ですが、両者に共通していたのは、故郷を失っていると言うことでしょう。

 故レイ・クロック氏の両親は中欧出身の米国移民であり、故レイ・クロック氏は自伝で遊興詩人の血が流れているとしています。そして、若い頃はピアニストとして全米を歩いていました。米国マクドナルドの旧本社ビル(別棟のハンバーガー大学玄関ロビー)には故レイ・クロック氏の昔のオフィスが再現して展示していました。マクドナルドが本社を構えるシカゴ(正確には郊外のオークブルック)は古い商業都市で保守的な街です。企業のオフィスは,管理職になると個室が与えられる。しかし、米国マクドナルドの本社には、CEOで合っても個室はない。現在の西海岸のシリコンバレーのIT企業のように,パーティションで区切られてだけで、誰でも話しに行けるように40年前からなっていました。

 故レイ・クロック氏はカリフォルニアを愛し、晩年はサンディエゴに住み、球団サンディエゴ・パドレスのオーナーをしていたくらいです。シカゴ出身のアメリカ人とは思えない自由人でした。

 定かではありませんが、故藤田田氏は,半島系の在日ではないかという方もが多かったです。40数年前、創業後2年目に入社した私には、半島系在日と台湾系在日社員が多いのが印象的でした。ある技術系の半島系社員は,好き勝手な発言をしていたが、上司も怒りません。本人に理由を聞くとにやりと笑い、「俺の親父と藤田さんはよく知っているのだ」と言っていました。また、私の部下にいた半島系在日の社員が重大な規律違反をしたので、私の上司に解雇するべきだと進言したら「社長に怒られる」と受理してくれず、故藤田田氏の管轄する部署に異動させた事がありました。ロッテ製菓創業者の重光武雄氏(辛格浩)は、永住権を持つ韓国籍であり、国産ハンバーガーチェーンのロッテリアを経営する、直接のライバルですが、故藤田田氏は仲が良かったようです。故藤田田氏及び藤田商店経営のご子息にかわいがられていたある優秀な社員が、ロッテリアに転職しようとしたところ、何故かそれが直ぐに故藤田田氏の知るところとなり,故藤田田氏が激怒し、転職話が壊れたことがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86

 また有名な話で、現ソフトバンク経営者の孫正義氏が、米国留学前の高校生時代に故藤田田氏に面会し、コンピューターの勉強をする事を勧められたという話があります。最初は門前払いしていたが何回も熱心に来るので、熱意にほだされて面会したという話です。当時の藤田氏は超多忙であり、当時部長であった私でも面談の予約は難しかったのです。幾ら熱心であっても、たかが高校生に面談を許すのはありえません。孫正義氏の父上は半島系在日の有力者であり、それが面談に有効だったと考える方が適切でしょう。また、あるジャーナリストの方が取材の際に写真を撮ろうとしたら、故藤田田氏は、韓国・百済か任那の書体をバックにポーズをとり、先祖が向こうだと言ったそうです。

 また、故藤田田氏は東大法学部卒業でありながら、官庁や大企業に就職せず、個人企業を設立しました。現在は差別がないかもしれませんが、終戦直後は差別や国籍問題で官庁や大企業には就職は難しかったのかもしれません。故藤田田氏は御母堂のお話は良くしていたが、亡くなった父親はエンジニアであったとしか言いませんでした。それらを総合すると、故藤田田氏は、半島系在日か比較的に近い祖先が半島出身であったと思う方が自然でしよう。私も台湾系の在日であり、大学を出ても就職が難しく、学歴不要の外食産業に入ったという経験を持ち、出自を問わず採用し、昇進も差別しなかった故藤田田氏に大変感謝しています。
 半島系在日か祖先が半島出身であるとすれば、故藤田氏が故郷を失っている中途半端な気持ちを持ち、日本人を冷静に観察してしていたことがわかります。故レイ・クロック氏は自分と同じ故郷を失っている気持ちを察し、共感を覚えたのではないでしょうか?

この故藤田田氏の出自は日本マクドナルドの徹底した現地化に大きな影響を与えるのです。

故藤田田氏の出自に関しては、私の憶測に過ぎず、事実を確認していない事をご承知置きいただきたい。私も台湾系の在日でありそれのデメリットよりメリットの方が多かったので、故藤田田氏の出自を推測した。事実と異なったりしている場合には王まで是非お知らせをいただきたい。

<マクドナルドの店舗数と売り上げ、筆者の職歴>

マクドナルドの店舗数,売り上げ、筆者の業務経験を見てみましょう。
(店舗数と売り上げは年末の数字)

1971年(昭和46年)
1月・筆者家業の飲食業を退社,レストラン西武(現、西洋フードシステム)入社
2月・筆者ダンキンドーナツ事業部へ配属
5月・藤田商店と米国マクドナルド、合弁で日本マクドナルド㈱設立。
・筆者、ダンキンドーナツ実験店配属
6月・日本マクドナルド、ハンバーガー大学開校。
7月・マクドナルド1号店(東京・銀座)オープン。

