マクドナルドで異物混入が相次いでいる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150107-00000006-wordleaf-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150107-00002526-bengocom-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150107-00002526-bengocom-soci
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00283927.html
http://matome.naver.jp/search?q=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%20%E7%95%B0%E7%89%A9%E6%B7%B7%E5%85%A5&slot=4&sf=1
A)「チキンマックナゲット」へのビニール片混入
1)2015年1月3日の青森県三沢市店舗
青いビニール片でタイの製造工場と思われるが、工場で使っているビニール片を日本に送り、チェックする。
2)2014年昨年12月31日の東京都東陽町の店舗
乳白色のビニール片が混入していたが、ビニール片は店舗で紛失した。また報告も上がっていない。
B)サンデーの異物混入
2014年12月19日に福島県郡山市の店舗で起きた「サンデーチョコレート」へのプラスチック片の混入は、サンデーマシンの部品のようだ。
C)歯の混入
大阪府の河内長野で2014年8月26日に起きた「フライドポテト」から人間の歯が混入していた。フライしていない人間の歯であるが、どこで混入したか明確に判明していない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150107-00002526-bengocom-soci
D)ホットケーキにアクセサリーの破片混入
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00283927.html
マクドナルドが異物混入で会見 取締役おわび「歯がどこで混入したか分からない」(THE PAGE) – Y!ニュース
headlines.yahoo.co.jp
記者会見で、菱沼取締役はこの青いビニール片について、「青色の物質だったので、工場で混入した可能性がある」と説明。現在、工場内にある青い物品をリストアップして、何が入ったのかを調査しているという。
マクドナルドの発表によると、2014年12月31日には、東京都内の店舗で、チキンマックナゲットの中に乳白色のビニール片が混入していたという報告があった。このビニール片は店舗で紛失したため、何だったかは確認できていないという。菱沼取締役は「工場では着色されたビニールを使っているため、工場で混入した可能性は低いと考えている。店舗で混入したのかどうかをいま、調査している」と説明した。
また、12月19日には、福島県の店舗で販売されたサンデーチョコレートにプラスチック片が混入しており、こちらは調査の結果、商品を作る機械の部品の一部だと判明したという。
さらに、昨年8月26日に、大阪府内の店舗でマックフライポテトを購入した客から「プラスチックのようなものが入っていた」という報告があった。これについて、菱沼取締役は「あらゆる可能性を調査したが、どこで混入したのか、明確にはわからなかった」と説明。混入していたものを分析をした結果、「人間の歯ではあることがわかったが、フライをされた形跡はなかった」と話した。
王の見解
第一回目
今年に入って外食業界の大きな話題は,続々と出るマクドナルドの商品への異物混入問題だ。昨年の中国におけるチキンナゲットの工場の杜撰な管理が中国政府により摘発されてイメージが落ちたマクドナルドに追い打ちをかけるような事件だ。マクドナルド社は非難されっぱなしで、具体的にどのような対策をしていたのか発表しないので全く管理していないかと思われているようだ。何時になったらきちんと発表するのか観ていたら、いっこうに行わない。意識して発表しないのか、知識や経験の豊富な人がいないのか心配だ。このままでは昔からいい加減だったと思われてしまうので、古いOBとして意見を述べさせていただきたい。
マクドナルドは、リストラをやり過ぎ、過去の経験を話せる語り部がいないようだ。日本人役員も店舗経験の無い人が多く、実情をわかりやすく説明できないかもしれない。また外部委託が多いので(今回の品質管理も外部委託にしてしまったようだ)社内で対策を把握できず、今回のような正月の時期には説明できないのかもしれない。
売上動向
https://www.youtube.com/watch?v=eii5U5_OQYQ
26年12月期上半期決算発表
