外食産業のテキストブック 第3章 外食市場の構成と「飲食店」

■外食産業の市場規模

一般に日本の外食産業の市場規模は1994年(平成6年)実績で約28兆円といわれる。外食市場規模とは日本全国の飲食店などの外食施設がどのくらい売り上げたか、また同じことではあるが個人消費分も法人消費分も含めて消費者が日本国内で全体として1年間にどのくらいの金額を外食で支払ったかということを示すものである。28兆円というとわが国人口(1995年、平成7年「国勢調査」結果速報で1億2,557万人)1人平均で約23万円という数字である。

外食市場規模が28兆円だという数字は政府の外郭の調査研究機関、(財)外食産業総合調査研究センター(以下、外食総研)が推計し公表しているものである。外食産業の市場規模を論じる場合には、この外食総研の発表数値を用いるのが一般的である。そこで、ここではまず同機関の発表するファーマットに基づいて、外食市場の全体構成と各構成区分について簡単に確認し、次に同値についての問題点を指摘しておく。

表3-1に示したのが、外食総研が発表している外食産業の構成区分と市場規模(1994年、平成6年実績)である。同表では、独特の表記が用いられているので、その表記を確認しながら外食市場の構成をみていく。同表では全体を大きく3つの分野に区分している。1つ目は食事中心の外食施設という意味での「給食主体部門」であり、2つ目は飲み物中心という意味での「料飲主体部門」、そして3つ目は「料理品小売業」という分野である。

「給食主体部門」…表3-1によると1994年(平成6年)の外食市場規模は全体で28兆2,939億円と推計されている。このうち「給食主体部門」の市場規模は21兆2,404億円で外食市場全体の75.1%である。「給食主体部門」は「営業給食」と「集団給食」とに大別されている。「営業給食」とは一般のレストランなどを指し、この分の市場規模は17兆1,192億円(全体の60.5%)である。「集団給食」は一般に我々が連想する給食、すなわち「学校」「事業所」「病院」「社会福祉施設」の給食を指している。この分の市場規模は4兆1,212億円(同14.6%)である。

「営業給食」はさらに①「飲食店」②「特殊タイプ飲食」③「宿泊施設」に区分されている。「飲食店」は「食堂・レストラン」「そば・うどん店」「すし店」「その他の飲食店」から成っており、これらの市場規模は12兆2,170億円(同43.2%)である。「特殊タイプ飲食」とは「列車食堂」と「国内線機内食」を指し、これらの市場規模は2,468億円(同0.9%)である。「宿泊施設」はホテル、旅館の飲食提供分のことであり、この分は4兆6,554億円(同16.5%)である。

「料飲主体部門」…「料飲主体部門」の市場規模は7兆533億円で外食市場全体の24.9%である。同部門は①「喫茶店」②「酒場、ビヤホール」「料亭、バーなど」に区分されている。「喫茶店」の市場規模は1兆4,552億円(同5.1%)である。「酒場、ビヤホール」「料亭、バーなど」(「料亭」と「バー、キャバレー、ナイトクラブ」を略した表記)の市場規模は5兆5,983億円(同19.8%)である。

表3-1 外食産業市場規模推進計画(1994年、平成6年)  単位:億円

                           食堂レストラン……88,080(2.2)

                    飲食店    そば・うどん店…9,906(△3.0)

                           すし店…………15,159(△1.0)

              営業給食         その他の飲食店…9,025(1.1)

              171,192   特殊タイプ飲食……………………2,468(1.7)

               (0.7)   宿泊施設…………………………46,554(△0.9)

      給食主体部門        学校………………………………5,134(△0.9)

       212,404          事業所    対面給食…………14,424(2.5)

        (1.1)    集団給食  21,266(1.8)  弁当給食…………6,842(0.5)

外食産業          41,212   病院…………………………………13,041(5.9)

282,939           (2.7)    社会福祉施設………………………1,771(1.8)

