マックの裏側 第10回 マクドナルド創業メンバーが語る秘話

マクドナルド時代の体験談

 第9回で評価制度をお話しした。ジョン朝原氏の人材育成を以前説明したが、人事異動のやり方もご説明しょう。ジョン朝原氏の人事異動のやり方を詳細に聞き、それをシステマチックにしたことがあります。当時米国マクドナルドの直営店舗は4500店舗程(全体の30%、現在は全体の5%程度の1000店舗)と多かった。それに次いで直営店舗が多かったのが、フランチャイズ店舗が好みでなかった藤田田の率いる日本マクドナルドであった(全体の90%以上が直営店舗で3000店舗以上になっていた)。
 米国のマクドナルドは広大な国土の点在するので、きめ細かなトレーニングは無理で、人材育成は以前お話ししたように乱暴であった。店舗に放り込み、統括スーパーバイザザー(スーパーバイザー6-7人、30店舗程度の管理)位に出世してからきめ細かく教育をしだす。宝石かどうかわからない状態の石ころをミキサーに放り込んで攪拌し、割れる石は放り出し、輝きを見せた宝石をより分け磨き始める。米国人は自己主張が強く、実績を主張するので輝きを見分けやすいのだ。しかし日本人は恥ずかしがりやで、組織から目立ちたがらず、自己主張せず、輝きがわかりにくい。ジョン朝原は、その日本人の特性に気が付き、日本的なきめ細かい人材育成をしていた。先回、組織や評価のお話をした。ジョン朝原氏は仕組みを考える際に現場や人をよく観察した。

 企業が大きくなり、急成長を遂げる中で一番必要なのは優秀な人材だ。優秀な人材を新規採用し育成することも大事だが、現在在籍している優秀な人材の退職を少なくする方がより重要だ。急成長している現場の店長やアシスタントマネージャーの仕事は過重で長時間労働があたりまえの世界で、退職率が大変高いというのが一般的だ。
 マクドナルドでは退職の手続きの際に、直接の上司以外の担当者が面接をする退職面接を行っていた。退職届を出した時点では退職の本当の理由を言いにくいから、退職手続きが終了した時点で、本当の退職理由を聞くというものだ。この時点で本当の退職理由がわかってもその退職を防げるわけではないが、これから残る人の環境がよくなれば効果があるからだ。
 その結果、仕事がきついというよりも、人間関係の問題、会社の将来性に対する疑問、自分の仕事に対する適正に疑問を抱く、などの理由が多いということがわかった。仕事がきつかったり労働時間が長くても、仕事を覚えられるとか、責任ある仕事に昇進するなど、会社に認められていることが理解できれば仕事に対するつらさを感じない。しかし、何をしても怒られとか、アイディアを出しても常に否定される等のいじめに出会うと、自信がなくなるというのだ。一番大事なのは店長との人間関係であった。

 当時は退職を防ぐために新入社員が入社した際には統括SV、SV、店長と一緒に合宿を行い、同じ釜の飯を食べるとか、忘年会や歓迎会などの飲み会の援助をするなどの、飴が必要だと思われてきた。不満を感じないように甘やかそうとしたのだ。米国でも同じ問題からコミュニケーションデーという活動が開始された。上下の問題はコミュニケーション不足だからお互いに話しあい、理解し合おうという活動だ。そこで、日本でも上司と部下が話し合おうということで、この合宿や飲み会を開くようになった。しかし、前回述べたように米国から帰国した当時の筆者から見ると、その飴作戦が行き過ぎ、上下の適度に緊張した関係を壊し、モラルの破壊が目に付いた。
 また、店舗を巡回してみると膨大な費用と時間を費やしてコミュニケーションデーを行っているのに、アシスタントマネージャーやクルーから不満が出てくることに気が付いた。そこでその不満を良く聞いてみたら、店長と酒を飲んだり遊んだりのプライベートな人間関係は向上したが、仕事を丁寧に教えてくれなかったり、評価をきちんと受けたことがないという不満が続出した。

 店長は予算を立て、その店の活動方針を決めるわけだ。その活動方針をスムーズに達成するために、アシスタントマネージに仕事を適正に割り振るのだが、アシスタントマネージャーにその知識と能力があるかどうかをチェック(評価)し、なければ割り振った仕事を達成できるように教育をしなくてはならない。
 そのチェック(評価)と教育、仕事の割り振りこそが真のコミュニケーションデーなのだ。そこで、毎月のコミュニケーションデーは店長が部下のアシスタントマネジャーに正しい評価を伝えることとした。部下に客観的で公平な評価をできない店長もいるので、その場に担当SVを立ち合わせ、定期的に統括SVの筆者も立ち会うようにした。