https://www.youtube.com/watch?v=O3_rXN3enOU
異物混入
https://www.youtube.com/watch?v=hmCN–NzRKU
CEOサラ・カサノバ氏出張時の取締役による記者発表(マスコミは批判的)
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/354152/
http://www.j-cast.com/tv/2015/01/08224805.html
青木岳彦取締役と菱沼秀仁取締役のキャリア
http://www.mcdonalds.co.jp/company/outline/gaiyo.html
日本マクドナルドホールディングス役員
http://www.ullet.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9/%E5%BD%B9%E5%93%A1
日本マクドナルド役員
http://www.mcd-holdings.co.jp/news/2014/release-140219b.html
日本マクドナルド 日本人役員
https://swot.jp/company/officer-detail/5035/
マクドナルドのOBとして、過去どんな対策を真剣にしてきたか、代弁したい。
私はマクドナルド時代、店舗からのたたき上げで、店舗管理が中心であったが、平行して品質管理に深く関与していた経験がある。
その経験を元に岩波書店から
「失敗に学ぶクレーム対処術」という本を執筆しているのでご参考いただきたい。
岩波アクティブ新書 http://www.iwanami.co.jp/
電子出版 http://www.papy.co.jp/act/books/1-24680/
その本に詳しく書いているのだが、当時のグリドルの清掃の方法が悪く。研磨剤の金属片がハンバーガーに混入しお客様の消化器内で発見された経験がある。
対策にはその数年が必要で、研磨剤なしで安全な薬品で清掃するようにした。
その部分を紹介しよう
『 私のクレーム処理最大の失敗は、異物混入のクレーム処理で、サラリーマンが絶対にやってはいけないこと、「社長を謝りに行かせる」でした。クレーム処理はあっという間に終了しましたが、問題が二度と発生しないような対策を二年間徹夜でとるという過酷な仕事が待っていました。
私がスーパーバーザー(数店舗の監督、以下SV)時代のことでした。お客さんがハンバーガーを食べたところ、喉に針が刺さって入院しているというクレームが入りました。私はすっ飛んでいきました。レントゲン写真を見ると、確かに喉に針状の金属が刺さっています。現物はステンレスの細い針で、よく見てみると、ハンバーガーを焼き上げるグリドル(フライパンの代わりに使用する厚さ三センチ、幅一・五メートル、奥行き〇・九メートルの鉄板)の研磨に使用するステンレス製の金たわしの破片でした。清掃した後に綺麗に拭き上げ、さらに翌朝また丁寧に拭き上げてから使用するのですが、どこかにミスがあったのでしょう。
当方のミスなので誤りましたが、病院に入院中の客は納得しません。「俺の商売は屑鉄商だ。鉄屑が喉に刺さって死ぬなら本望だ」と絡み出します。どうすれば解決するのかと聞くと、「偉いやつが謝りにこい」と言うではありませんか。しょうがないので上司でなるべく年齢の高い部長を連れていったのです。
当時の会社はまだ日本進出4年目、店舗数60店くらいで、そんなに年齢の高い部長はおりませんでした。年輩の部長を連れていっても、客は納得しません。「どうしたらよろしいのでしょうか?」と聞くと、「もっと偉いやつを連れてこい」「でも、この上は社長しかいませんよ」と言ったら、「その社長、藤田田を連れてこい」ということになってしまいました。
まるでやくざのような言いぐさに困り果てた私は、故藤田田社長(当時、2004年4月没)に行ってくれとお願いしました。まだ店舗数の少ない時代、藤田社長は「よっしゃ」と身軽に謝りにいってくれました。病院で揉めるかと心配していたのですが、なんということはありません。握手をして「がはは」という笑い声でクレーム処理は終了です。
これで良かったとホットしたのが間違いのもと、故藤田社長はそんな生やさしい社長ではありません。きっちりと「王君、ワシ、社長や、暇やないんやで」ときました。私はサラリーマンとしてやってはいけないクレーム処理をしてしまったわけです。
そこで、責任をとって、金たわしを使わない清掃方法を開発させられることになってしまいました。
マクドナルドに入社したての新人教育の際,グリドルの磨き方、シェイクマシンの洗浄殺菌(マックシェイクを作るアイスクリーム製造器)、フライヤーの洗浄、シンクでの器具洗浄などをやらされました。マクドナルドを外から見たときにはすべて全自動の機械を使用しているように見えましたが、実際の作業は相変わらず前近代的な手作業だったのにはがっかりさせられていました。グリドルをピカピカに磨いたり、器具洗浄を真夏にやらされたら、パンツまで汗びっしょりになります。新人アルバイトにやらせたら次の日には来ないという重労働でした。