(1.1)    料飲主体部門        喫茶店…………………………14,552(△0.3)

料理品小   70,535          酒場・ビヤホール、料亭・バー等……55,983(1.7)

売業含む   (1.3)

 312,269  料理品小売業      36,172(2.5)

(1.3)

資料」:(財)外食産業総合調査研究センターの推計による。

  1. ( )内は、対前年度増減率:%
  2. 「特殊タイプ飲食」は、列車食堂、国内機内食から成る。
  3. 売上値のうち、持ち帰り比率が過半数の店は、飲食店ではなく「料理小売業」に分類される。
  4. 「料理品小売業」には「弁当給食」が含まれる。そのため「外食産業」に「料理品小売業」を合計した数値は、「弁当給食」分を差し引いた数値となる。

「料理品小売業」…「料理品小売業」とは、具体的には持ち帰り弁当店や宅配ピザなど出来上がった料理を販売し、店内飲食施設をもたない店を指す。さらに総菜店なども含まれる。また、一般に飲食店と思われがちな店でも、テイクアウト比率が過半の場合は統計上「料理品小売業」に分類されるという約束事になっている。例えば、「ケンタッキーフライドチキン」では、チェーン全体の売上のうち7割以上はテイクアウトによる売上があるという。従って同チェーンの多くの店は「料理品小売業」だということになろう。

「料理品小売業」の市場規模(=年間売上高)は3兆6,172億円である。これは外食市場全体の12.8%に相当する大きさである。「料理品小売業」の中には「弁当給食」分が含まれるとされるので、この分を差し引いて外食市場規模に「料理品小売業」分を加えると31

兆2,269億円となる。日本人1人あたり25万円相当である。

表3-2 外食産業市場規模の推移

市場規模(億円)対前年増加率(%)
1975年(昭和50)86,257
1976年(昭和51)101,332      17.5
1977年(昭和52)110,9259.5
1978年(昭和53)121,9329.9
1979年(昭和54)136,995(10.8)
1980-年(昭和55)147,1717.4
1981年(昭和56)157,7547.2
1982年(昭和57)173,1839.8
1983年(昭和58)178,1322.9
1984年(昭和59)185,9754.4
1985年(昭和60)194,0724.4
1986年(昭和61)206,4336.4
1987年(昭和62)215,2794.3
1988年(昭和63)227,2565.6
1989年(平成元)236,6264.1
1990年(平成2)258,6929.3
1991年(平成3)274,3246.0
1992年(平成4)279,4261.9
1993年(平成5)279,7850.1
1994年(平成6)282,9391.1

表3-2には外食産業市場規模のこの間の推移を示したが、表3-3にはこの「料理品小売業」を加えた市場規模の推移を示しておいた。なお、外食総研によれば、直近年の市場規模の公表において前年分を確報値に、前々年分を確々報値に直している。将来において市場規模値を振り返ってみると、現行のものと齟齬が生じることがあるので留意されたい。

ここで表3-2によって外食産業市場規模は1975年(昭和50年)値まで遡ってみることができるので、最近に至るまでの推移をざっと眺めてみよう。同表によれば外食産業市場規模は1970年代(後半)では毎年2桁前後の高い伸長率を示していた。しかし、1980年代に入ると1桁の中位程度の前年対比伸び率で推移する。そしてバブル経済の恩恵が大きかったと思われる1990年(平成2年、9.3%)と1991年(平成3年、6.0%)の市場規模は前年対比で高い伸び率を示したが、1992年(平成4年)以降は直近の1994年(平成6年)まで1.9%、0.1%、1.1%と極めて低い伸び率に留まっている。従って法人などの需要分の牽引が大きかったと思われるバブル経済期を例外として、外食産業市場全体はおおむね1970年代の急成長時代、1980年代の中位成長時代、そして最近の低位成長時代へと段階的に推移したとみることができる。