 ここで気がついたのは評価の際に公平で客観的な事実を部下に伝えられない店長やSVが多いということだった。店長やアシスタントマネージャーの評価はQ・S・C・人・物・金・自己育成・の7つだ。Qに問題があるとすればそれを客観的に証明するストアービジテーションレポートのQ(品質)の項目にその事実が記入されていなくてはいけない。

 金の管理で水道光熱費が使いすぎであれば、損益計算書や月次報告書で数値の流れと、過去の店舗を訪問した際の電気スイッチや水道栓の閉め方、エアコンの温度設定などを記録してその事実を示すという具体性が必要だ。普段、作成している日報や週報、月報、損益計算書がここで評価と結びついてこなくてはならない。評価の際に全ての過去の仕事の記録、書類を確認し、仕事を具体的にどのように改善しているかを評価する。それを考えないで漫然として仕事をして、いざ部下の評価をしようとするとあいまいな評価になり、何が良くて何を改善しなくてはいけないかが部下に伝わらないのだ。

 評価を具体的に相手に伝えても仕事は改善できないし能力も身に付かない。部下の弱いところがあればそれを改善することを次月の目標に掲げ、スケジュールを作成し、店長やSVが一緒に入ってトレーニングする時間を設定し、教えた後は1人で店舗を運営させ、その問題点を解決できる能力が身についたかどうかチェックする。そのチェックはストアービジテーションレポートやメモに残し、相手に具体的に評価を与えていく。目標改善のスケジュールを一緒に作成し、可能な時間内で無理のないトレーニングを行うという地道な改善を図らないと部下の能力は何時までたっても改善しない。

 この事実に気がついた筆者は、膨大な時間を費やし各店の店長、アシスタントマネージーのコミュニケーションデーに参加し、アシスタントマネージャーだけでなく、それを評価する店長、SVをも教育することにした。この一見地道な活動が効果を引き出し、SVの育成と、エリアの利益向上という多くのメリットを生み出した。そして運営部長に昇進したわけだ。このコミュニケーションデーの作成に当たっては、ジョン朝原がフラッと参加し、例によって質問攻めで考案させられた。

 以上10回にわたってジョン・朝原氏の功績・良い面をお話しした。ここで問題点も見てみよう。ジョン朝原氏の外見は日本人で話す言葉は広島弁だ。つい思考方法まで日本人と思ってしまうが、米国生まれの米国育ちの米国人だ。日本人を理解しているようでも、ドライな米国人だった。
 私は親切に教育してくれて感謝しているが、そうでない人も多い。彼はせっかちで、ドライな選択をする。中には彼により、左遷されたと恨んでいる人もいた。彼は店舗運営関係者以外のスタッフにも親切に養育して感謝されていたが、敵も多く作っていた。また日本人を理解しないことも多く、私も苦労させられたことがある。
 私が彼に米国に放り出された時だ。英語が全くできない中で店舗を任されたから苦労するのは良いが、私の他の日本人の選択に問題があった。店舗をスムーズに運営する上では私が育てて気心の知れた部下と一緒にチームを組ませてほしかった。
 
 彼は基本的に米国人であるから、英語の流暢なものを好んだ。私が神奈川・湘南地区で統括SVをやっていた際の部下で英語の流暢なAというSVがいた。あまり実績がないのであるが、英語能力を買って私の渡米の1年前から米国に駐在していた。本来であれば私の補佐をしてもらえるはずであったが、性格が悪く私の足を引っ張ることが多かった。彼はその後、英語能力を買われ、米国本社のハンバーガー大学のプロフェッサーとして派遣された。日本に戻るときは、店舗運営部でなく総務部であった。その後、社員フランチャイジーとして独立したが、性格の悪さから店舗の家主に嫌われ、他の店舗に変えさせられたほどだ。この店舗は渡米前に私が担当した店舗であるが、家主とは大変良好な関係だった。家主は店舗裏の一軒家に住んで、よく話をしていた。当時家主は奥さんを失い、後妻をもらおうとして、私に相談を持ち掛けていた。私が親切に相談に乗っていたら大変感謝され、店舗の社員たちを時々食事に連れて行ってくれたほどだった。その優しい家主に嫌われるのはよほどのことだろう。

 それでもジョン朝原氏は彼を買い、藤田田氏後の原田泳幸氏時代の強引な経営に対するフランチャイジーの不満を代表させ、フランチャイジーグループ代表として、本社に発言させようとした。しかし、本社側のフランチャイジーグループ切り崩し策の、有利な条件での店舗買取策にのり、店舗を有利な条件で売却し、ジョン朝原氏の期待にそうことはなかった。