その新人のときのつらさと、客のハンバーガーに鉄屑が混入したクレーム事故が、私を清掃方法の改善に追い立てたのでした。幸いなことに、事故の直前、アメリカへの研修旅行の際に、マクドナルド店舗で使用している合理的な洗剤を目の当たりにして、それをヒントに洗剤で清掃する方法を開発することにしました。
洗剤はアメリカのサンプルがあるから、それを洗剤会社の専門家に見せれば最適の配合をして、洗浄能力も優れた物を作ってくれると思ったら大間違いだったのです。アメリカと日本は水質が異なる。そのため、アメリカの配合成分をもとに日本の水にあった洗剤の開発をしなくてはなりませんでした。
また、アメリカ人と異なり日本人は品質にうるさく、アメリカ製の洗剤の洗浄能力ではOKが出ないという問題にもぶつかりました。アメリカの洗剤はグリドルの上についたカーボンを落とすだけで良かったのですが、日本の品質基準はたいへん高く、手作業で研磨剤を使い、鏡のようにピカピカになったのと同様の仕上がりでないとOKを出してくれません。また、アメリカと日本の安全に対する考え方が異なっており、洗剤は少量でも残留する可能性がある以上、配合成分にすべて食品添加剤として認定されているものを使用しないと安全でないという厳しい要求が出てきました。
私は洗浄能力などは何か汚れのサンプルを使用して、機械で自動的に計算できると思っていたのですが、どうもそうではないということがわかってきました。店舗の調理機器で一定量の調理をして作った汚れを研究所で再現することが不可能なのです。つまり、店舗で実際に使用した後に機械の洗浄を行って評価しなくてはいけないのです。洗剤メーカーに「じゃ店舗で再現して清掃テストをしてよ」とお願いすると、洗剤メーカーは、「それは現場の作業を熟知している人がやらないといけないですよ」と言う、つまり、私にやれということなのです。現場の作業を熟知している同じ人が作業をして、評価をしなくてはなりません。なんと、私が毎日清掃作業を行って洗剤の評価をするはめとなりました。
当時の担当店舗は盛り場にあり、閉店時間が9時、10時、11時と異なり、清掃を一晩に3回もできます。そこで担当店舗を毎晩3店回り、グリドルの清掃作業をしました。実験と試作を繰り返すグリドルクリーナーの開発には2年間、しかも徹夜の作業が必要だったのです。お陰で洗浄作業は会社で一番うまくなってしまったのです。今でも目隠しをしても掃除ができるくらいです。
しかし、洗剤ができれば終わりというわけにはいきません。他の洗剤のいろいろな問題も出てきて、すべての洗剤を開発する必要に迫られ、足かけ5年の歳月が必要でした。しかし、この洗剤の総合開発により、世の中に食中毒が増えた現在でも、事故を起こさず、完璧な衛生管理を行うことができているのです。
クレーム処理というのは、その場の処理よりも、同じクレームを出さないようにするのにたいへんな努力が必要なのだと実感したのでした。
教訓
よく、クレームに社長を出してはいけないといいますが、企業規模が小さく、経営者が決断力と度胸がある場合でしたら、社長自らクレーム処理に当たれば、簡単にクレームは収まるのです。クレーム処理というのは起きてから処理していては問題の真の解決になりません。二度と同じクレームが発生しないように、清掃の方法を根本的に見直すなど地道な改善が必要だということです。
後日談 1
グリドルクリーナーはあまりに良い洗剤で、特許が成立しました。特許は開発した洗剤メーカーが取得しました。もちろんこの洗剤の開発は私が担当しており、マクドナルド向けの専用洗剤でした。ところが、この洗剤メーカーはグリドルクリーナーを競合のハンバーガーチェーンに販売していたのです。「それは契約違反ですね」と担当者に確認したら、「そんなことはしていません」と言いはります。私は各チェーンに友人がおりましたから、店舗で洗剤を使用している写真を撮影し、メーカーを訴えることにしました。真っ青になった洗剤メーカーは他社に販売しないことを約束し、その証として特許をマクドナルド社に譲渡することになりました。
後日談 2
グリドルクリーナーには、こびりついたカーボンを簡単に落とし去る能力があるのですが、アルカリ成分が高く、目に入ると失明する危険がありました。そこで、使用する際には使い捨てのゴーグルを使用するようにマニュアルを設定し、教育に当たっていました。15年ほど無事故でしたが、ある店舗で、アルバイトがそのマニュアルを守らずにグリドルクリーナーを使用し、運悪く目に洗剤が入り、失明の危機に陥りました。
これは、使用マニュアルを守らなかったアルバイトが悪いのですが、そのたった一件の事故で、会社は大事なアルバイトに万が一のことがあるような洗剤を使用してはいけないと使用を中止しました。それから、あわてて、安全な中性の洗剤を開発することになったのです。