  • 市場規模算出の仕組みとその問題点

次に外食総研が作成する外食産業市場規模の問題点を3点にわたって指摘しておく。第一点は表3-1で示される市場規模値の推計手法について、第二点は同表で捕捉している外食産業の範囲について、そして第三点は同表の利用者の応用上の注意点である。

表3-3 「料理品小売業」の市場規模の推移

市場規模(億円)対前年増加率(%)料理品小売業を含む外食産業市場規模(億円)
1975年(昭和50)4,17088,273
1976年(昭和51)5,05221.2103,741
1977年(昭和52)6,50128.7114,372
1978年(昭和53)7,48015.1125,905
1979年(昭和54)8,85718.4142,027
1980-年(昭和55)11,14925.9154,303
1981年(昭和56)12,1118.6165,427
1982年(昭和57)13,75513.6182,128
1983年(昭和58)14,6506.5187,554
1984年(昭和59)15,5195.9196,040
1985年(昭和60)16,4746.2205,027
1986年(昭和61)18,19110.4218,899
1987年(昭和62)19,4436.9228,909
1988年(昭和63)22,18714.1243,584
1989年(平成元)24,76711.6255,411
1990年(平成2)29,56719.4282,101
1991年(平成3)32,65910.5300,892
1992年(平成4)34,1034.4306,701
1993年(平成5)35,2903.5308,268
1994年(平成6)36,1722.5312,269

第一点の同表の市場規模の推計手法については、数値の正確度に疑問が残るものが多いことである。表中の「飲食店」と「喫茶店」については通産省「商業統計」を基礎としている。「商業統計」については後に説明するが、この分の市場規模値の信頼度は比較的高いといえる。「商業統計」は3年に1回の頻度で実施されている。外食総研では「商業統計」実施年については「商業統計」結果を準用しており、「商業統計」が実施されない年については実施年値をベースとして適当な伸び率を乗じて算出しているので大きく実勢と乖離することはないと思われるからである。

また「集団給食」のうち、「学校」給食と「病院」給食については制度的な枠組みがしっかりしているので、給食費や保険の点数など市場規模値に接近しうる関連資料があるものと思われる。

しかし、それ以外の分野については、ある程度確度のある推計値を算出し得るような関連数値があるのかどうか不明である。例えば、「酒場、ビヤホール」「料亭、バーなど」については、以前、「商業統計」により年間売上高が調査されていた。しかし、「酒場、ビヤホール」及び「バー、キャバレー、ナイトクラブ」については1976年(昭和52年)調査を、「料亭」については1982年(昭和57年)調査を最後に年間売上高は調査されていない。外食総研では、「商業統計」の最終調査の数値に「家計調査」の相当項目の支出額の伸び率などを毎年乗じて、この区分の市場規模値を算出している。この手法では1~2年のブランクを埋めることはできても、20年近くも応用が効くほど適正なものとは思われない。従ってこの分野は現実の乖離はかなり大きくなっている可能性がある。

さらに「特殊タイプ飲食」「宿泊施設」「集団給食」の「事業所」及び「社会福祉施設」については、推計の根拠となる関連数値も出所事態がオープンにされていない現状にある。外食産業市場規模のより適正な推計方法について議論と研究が深められることがぜひ必要であるので、そのためには外食総研においても各区分ごとの推計方法と基礎数値をオープンにして議論を誘導できるようにしてもらいたいと考える。

  • どこまでを市場の範囲とするか

第二点は外食産業市場の範囲についてである。これについては以下三点の問題提起をしておきたい。一つは前述の「料理品小売業」を外食産業の範疇に入れるかどうかという問題である。現実的には「料理品小売業」については、外食産業の範疇に入れようとする見方が一般的になっている。というのも「ほっかほっか亭」や「小僧寿し」などの持ち帰りだけの店や、宅配ピザ店では、統計では初めから「飲食店」ではなく、「小売業」(「料理品小売業」)として数えられており、多くのファーストフード店では、それぞれの店舗ごとに、店内飲食比率が過半の店は「飲食店」に、持ち帰り比率が過半の店は「小売業」に区分されている。しかしこれらの店は外食産業として捉えるのは当然という見方があるのである。外食総研による市場規模の算出で「料理小売業」を補足しているのはこの点を考慮したものである。