 もう一人部下としてジョン朝原氏が米国に部下として派遣したのがまだ店長経験の浅いKだった。Kの父親は半島出身で藤田田氏信頼され、頼まれ店舗建設や購買部門の顧問として採用されていた。息子のKは親に甘やかされており、困ると親に頼むことがあった。私は、日本からくる研修生を引き連れ、ニューヨークやシカゴに長期出張することが多く、店舗にいることが少なく、ほかの日本人に日常業務を任せることが大かった。それが私が仕事しないで勝手なことをしているという不満を漏らし、父親経由で藤田田氏の耳に入り、私が藤田田氏の不興を買い苦労したことがある、Kは日本帰国後,SVとなったがさして実績は残さなかった。生活が派手で、親に高級車を買ってもらい乗り回していた。やがて、派手な女性と結婚し、社員フランチャイジーとして独立した。しかし夫婦とも派手な生活で、店舗の運転資金まで手を付け、個人破産し廃業せざるを得なくなった。
 もう一人の社員Yも問題だった。私に対する不満をAに相談し、Aが半ばけしかけ、Kと結託し問題を引き起こした。Yは私がアシスタントマネージャー時代にいた店舗で、ほかのアルバイトと結託し、ストライキを起こしたことがあったほどだ。
 こんな日本人社員を抱え苦労した私の答えが、米国人アルバイトの活用だった。米国人大学生アルバイトは学歴が高卒の社員よりはるかに優秀だった。高卒学歴の米国人社員の英語ボキャブラリーは私とそんなに変りなく、本社からくる難しい英語は分からないのだった。しかし大学生アルバイトは難なく解読し、私の代わりに返事を書いてくれる。そこで3名をスイングマネージャーとして引き上げ、そのうち2名を社員とし、後に1名を日本のマクドナルド社員とした。
 そんな苦労をジョン朝原氏に言っても、これもトレーニングだよと笑う苦労させられた思い出がある。でもジョン朝原氏の功績は偉大であった。次回からその功績がどのように崩されていくか見てみよう

続く

 第9回で評価制度をお話しした。ジョン朝原氏の人材育成を以前説明したが、人事異動のやり方もご説明しょう。ジョン朝原氏の人事異動のやり方を詳細に聞き、それをシステマチックにしたことがあります。当時米国マクドナルドの直営店舗は4500店舗程(全体の30%、現在は全体の5%程度の1000店舗)と多かった。それに次いで直営店舗が多かったのが、フランチャイズ店舗が好みでなかった藤田田の率いる日本マクドナルドであった(全体の90%以上が直営店舗で3000店舗以上になっていた)。
 米国のマクドナルドは広大な国土の点在するので、きめ細かなトレーニングは無理で、人材育成は以前お話ししたように乱暴であった。店舗に放り込み、統括スーパーバイザザー(スーパーバイザー6-7人、30店舗程度の管理)位に出世してからきめ細かく教育をしだす。宝石かどうかわからない状態の石ころをミキサーに放り込んで攪拌し、割れる石は放り出し、輝きを見せた宝石をより分け磨き始める。米国人は自己主張が強く、実績を主張するので輝きを見分けやすいのだ。しかし日本人は恥ずかしがりやで、組織から目立ちたがらず、自己主張せず、輝きがわかりにくい。ジョン朝原は、その日本人の特性に気が付き、日本的なきめ細かい人材育成をしていた。先回、組織や評価のお話をした。ジョン朝原氏は仕組みを考える際に現場や人をよく観察した。

 企業が大きくなり、急成長を遂げる中で一番必要なのは優秀な人材だ。優秀な人材を新規採用し育成することも大事だが、現在在籍している優秀な人材の退職を少なくする方がより重要だ。急成長している現場の店長やアシスタントマネージャーの仕事は過重で長時間労働があたりまえの世界で、退職率が大変高いというのが一般的だ。
 マクドナルドでは退職の手続きの際に、直接の上司以外の担当者が面接をする退職面接を行っていた。退職届を出した時点では退職の本当の理由を言いにくいから、退職手続きが終了した時点で、本当の退職理由を聞くというものだ。この時点で本当の退職理由がわかってもその退職を防げるわけではないが、これから残る人の環境がよくなれば効果があるからだ。
 その結果、仕事がきついというよりも、人間関係の問題、会社の将来性に対する疑問、自分の仕事に対する適正に疑問を抱く、などの理由が多いということがわかった。仕事がきつかったり労働時間が長くても、仕事を覚えられるとか、責任ある仕事に昇進するなど、会社に認められていることが理解できれば仕事に対するつらさを感じない。しかし、何をしても怒られとか、アイディアを出しても常に否定される等のいじめに出会うと、自信がなくなるというのだ。一番大事なのは店長との人間関係であった。