教訓
このグリドルクリーナーはよくよく問題があるのですね。クレームが発生してから、完全に解決するまでに足かけ20年ほどの日時が必要だったのです。』
マクドナルド時代の開発
マクドナルドの洗剤
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-03.html
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-04.html
その他、異物が出ないようにシステムを改善してきた。私が在籍時代、1980年代後半には、店舗厨房には包丁・まな板は存在せず、缶詰も使用していない。包丁は歯が欠けて異物になるし、手を切るとブドウ球菌による食中毒の原因になるからだ。缶詰の場合は缶詰の蓋を切る際に金属屑が発生するからだ。プラスチック容器を切るはさみや、ホッチキスも厨房には置いていない。ケチャップも切り屑でる缶詰や、ガラス破片の原因となる瓶を使用せず、手で開けられるプラスチックなどの容器に入れていた。以前はタルタルソースに入れるタマネギは店舗で刻み,混ぜていたり、チーズのスライスを電動カッターなどでカットしていたが、全て工場加工にした。
異物混入では、洗浄用のたわしが原因の場合が多い。たわしは棕櫚(シュロ)や椰子(ヤシ パーム)の皮の繊維をほぐし、針金で束ねている。繊維や針金が破損容易に破損し、異物混入の原因となることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%8F%E3%81%97
そこで,耐久力の高い米国製のプラスチックたわしをテストし採用した。その他洗剤も,容器が大きすぎると飲料用のカップなどに入れ使用するので、誤飲しやすい。洗剤類は容量の小さな使い捨ての容器に変更した。
それらの対策の結果、異物混入は古いデーターだが、1986年の2月で2件、通常は倍とクレームの中では少ない方だった。一番多いクレームはサービスで、異物混入の4倍ほどであった。
年間を通すと
接客クレーム53%
商品クレーム17%(異物混入含む)
店内清潔さ、近隣環境問題 クレーム9%
その他のクレーム21%
位であった。
ある牛丼チェーンの場合
接客態度サービス クレーム 31%
提供時間、品間違え クレーム 23%
品質、具材の量など クレーム 19%
異物混入 クレーム 14%
環境、衛生問題 クレーム 13%
と,意外にも異物混入は少ないのだ。
品質管理では異物混入対策は当たり前で,一番の懸念は食中毒であった。その中でも牛肉に固有の食中毒菌 腸管出血性O-157だった。私が米国に駐在していた時に事故が世界で初めて発生し、CDCが記者発表し翌日から売上が激減し、戻るまで大変大変だった。
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-01.html
http://sayko.co.jp/article/cyubou/95-02.html
そこで米国マクドナルド社は大手食品工場の品質管理の専門家を招聘し、役員にし、品質管理を徹底するようになった。HACCPと言う厳格な衛生管理の工場や店舗への導入から、原材料単品ごとの品質基準を明確に定め,ブラック・ブックという膨大な規格を詳細に定め、クオリティ・アシュアランスと言う品質管理専門家を育て工場のチェックを行うようになった。
また、工場の製造・品質管理レベルとモラルを上げる、プロダクトカッティングと言う,他工場の同じ製品を工場の責任者と一緒に比較する仕組みを行い、プライドから品質を向上させるようにした。マクドナルド従業員の工場見学や、工場従業員の店舗実習を行い、交流を深めプライドを持って品質管理をさせるようにした。
最終的な目的は工場で加熱し店舗は再加熱することであった。メイド・フォー・ユウ(以前はステ-ジング)という、加熱調理後60℃以上で保温するシステムは、実はサービス速度の向上だけではなく残存菌を死滅させることでもあったのだ。
当時、将来は工場で全ての食材を加熱調理し、殺菌し、店舗で再加熱するという構想を持ち、当初は店舗で手作りであったホットケーキを工場で焼き上げ冷凍配送したり、チキンナゲット等のチキンン商品歯工場で上げて、店舗で再度揚げ直す。フレンチ・フライやポークパティ(テリヤキバーガーや朝食用のポーク・ソーセージ)も工場で加熱調理するという事はすでに実施している。
王の原稿
「マクドナルド 調理機器技術50年史」 <前編>
http://sayko.co.jp/food104/mac1.html
「マクドナルド 調理機器技術50年史」 <後編>
http://sayko.co.jp/food104/mac2.html
私の外食コンサルタントの経験からも、マクドナルドの異物混入対策や衛生管理対策は,他の外食産業よりも進んでいると断言できる。唯一後退しているかもしれないのは、厳しいリストラによる従業員と業者のモラルかもしれない。