二つ目は「酒場、ビヤホール、料亭、バーなど」のうち「バー、キャバレー、ナイトクラブ」を外食産業の分野に含むかどうかという点がある。「バー、キャバレー、ナイトクラブ」はその営業の性格上、料理や飲料を売るというよりも、遊興を売ることが主体であることから、外食産業から除外して位置づけようとする見方が一般的である。外食業界に影響力のある専門誌「日経流通新聞」は、外食総研が推計する各区分別値から、「バー、キャバレー、ナイトクラブ」分を除き「料理品小売業」分を加えた数値を外食産業市場規模(1994年、平成6年では27兆6,032億円)としている。

三つ目は、表3-1に示したフォーマットには本来、外食市場として捕捉されるべき多くの分野が脱漏しているのではないかという問題である。例えば「東京ディズニーランド」「東京ドーム」などの施設、高速道路のサービスエリア内や客船、飛行機の国際線で消費される飲食の販売額が、同表ではカバーされていないのである。さらにこれは技術上補足が困難であろうが屋台や移動販売車、仮設店舗による飲食販売額分も然とした外食市場分であろうが市場規模としては推計されていない。

以上、外食産業市場規模値はもともと、市場の範囲もすっきりしたものではないことに加え、推計手法やその基礎数値にもあいまいなところが少なくない。従って表現は適切ではないかもしれないが、外食総研推計の外食市場規模値とは当たらずといえども遠からずというぐらいの目安と心得ておくべきであろう。これが第三点目の利用者による応用上の留意点である。すなわち、外食産業市場規模値は精査な分析に耐え得るようなものではない。従って他の統計と接合したり、加工したりして分析的意味を追求していくには無理がある。あくまでマクロベースの大まかな目安を得ることに用いるという程度に利用の範囲を限定しておくことが望ましいと考える。

  • 飲食店数の現状と推移

外食産業の大半を構成するのは個々の飲食店である。表3-1に従えば、この分は「飲食店」分と「料飲主体部門」分にほぼ相当して、外食市場全体の約3分の2を占めている。その飲食店の店数や年間販売額は、通産省「商業統計」や総務庁「事業所統計」によって知ることができる。ここではこれら資料を基に、今日までの飲食店の大まかな推移を概観する。

はじめに、統計的な知識を簡単に確認しておく。「商業統計」はわが国の飲食店をくまなく調査し、店数、従業員数、年間売上高などをまとめたものである。「商業統計」は1952年(昭和27年)に第1回調査が実施され、途中までは2年に1回の頻度で飲食店全体について調査していたが、現在では3年に1回実施されている。「商業統計」の調査対象は途中までは飲食店全体であったが、その後「一般飲食店」と「その他の飲食店」とに区分され、今日では「一般飲食店」だけが調査対象となり、「その他の飲食店」は1979年(昭和54年)調査から段階的に調査項目が減り、1986年(昭和61年)からは調査対象から除外された。

「一般飲食店」には業種分類として「食堂、レストラン」「そば・うどん店」「すし店」「喫茶店」「その他の一般飲食店」の5区分を設けている。

このうち「食堂・レストラン」は「一般食堂」「日本料理店」「西洋料理店」「中華料理店、その他の東洋料理店」の4区分に分類した上で、さらに「中華料理店、その他の東洋料理店」は「中華そば店(麺類主体の店)」「中華料理店」「焼肉店」「東洋料理店(中華そば店、中華料理店、焼肉店を除く)」の4つに細分類している。「その他の一般飲食店」も同様に「ハンバーガー店」「お好み焼き店」「その他の一般飲食店」の3つに細分類している。これらの業種分類の定義は表3-4に示した。