 当時は退職を防ぐために新入社員が入社した際には統括SV、SV、店長と一緒に合宿を行い、同じ釜の飯を食べるとか、忘年会や歓迎会などの飲み会の援助をするなどの、飴が必要だと思われてきた。不満を感じないように甘やかそうとしたのだ。米国でも同じ問題からコミュニケーションデーという活動が開始された。上下の問題はコミュニケーション不足だからお互いに話しあい、理解し合おうという活動だ。そこで、日本でも上司と部下が話し合おうということで、この合宿や飲み会を開くようになった。しかし、前回述べたように米国から帰国した当時の筆者から見ると、その飴作戦が行き過ぎ、上下の適度に緊張した関係を壊し、モラルの破壊が目に付いた。
 また、店舗を巡回してみると膨大な費用と時間を費やしてコミュニケーションデーを行っているのに、アシスタントマネージャーやクルーから不満が出てくることに気が付いた。そこでその不満を良く聞いてみたら、店長と酒を飲んだり遊んだりのプライベートな人間関係は向上したが、仕事を丁寧に教えてくれなかったり、評価をきちんと受けたことがないという不満が続出した。

 店長は予算を立て、その店の活動方針を決めるわけだ。その活動方針をスムーズに達成するために、アシスタントマネージに仕事を適正に割り振るのだが、アシスタントマネージャーにその知識と能力があるかどうかをチェック(評価)し、なければ割り振った仕事を達成できるように教育をしなくてはならない。
 そのチェック(評価)と教育、仕事の割り振りこそが真のコミュニケーションデーなのだ。そこで、毎月のコミュニケーションデーは店長が部下のアシスタントマネジャーに正しい評価を伝えることとした。部下に客観的で公平な評価をできない店長もいるので、その場に担当SVを立ち合わせ、定期的に統括SVの筆者も立ち会うようにした。

 ここで気がついたのは評価の際に公平で客観的な事実を部下に伝えられない店長やSVが多いということだった。店長やアシスタントマネージャーの評価はQ・S・C・人・物・金・自己育成・の7つだ。Qに問題があるとすればそれを客観的に証明するストアービジテーションレポートのQ(品質)の項目にその事実が記入されていなくてはいけない。

 金の管理で水道光熱費が使いすぎであれば、損益計算書や月次報告書で数値の流れと、過去の店舗を訪問した際の電気スイッチや水道栓の閉め方、エアコンの温度設定などを記録してその事実を示すという具体性が必要だ。普段、作成している日報や週報、月報、損益計算書がここで評価と結びついてこなくてはならない。評価の際に全ての過去の仕事の記録、書類を確認し、仕事を具体的にどのように改善しているかを評価する。それを考えないで漫然として仕事をして、いざ部下の評価をしようとするとあいまいな評価になり、何が良くて何を改善しなくてはいけないかが部下に伝わらないのだ。

 評価を具体的に相手に伝えても仕事は改善できないし能力も身に付かない。部下の弱いところがあればそれを改善することを次月の目標に掲げ、スケジュールを作成し、店長やSVが一緒に入ってトレーニングする時間を設定し、教えた後は1人で店舗を運営させ、その問題点を解決できる能力が身についたかどうかチェックする。そのチェックはストアービジテーションレポートやメモに残し、相手に具体的に評価を与えていく。目標改善のスケジュールを一緒に作成し、可能な時間内で無理のないトレーニングを行うという地道な改善を図らないと部下の能力は何時までたっても改善しない。

 この事実に気がついた筆者は、膨大な時間を費やし各店の店長、アシスタントマネージーのコミュニケーションデーに参加し、アシスタントマネージャーだけでなく、それを評価する店長、SVをも教育することにした。この一見地道な活動が効果を引き出し、SVの育成と、エリアの利益向上という多くのメリットを生み出した。そして運営部長に昇進したわけだ。このコミュニケーションデーの作成に当たっては、ジョン朝原がフラッと参加し、例によって質問攻めで考案させられた。