私の経験を元に書いているので不確かであり,私が退職したのは24年前であり、その後変わっているかもしれない。その点はお許しいただきたい。読者の方で、それは違うよとか、現在はこう進歩しているということがあればお教えいただきたい。また私の分野のみ私の経験を通して述べているので、品質管理は私一人で行ったような表現となっているが、他のOBや現役社員の方もそれぞれの分野で努力していたことも付け加えておく。
以上、ちょっと耄碌した元社員の,マクドナルド弁護でした。でもこんなに厳しい管理をしているのに何故異物混入クレームは発生するのか?次回から数回に分けて説明しましょう。
第2回目
マクドナルドは絶不調であえいでいますね。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6146915?fr=fb_pc_tpc
http://allabout.co.jp/newsdig/c/77970?FM=fb_20150122_12&cm_mmc=FB--20150122--12-_-null
そうすると原田氏の功罪が話題に上り始めました。
ビジネスジャーナルで
http://biz-journal.jp/2015/01/post_8702.html
マックでは怪文書、ベネッセでは再就職斡旋パンフ…原田氏の破壊的切り捨て経営と糾弾され出しました。
また
原島清司マクドナルドオーナー34店全て手放す
http://kenjunomure.seesaa.net/article/408476275.html
では原田さん時代の問題点を指摘しています。
この原田さんの功罪を見ていきましょう。原田さん時代に辞めた社員などは,原田さんを批判しがちなので,私の経歴を説明しましょう。私はOBですが,故藤田田氏絶好調の頃に故藤田田氏に干されて退職しました。だから、故藤田田氏の頃は良かったという考えは全くなく、マクドナルドをよく知っていながら、客観的に判断できます。
私の経歴
http://www.sayko.co.jp/company/index.html#rireki
http://www.sayko.co.jp/company/work.html
原田さんはアップルコンピューター社の日本法人社長を務めた経験がある、日米のビジネスを熟知した優秀な経営者です。その行動力は素晴らしく物事を徹底するようです。
原田さんは2004年に創業者の故藤田田氏の後継者であった2代目の八木さんの後を引き継いでCEOに就任します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E6%B3%B3%E5%B9%B8
原田さんは米国サイドに再建を委託されたようです。米国マクドナルド・サイドが期待したのは徹底的な故藤田田色の一掃だったようで、故藤田田氏の小飼の社員を大リストラするのに成功します。故藤田田氏の小飼の幹部社員だけでなく、フランチャイジーも対象になりました。その証拠にマクドナルドのHPには故藤田田氏の名前は一切出ていません。
http://www.mcdonalds.co.jp/company/outline/enkaku.html
何故米国マクドナルドが故藤田田氏を嫌ったかは次回にお話ししましょう。
また、取引先業者も大幅に入れ替えました。たとえば、バンズはフジ製パンからイナベーカリー、ミートは伊藤ハムからOSI資本のオレンジ・ベイ・フーズ(バンズもミートも米国マクドナルド社創業時からの取引先)に、その他配送業者も変更したようです。ミートに関して言うと伊藤ハムはミートパティだけでなく、昨年問題になった、チキンナゲットも製造していました。現在も伊藤ハムと取引があれば、今回、中国のOSI子会社の問題の後、国産に切り替えましたと言えたのですが。残念。
OSI
http://komoro-nunobiki-tayori.hatenablog.com/entry/2014/07/25/104852http://www.obfoods.co.jp/company.html
イナベーカリー
http://www.inabakery.co.jp/company.html
その他、従来は厨房機器も多くは国産でしたが、現在はフライヤー以外のほとんどを輸入です。洗剤も輸入しています。
次に原田さんが行ったのは直営店のフランチャイズ化です。原田さんは鋭い優秀な経営者です。直営店舗をフランチャイジーに売却すると管理する中間マネージメントも不要になるのです。その中間マネージメントの人をフランチャイジー企業に片道切符で出向させました。また、本社の監督能力を上げるため4つほどあった地区本部を廃止しました。これで、従来は全体の30%のフランチャイズ比率を60%にしたのです。
http://sharescafe.net/37379568-20140228.html