「その他の飲食店」とは、遊興とアルコールを主体とした店のことで、「料亭」「バー、キャバレー、ナイトクラブ」「酒場、ビヤホール」の3区分を設けている。これらの業種分類の定義は表3-5に示した。「その他の飲食店」は「商業統計」では調査されなくなったが、総務庁「事業所統計」によって事業所数、従業者数を知ることができる。ただ「事業所統計」は5年に1回の調査であり、「商業統計」と比べると調査頻度が落ちること、年間売上高の調査項目がないことなどの制約がある。また「事業所統計」では調査対象が店舗だけではなく事業所や倉庫など事業所全てを含んでいる。しかし、管見の限り、「その他の飲食店」分については店舗事業所がほとんどでその他の事業所形態が極めてわずかしかないので、以下本書ではこの点を度外視し「事業所統計」の事業所数を店数と読み換えて「商業統計」を補足するものとして「事業所統計」を積極的に応用してみる。

表3-4 外食市場の構成と「飲食店」

業種名定   義例   示
一般食堂主として主食をその場所で飲食させる事業所(日本料理店、西洋料理店、中華そば店、中華料理店、焼肉店、東洋料理店を除く)食堂、大衆食堂、お好み食堂など
日本料理店主として特定の日本料理(そば、すしを除く)をその場所で飲食させる事業所(主として遊興飲食させる事業所を除く)てんぷら料理店、うなぎ料理店、川魚料理店、精進料理店、鳥料理店、釜めし店、お茶漬店、にぎりめし店、沖縄料理店、とんかつ料理店、郷土料理店、かに料理店、牛丼店、ちゃんこ料理店、しゃぶしゃぶ店など
西洋料理店主として西洋料理をその場所で飲食させる事業所グリル、レストラン、フランス料理店、ロシア料理店、イタリア料理店、スパゲッティ料理店、ピザ料理店など
中華そば店(麺類主体の店)主として中華そば(中華料理店、東洋料理店を除く)をその場所で飲食させる事業所中華そば店(ラーメン店)、長崎ちゃんぽん店など
中華料理店主として中華料理店(中華そば店、東洋料理店を除く)をその場所で飲食させる事業所中華料理店、上海料理店、北京料理店、台湾料理店、ぎょうざ店、四川料理店、広東料理店など
焼肉店主として焼肉(東洋料理店を除く)をその場所で飲食させる事業所焼肉店
東洋料理店主として東洋料理(中華そば店、中華料理店、焼肉店を除く)をその場所で飲食させる事業所朝鮮料理店、韓国料理店、印度料理店、カレー料理店、タイ料理店など
そば・うどん店主としてそば及びうどんをその場所で飲食させる事業所日本そば店、うどん店
すし店主としてすしをその場所で飲食させる事業所すし店
喫茶店主としてコーヒー、紅茶、清涼飲料及び簡単な食事をその場所で飲食させる事業所喫茶店、フルーツパーラー、音楽喫茶、スナック(喫茶を主とするもの)など
ハンバーガー店主としてハンバーガーをその場所で飲食させる事業所ハンバーガー店
お好み焼き店主としてお好み焼きをその場所で飲食させる事業所お好み焼店、もんじゃ焼店
その他の一般飲食店主として大福、今川焼、ところ天、汁粉、湯茶など他に分類されない飲食料品をその場所で飲食させる事業所大福店、今川焼店、氷水店、甘酒店、汁粉店、ドーナツ店、フライドチキン店、アイスクリーム店など

資料:通産省「平成4年商業統計速報(一般飲食店)」

表3-5 「その他の飲食店」の細分類の定義

業種名定    義例   示
料亭主として日本料理を提供し、客に遊興飲食させる事業所をいう料亭、割烹店、待合
バー、キャバレー、ナイトクラブ主として洋酒及び料理を提供し、客に遊興飲食させる事業所をいうバー、キャバレー、スナックバー、ナイトクラブ
酒場、ビヤホール大衆的設備を設け、主として酒類及び料理をその場所で飲食させる事業をいう大衆酒場、焼鳥屋、おでん屋、もつ焼き屋、ビヤホール