 以上10回にわたってジョン・朝原氏の功績・良い面をお話しした。ここで問題点も見てみよう。ジョン朝原氏の外見は日本人で話す言葉は広島弁だ。つい思考方法まで日本人と思ってしまうが、米国生まれの米国育ちの米国人だ。日本人を理解しているようでも、ドライな米国人だった。
 私は親切に教育してくれて感謝しているが、そうでない人も多い。彼はせっかちで、ドライな選択をする。中には彼により、左遷されたと恨んでいる人もいた。彼は店舗運営関係者以外のスタッフにも親切に養育して感謝されていたが、敵も多く作っていた。また日本人を理解しないことも多く、私も苦労させられたことがある。
 私が彼に米国に放り出された時だ。英語が全くできない中で店舗を任されたから苦労するのは良いが、私の他の日本人の選択に問題があった。店舗をスムーズに運営する上では私が育てて気心の知れた部下と一緒にチームを組ませてほしかった。
 
 彼は基本的に米国人であるから、英語の流暢なものを好んだ。私が神奈川・湘南地区で統括SVをやっていた際の部下で英語の流暢なAというSVがいた。あまり実績がないのであるが、英語能力を買って私の渡米の1年前から米国に駐在していた。本来であれば私の補佐をしてもらえるはずであったが、性格が悪く私の足を引っ張ることが多かった。彼はその後、英語能力を買われ、米国本社のハンバーガー大学のプロフェッサーとして派遣された。日本に戻るときは、店舗運営部でなく総務部であった。その後、社員フランチャイジーとして独立したが、性格の悪さから店舗の家主に嫌われ、他の店舗に変えさせられたほどだ。この店舗は渡米前に私が担当した店舗であるが、家主とは大変良好な関係だった。家主は店舗裏の一軒家に住んで、よく話をしていた。当時家主は奥さんを失い、後妻をもらおうとして、私に相談を持ち掛けていた。私が親切に相談に乗っていたら大変感謝され、店舗の社員たちを時々食事に連れて行ってくれたほどだった。その優しい家主に嫌われるのはよほどのことだろう。

 それでもジョン朝原氏は彼を買い、藤田田氏後の原田泳幸氏時代の強引な経営に対するフランチャイジーの不満を代表させ、フランチャイジーグループ代表として、本社に発言させようとした。しかし、本社側のフランチャイジーグループ切り崩し策の、有利な条件での店舗買取策にのり、店舗を有利な条件で売却し、ジョン朝原氏の期待にそうことはなかった。

 もう一人部下としてジョン朝原氏が米国に部下として派遣したのがまだ店長経験の浅いKだった。Kの父親は半島出身で藤田田氏信頼され、頼まれ店舗建設や購買部門の顧問として採用されていた。息子のKは親に甘やかされており、困ると親に頼むことがあった。私は、日本からくる研修生を引き連れ、ニューヨークやシカゴに長期出張することが多く、店舗にいることが少なく、ほかの日本人に日常業務を任せることが大かった。それが私が仕事しないで勝手なことをしているという不満を漏らし、父親経由で藤田田氏の耳に入り、私が藤田田氏の不興を買い苦労したことがある、Kは日本帰国後,SVとなったがさして実績は残さなかった。生活が派手で、親に高級車を買ってもらい乗り回していた。やがて、派手な女性と結婚し、社員フランチャイジーとして独立した。しかし夫婦とも派手な生活で、店舗の運転資金まで手を付け、個人破産し廃業せざるを得なくなった。
 もう一人の社員Yも問題だった。私に対する不満をAに相談し、Aが半ばけしかけ、Kと結託し問題を引き起こした。Yは私がアシスタントマネージャー時代にいた店舗で、ほかのアルバイトと結託し、ストライキを起こしたことがあったほどだ。
 こんな日本人社員を抱え苦労した私の答えが、米国人アルバイトの活用だった。米国人大学生アルバイトは学歴が高卒の社員よりはるかに優秀だった。高卒学歴の米国人社員の英語ボキャブラリーは私とそんなに変りなく、本社からくる難しい英語は分からないのだった。しかし大学生アルバイトは難なく解読し、私の代わりに返事を書いてくれる。そこで3名をスイングマネージャーとして引き上げ、そのうち2名を社員とし、後に1名を日本のマクドナルド社員とした。
 そんな苦労をジョン朝原氏に言っても、これもトレーニングだよと笑う苦労させられた思い出がある。でもジョン朝原氏の功績は偉大であった。次回からその功績がどのように崩されていくか見てみよう

続く

王利彰(おう・としあき)

王利彰(おう・としあき)

昭和22年東京都生まれ。立教大学法学部卒業後、(株)レストラン西武(現・西洋フードシステム)を経て、日本マクドナルド入社。SV、米国駐在、機器開発、海外運営、事業開発の各統括責任者を経て独立。外食チェーン企業の指導のかたわら立教大学、女子栄養大学の非常勤講師も務めた。 有限会社 清晃(せいこう) 代表取締役

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