http://toyokeizai.net/articles/-/12862?page=3
更に店舗のリストラを行いました。PODやサテライト、ミニマックとよばれた店舗を閉鎖しドライブスルーの大型店舗にするという大胆な店舗網再構築です。小型店舗は米国マクドナルドが反対する株式上場を行うための故藤田田氏の秘策でしたから、嫌ったのかもしれません。
小型店は初期投資も低く,家賃も言いなりで最初から収益が出やすい形態でした。欠点は出店先がショッピングセンターや大型小売店でしたので、売上は出店先の客数に依存し、マクドナルドのマーケティング効果が出にくいのでした。 また、調理機器が少なく大型ハンバーガーや新商品が販売しにくかったのです。そういう意味では,乗降客数の少ない私鉄沿線の小型店舗も同じ問題を抱えていました。そこで原田さんは、利益のあるうちに、小型店を閉鎖するという荒療治に5年ほど前に打って出ました。駅前店舗や小型店舗が撤退するだけだったら良いのですが、撤退後に安い家賃で競合が出店してしまいました。
http://toyokeizai.net/articles/-/3800
現在の売上が悪いのは、中国問題や異物問題だけでなく、新店舗がないということ、総店舗数が減少していると言うことです。
国内店舗数の推移を見てみましょう
http://www.t.daito.ac.jp/~t037785/zemi_12ki/tenposu.gif
マクドナルドの発表でも
http://www.mcdonalds.co.jp/company/csr/pdf/companydata.pdf#search=’%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E5%9B%BD%E5%86%85%E5%BA%97%E8%88%97%E6%95%B0%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB’
小型店を閉鎖し、初期投資額の多いドライブスルーを開店すると,利益率は低下します。昨年の2014年の決算は多分200億円以上の赤字でしょう。
店舗数の減少、特に直営店舗の減少は人材面で深刻な弊害を生んでいます。マクドナルドの財産は、モラルの高いアルバイトですが、それは将来入社できるると言う希望があったからです。でも直営店舗の減少はその夢をつぶしたのです
マクドナルドの人材育成
http://toyokeizai.net/articles/-/12503
また社員の大リストラにより、競合の外食チェーンやコンビニに優秀な人材を供給してしまいました。現在急成長している企業には必ずマックOBがおります。リンガーハット、KFC,バーガーキング、では社長や取締役。スターバックス、トリドール、モスバーガー、鳥貴族、グリーンハウス、ローソン,等にも。変わったところではディズニー、USJ,ユニクロ、もOBがいます。また年齢と経験の長い優秀なOBはコンサルタントとして活躍しています。人材教育、立地調査、商品開発、品質管理、広告宣伝等の分野です。マクドナルドは既存店不振の原因をコンビニといっていますが、それ以前の問題なのです。
第3回目
前回は優秀な経営者の原田氏の行き過ぎた破壊について述べたが、その後じっくりと考えると、原田氏があそこまで徹底した破壊行為に走るのは,米国サイドの要請とバックアップがあったのではないかと思えるようになったのです。場合によってはマクドナルドの非上場を考えているのでしょうか?
前回は古い従業員の行きすぎたリストラを述べたが、よく調べると、バンズや食肉加工業者の大手食材メーカー、大手物流業者、大手厨房機器メーカーまで変更している。そして故藤田田氏の開発した店舗も閉鎖しようとしているのです。
ハンバーガービジネスをあまり知らない原田氏のサポートとして、米国マクドナルドサイドのベテランが常駐していたので,もし原田氏のリストラが行き過ぎであったら、ブレーキをかけられたはずである。原田氏の大リストラを見ていると、故藤田田さんに対する嫌悪感以上の憎しみさえ感じる。そこで何が米国サイドをそこまでさせたのかを知るため、故藤田田氏の功罪を見てみたい。
故藤田田さんも外食畑でなく,米国の企業と輸出入の仕事で取引があり、その関係で米国マクドナルド創業者の故レイ・クロック氏と知り合い、故藤田田氏が故レイ・クロック氏に気に入られ、日本マクドナルドを合弁で創業したのだ。
http://news.infoseek.co.jp/article/keizaikai_pid_15775
当時、数多くの日本企業が米国マクドナルドに提携交渉を行い,ある企業が契約寸前であった。それは故中内功氏率いるダイエーで、故中内功氏は日本人として初めて,米国マクドナルドのハンバーガー大学で研修を行っていたのだった。(この件はダイエー系の外食事業部で良く語っていたそうだ。故中内功氏は米国マクドナルドとの契約を故藤田田氏にとられたことを悔しがり、独自でドムドムというハンバーガーチェーンを作り、後に急成長していたウエンディーズと提携することになった。)