資料:総務庁「日本標準産業分類」(平成5年10月改訂)

  • 全国の飲食店数は約85万店、従業員数は約375万人

では「商業統計」及び「事業所統計」で、飲食店がどのように把握されているのであろうか。まず、直近の調査結果を表3-6のように集約してみた。「一般飲食店」は1992年(平成4年)の「商業統計」調査結果が最新である。それによると全国で店数は47万4,048店、従業者数は244万8,163人、年間販売額は13兆1,350億100万円である。

「その他の飲食店」は、1991年(平成3年)「事業所統計」調査結果が最新である。それによると全国で事業所数は37万1,909事業所(以降便宜的に店と記す)、従業者数は130万1,889人である。年間販売額は調査項目に入っていない。

これら「一般飲食店」と「その他の飲食店」とを、それぞれ統計種類の違い及び年次を無視して合算してみると、「飲食店」全体では全国に約84万6,000店あり、これに従事している人は約375万人となる。統計操作上正確とはいえないが、1992年(平成4年)時の状況としてはこれに近い数値であることは間違いない。ちなみに、この時の我が国の総人口は、1億2,358万7,297人(自治省「住民基本台帳」)であるから人口146人に1店の割合で「飲食店」があり、全人口の3.0%の人が「飲食店」に従業する割合になる。蛇足ながら「飲食店」従業者数375万人は、我が国の農業就業人口338万人(1993年、平成5年度)を上回る。

次に「飲食店」数のこの間の推移を見よう。先に1952年(昭和27年)の「飲食店」数は12万6,614店、1960年(昭和35年)のそれは22万9,960店と述べた。この先を続けると1970年(昭和45年)には42万5,971店、1979年(昭和54年)には73万6,815店、1982年(昭和57年)には83万8,449店となっている(表3-7)。そして今日(1990年代前半)「飲食店」数は前述のように約84万6,000店である。戦後我が国では「飲食店」は、1950年代、1960年代、1970年代と一貫して相当の増加率で増加してきたのであるが、1980年代以降は微増となり、横這いに転じたということができる。

この様子を図3-1に示した。同図によれば高度成長期以降1980年代初頭までの急激な「飲食店」数の増加の様子が見られる。1980年代以降の横這いへの転記により、典型的な「S字型カーブ」を描いている。[S字型カーブ]とは市場の急成長とその後の市場成熟期への意向を論じる際によく用いられる経験モデルである。同図ではまた「飲食店」数全体の推移をあわせて、[食事主体の飲食店]数(「一般飲食店」から「喫茶店」を除き「料亭」を加えた)と[料飲主体の飲食店]数(「その他の飲食店」から「料亭」を除き「喫茶店」を加えた)の推移を示した。

これによって、次の三点が指摘できる。第一点は、両者ともS字型カーブを呈していること。そして[料飲主体]はより激しく、[食事主体]はよりなだらかなカーブとなっていること。第二点は、かつては[食事主体の飲食店]数と[料飲主体の飲食店]数の割合は前者が多くほぼ2対1の割合であったが、1970年代から1980年代初頭にかけて後者の方が多くなり今日に至っていること。第三点は[食事主体の飲食店]数は1970年代の後半からほぼ横這いに転じていることが分かる。