マクドナルド
店舗数 5店舗
年商  205(単位百万円)
    
1972年(昭和47年)
1月・筆者ダンキンドーナツ3号店田無店開店時店長となる
7月・マクドナルド、関西進出1号店を藤井大丸に出店。

店舗数 19店舗
年商  1、544 (単位百万円)

1973年(昭和48年)
1月・筆者ダンキンドーナツを退社,日本マクドナルド入社
・ 日本ハンバーグ・ハンバーガー協会発足。
7月・筆者、マクドナルドファーストアシスタントマネージャーへ昇進

店舗数 39  店舗
年商  3、798(単位百万円)

1974年(昭和49年)
4月・筆者,店長に昇進

店舗数 59  店舗
年商  6、798(単位百万円)

1975年(昭和50年)
3月・筆者スーパーバイザーに昇進
12月・マクドナルド、年商100億円突破。

店舗数 79  店舗
年商  10、351(単位百万円)

1976年(昭和51年)
11月・マクドナルド100号店(大阪・針中野)達成。

店舗数 104  店舗
年商  15、119(単位百万円)

1977年(昭和52年)
4月・ マクドナルド、初の郊外型独立店(愛知・豊田)開店。
10月・マクドナルド、初のDT付帯店(東京・高井戸)開店。
11月・筆者ハンバーガー大学プロフェッサーに就任

店舗数 125  店舗
年商  22,508(単位百万円)

1978年(昭和53年)
4月・マクドナルド、新商品のクォーターパウンダー導入。
10月・ マクドナルド、全世界で5,000号店となる神奈川・江ノ島店をオープン。
11月・筆者統括スーパーバイザーに昇進、東京北部を担当

店舗数 158  店舗
年商  31、709(単位百万円)

1979年(昭和54年)
10月・マクドナルド、新商品エッグマフィン導入。200号店(東京・用賀)もオープン。

店舗数 204  店舗
年商  40、392(単位百万円)

1980年(昭和55年)
2月・筆者統括スーパーバイザーのエリアを東京西部に変更

店舗数 250  店舗
年商  50,082(単位百万円)

1981年(昭和56年)
7月・ マクドナルド300号店(横浜・元町)オープン。
11月・筆者,米国店舗の統括責任者として渡米

店舗数 284  店舗
年商  60、431(単位百万円)

1982年(昭和57年)
1月・マクドナルド、チキンマックナゲットをテスト販売。

店舗数 315  店舗
年商  70、293(単位百万円)

1983年(昭和58年)
12月・ マクドナルド400号店(大阪・戎橋)オープン。

店舗数 346  店舗
年商  84、655(単位百万円)

1984年(昭和59年)
3月・筆者、帰国、関西地区統括スーパーバイザーに就任
12月・マクドナルド、年商1,000億円突破。通算15億個めのハンバーガーを販売。

店舗数 393  店舗
年商  107、968(単位百万円)

1985年(昭和60年)
2月・マクドナルド、朝食メニューを全店に導入。
4月・筆者,関西地区運営部長に昇進
      同時に業務課、営業技術課を担当
6月・ マクドナルド500号店(東京・用賀)オープン。

店舗数 451  店舗
年商  118、832(単位百万円)

1986年(昭和61年)

店舗数 489  店舗
年商  130、385(単位百万円)

1987年(昭和62年)
1月・マクドナルド、サンキューセット発売開始。
4月・ マクドナルド、東京でフレッシュサラダの実験開始。
5月・筆者、中央地区本部発足に伴い、中央地区運営部長として転任。
   同時に業務課,営業技術課を担当。
6月・KFC、ビスケット発売。

店舗数 507  店舗
年商  143、597(単位百万円)

1988年(昭和63年)
2月・ マクドナルド、初の国内独自開発商品ベーコンマックバーガー限定発売。
10月・筆者,本社、運営統轄本部運営統括部長,兼、海外運営部長就任。
11月・ マクドナルド、プリペイカードの実験に着手。

店舗数 555  店舗
年商  152、963(単位百万円)

1989年(平成元年)
4月・筆者、運営統轄本部運営統括部長、兼、海外運営部長,兼、機器開発部長に就任
7月・ マクドナルド700号店(東京・新宿)オープン。
9月・ マクドナルド、米国玩具小売りチェーントイザラスと合弁で日本トイザらス㈱設 立。

店舗数 600  店舗
年商  162、774(単位百万円)

1990年(平成2年)
10月・筆者、本社事業開発部長就任,新商品開発に従事。

店舗数 654  店舗
年商  175、475(単位百万円)

1991年(平成3年)
5月・マクドナルド、フライドチキンのテスト販売開始。
12月・マクドナルド、トイザらス1号店(茨城・稲敷郡)オープン。
・ マクドナルド、外食産業初の年商2,000億円を突破。

店舗数   店舗
年商   (単位百万円)

1992年(平成4年)
・ トイザらス橿原店、マクドナルドと初の複合出店。
・ マクドナルド900号店(神奈川・相模原)。
4月・筆者、日本マクドナルドを退社。

店舗数   店舗
年商   (単位百万円)

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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