故レイ・クロック氏が何故大資本のダイエーとの契約を取らず、小さな企業の故藤田田氏と提携したのかは、両者とも具体的に語ってはいない。私の伝聞した内容と推測であるが、両者に共通していたのは、故郷を失っていると言うことだ。
故レイ・クロック氏の両親は中欧出身の米国移民であり、故レイ・クロック氏は自伝で遊興詩人の血が流れているとしている。そして、若い頃はピアニストとして全米を歩いていた。米国マクドナルドの本社ビル(別棟のハンバーガー大学玄関ロビー)には故レイ・クロック氏の昔のオフィスが再現して展示している。マクドナルドが本社を構えるシカゴ(正確には郊外のオークブルック)は古い商業都市で保守的な街である。企業のオフィスは,管理職になると個室が与えられる。しかし、米国マクドナルドの本社には、CEOで合っても個室はない。現在の西海岸のシリコンバレーのIT企業のように,パーティションで区切られてだけで、誰でも話しに行けるように40年前からなっていた。
故レイ・クロック氏はカリフォルニアを愛し、晩年はサンディエゴに住み、球団サンディエゴ・パドレスのオーナーをしていたくらいだ。シカゴ出身のアメリカ人とは思えない自由人だ。
定かではないが、故藤田田氏は,半島系の在日ではないかという方もいる。40数年前、創業後2年目に入社した私は、半島系在日と台湾系在日社員が多いが印象的だった。ある技術系の半島系社員は,好き勝手な発言をしていたが、上司も怒らない。本人に理由を聞くとにやりと笑い、「俺の親父と藤田さんはよく知っているのだ」と言っていた。また、私の部下にいた半島系在日の社員が重大な規律違反をしたので、私の上司に解雇するべきだと進言したら「社長に怒られる」と受理してくれず、故藤田田氏の管轄する部署に異動させた事があった。ロッテ製菓創業者の重光武雄氏(辛格浩)は、永住権を持つ韓国籍であり、国産ハンバーガーチェーンのロッテリアを経営する、直接のライバルであるが、故藤田田氏は仲が良かったようだ。故藤田田氏及び藤田商店経営のご子息にかわいがられていたある優秀な社員が、ロッテリアに転職しようとしたところ、何故かそれが直ぐに故藤田田氏の知るところとなり,故藤田田氏が激怒し、転職話が壊れたことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86
また有名な話で、現ソフトバンク経営者の孫正義氏が、米国留学前の高校生時代に故藤田田氏に面会し、コンピューターの勉強をする事を勧められたという話がある。最初は門前払いしていたが何回も熱心に来るので、熱意にほだされて面会したという話だ。当時の藤田さんは超多忙であり、当時部長であった私でも面談の予約は難しかった。幾ら熱心であっても、たかが高校生に面談を許すのはありえない。孫正義氏の父上は半島系在日の有力者であり、それが面談に有効だったと考える方が適切だろう。また、あるジャーナリストの方が取材の際に写真を撮ろうとしたら、故藤田田氏は、韓国・百済か任那の書体をバックにポーズをとり、先祖が向こうだと言ったそうだ。
また、故藤田田氏は東大法学部卒業でありながら、官庁や大企業に就職せず、個人企業を設立した。現在は差別がないが、終戦直後は差別や国籍問題で官庁や大企業には就職は難しかったのかもしれない。故藤田田氏は御母堂のお話は良くしていたが、亡くなった父親はエンジニアであったとしか言っていなかった。それらを総合すると、故藤田田氏は、半島系在日か比較的に近い祖先が半島出身であったと思う方が自然だろう。私も台湾系の在日であり、大学を出ても就職が難しく、学歴不要の外食産業に入ったという経験を持ち、出自を問わず採用し、昇進も差別しなかった故藤田田氏に大変感謝している。故藤田田氏が自伝を残さず若くして亡くなったのが残念だ。
半島系在日か祖先が半島出身であるとすれば、故藤田氏が故郷を失っている中途半端な気持ちを持ち、日本人を冷静に観察してしていたことがわかる。故レイ・クロック氏は自分と同じ故郷を失っている気持ちを察し、共感を覚えたのではないだろうか?
この故藤田田氏の出自は日本マクドナルドの徹底した現地化に大きな影響を与える。故藤田田氏の功績は大きいのだが、マイナス面も大きいようだ。今回から私の経験から得た知識で故藤田田氏の功罪を述べていきたい。
功績はまず徹底した日本化とその東南アジアへの影響だろう。私が日本マクドナルドに入社したのは1号店の銀座が開店してから2年目。本社は故藤田田氏の個人企業の藤田商店の新橋の本社の片隅だった。最初に故藤田田氏のオフィスに入ったとき度肝を抜かれた。部屋には日章旗と特攻隊の零戦の大きな写真が貼ってあり、まるで右翼の事務所だった。故藤田田氏は若い頃自動車事故でけがをしたという顔に傷跡が残っており、やはり腹心の部下も顔に傷がある。しかも故藤田田氏は恰幅がよく、上から下まで一分の隙もないダブルの濃い色のスーツを着用しているのに、くだけた大阪弁で丁寧に話す。私は池袋育ちで、やくざの大親分を見てきた経験があった。故藤田田氏の雰囲気はそのやくざの親分にそっくりだった。私はとんでもない会社に入ったと後悔し始めた。しかし事実は違っていた。
故藤田田氏は東大時代の学友が、何人も特攻隊で亡くなったので、その思いを忘れないように写真などを飾っているのだと語っていた。私は故藤田田氏は米国マクドナルドと提携するし、欧米との輸出入業もやっているので、欧米かぶれのモダンな人を連想していた。また、当時故藤田田氏の執筆したユダヤ人ビジネス本を読んでいたので合理的で欧米かぶれの方だと思っていた。しかし、故藤田田氏は先回の出自からも大変複雑な方だった。欧米との関係は取引や金儲けであり、魂は日本人だとしていた。
この複雑な故藤田田氏のの思いは、日本マクドナルドの方針に色濃く表れていた。当初は米国色が濃かったのだが、店舗に星条旗などの米国を連想させる装飾や、販促物は厳禁だったのだ。故藤田田氏は自分の経験からか「日本人は米国の文化にあこがれを持ってはいるが、戦争のつらい思い出は忘れておらず、本質は反米だ」としていたのだった。また、故藤田田氏は言葉を大変大事にしており、趣味は日本語の研究というくらいであった。それが
店名をMcDonald’s(マクダーナルズ)と発音させずマクドナルドとして殆どの店舗看板をカタカナのマクドナルド表記にした。キャラクターのRonald
MacDonald を、日本人にはRは発音できないからドナルドとした。この徹底した日本化は大成功し、子供たちはマクドナルドは日本の企業だと思うようになった。
マクドナルドの批判的な本は多いが、
「マクドナルドはグローバルか」東アジアのファーストフード
ジェームズ・ワトソン(編)前川啓治・竹内恵行・岡部曜子「訳」
という本はマクドナルドの東南アジア(中国・北京、香港、台湾・台北、韓国・ソウル、日本)における店舗展開を人類学的な見方でリサーチし、その大きな戦略は徹底した現地化であり,現地の人はその国のマクドナルドが自国の企業であると認識していると論議した。
この現地化で成功したマクドナルドを見た競合のYum社はマクドナルドの戦略を中国の店舗展開に取り入れた。中国Yum社元副社長のWarren Liu氏は中国Yum社を退職後、「中国KFCの成功の秘密 KFC in China Secretシークレット Recipeレシピー for Successサクセス」 で中国Yum社の成功要因を10あげている。その成功要因は以下の10点である。
<1>人材 台湾を活用(マクドナルド台湾出身者を採用)
<2>戦略 長期ビジョン 当初より内陸部も開発計画
<3>提携 地元 政府との関係 危機管理
<4>商品 好みは豚・鳥・羊・牛 店内を好む
<5>サプライチェーンの構築 ローコストの構築
<6>不動産開発 中国では土地私有はできない。専門家が必要
<7>素晴らしい運営 教育とモチベーション
<8>ローカライゼーションとグローバリゼーション 商品開発の速度
<9>本社のサポート 本社ではなくサポートセンター
<10>中国文化を融合したリーダーシップ MBAの中国人の活用
また店舗出店場所も、米国のドライブイン型の(ドライブスルーはまだなかった)郊外出店でなく都心型を進め、1号店の銀座三越を開店し大成功させたのは有名な話だ。事実は米国主導で1号店は湘南の茅ヶ崎に建築していた。当時マクドナルドより規模の大きかった、バーガーシェフが不二家と提携し1号店を茅ヶ崎に開店したことがあったからだ(この店舗は失敗しまもなく撤退した)。幸い、店舗開発担当者の知識がなく、建物を建てて営業しては行けない風致地区であり開業できなかった。そこで故藤田田しが取引のあった三越に掛け合い、一等地の銀座三越1階に開業し大成功した。この銀座三越1号店や4号店新宿二幸店、5号店お茶の水店は大繁盛したのだが、ちょっと立地の悪い2号店代々木店、3号店大井町店、13号店(番号は不確かです)荏原中延店は失敗であった。13号店荏原中延店はあっという間に撤退に追いやられた。この1号店の銀座と4号店新宿二幸店の成功は当時始まった歩行者天国(日曜日には道路上に多数の折りたたみ式テーブルと派手なパラソルを置き、座って食べることができた。椅子がなくとも立ち食い文化が格好がよいと訴求した)をテレビニュースが頻繁に登場させ、爆発的なハンバーガーブームを巻き起こした。
この店名と立地の日本化と米国色をださない(正確には米国文化を漂わせるが日本企業であるとする)手法は大成功であり、日本の成功に続けと東南アジア各国に広がっていった。一番成功したのは香港で店名を麥當勞とした。
注
故藤田田氏の出自に関しては、私の憶測に過ぎず、事実を確認していない事をご承知置きいただきたい。筆者の王は、台湾系の在日でありそれのデメリットよりメリットの方が多かったので、故藤田田氏の出自を推測した。事実と異なったりしている場合には王まで是非お知らせをいただきたい。