表3-6 「飲食店」の概況

店数注1)従業者数(人)年間販売額(百万円)
飲食店注2)845,9573,750,052  -
1992年一般飲食店474,0482,448,16313,135,001
食堂レストラン241,0281,482,6538,333,926
一般食堂94,108  424,3052,053,042
日本料理店41,368  330,0852,253,817
西洋料理店27,150  357,0721,832,224
中華料理店、その他の東洋料理店78,402  371,1912,194,843
中華そば店34,434  127,234  666,012
中華料理店24,360  142,024  914,498
焼肉店17,307  87,203  533,915
東洋料理店  2,301  14,730  80,418
そば・うどん店37,564  190,047  981,111
すし店44,974  183,3811,508,350
喫茶店115,143  376,1051,444,714
その他の一般飲食店35,339  215,977  866,900
ハンバーガー店  3,526  96,503  366,135
お好み焼き店22,970  56,269  212,325
その他の一般飲食店  8,843  63,205  288,440
1991年その他の飲食店371,9091,301,889  -
料亭  8,529  70,335  -
バー、キャバレー、ナイトクラブ225,460  780,585  -
酒場ビヤホール137,920  450,969  -

資料:「一般飲食店」(1992年、平成4年)…通産省「商業統計」

   「その他の飲食店」(1991年、平成3年)…総務庁「事業所統計」

  1. 「その他の飲食店」(1991年、平成3年)は事業所数である。
  2. 「飲食店」は「一般飲食店」(1992年、平成4年)と「その他の飲食店」(1991年、平成3年)の計である。

表3-7 「飲食店」数の推移

飲食店食事主体の飲食店料飲主体の飲食店
1952年(昭和27)126,614
1954年(昭和29)147,426
1956年(昭和31)169,085
1958年(昭和33)199,908
1960年(昭和35)229,960149,70580,255
1962年(昭和37)242,754155,36387,391
1964年(昭和39)269,043170,14398,900
1966年(昭和41)321,354200,932120,422
1968年(昭和43)371,331240,313131,018
1970年(昭和45)425,971267,850158,121
1972年(昭和47)483,709294,529189.180
1974年(昭和49)542,288322,234220,054
1976年(昭和51)616,001349,637266,364
1979年(昭和54)736,815368,719368,096
1982年(昭和57)838,449374,596463,853
1986年(昭和61)849,822368,797481,025
1989年(平成元)367,339
1992年(平成4)845,957367,434478,523

資料:通産省「商業統計」、総務庁「事業所統計」より作成

  1. 「食事主体の飲食店」は、「一般飲食店」から「喫茶店」を除き、「料亭」を加えた店数。「料飲主体の飲食店」は、「その他の飲食店」から「料亭」を除き「喫茶店」を加えた店数。
  2. 1986年(昭和61年)と1992年(平成4年)の「その他の飲食店」数は、「事業所統計」の1986年(昭和61年)値と1991年(平成3年)値を採用した。
  3. 1989年(平成1年)の「その他飲食店」値は「事業所統計」の1986年(昭和61年)値と1991年(平成3年)値の中央値として算出した。「料亭」を除く「その他の飲食店」数は増減数が大きいので採用を避けた。

図 3-1 「飲食店」の推移

  • 業種別に見た飲食店の盛衰

以上は「飲食店」数全体の推移であるが、続いて「商業統計」に業種分類が設けられた1960年(昭和35年)以降、今日までの業種別店数の消長を見てみたい。表3-8がそれであるが一部「事業所統計」で補っている。

最初に表3-6で「食堂、レストラン」としてまとめられている「一般食堂」「日本料理店」「西洋料理店」「中華料理店、その他の東洋料理店」を追ってみる。「一般食堂」は1960年(昭和35年)では全国に5万5,002店であったが、1982年(昭和57年)には12万956店まで増え、以降は調査を重ねるごとに減少を続け、直近の1992年(平成4年)では9万4,108店となった。減少傾向はこれ以降も続いていると思われる。

「日本料理店」は、1960年(昭和35年)調査では「料理割ぽう店」という名称で、現行の「日本料理店」と「料亭」とを区別せず、これらをまとめた店数で2万7,046店であった。直近で「日本料理店」と「料亭」を合計した店数は4万9,897店と見込まれる。「日本料理店」と「料亭」を別個に見ると次のように両者の相違が鮮明になる。

「料理割ぽう店」はその後名称変更などあるが、現行の「日本料理店」と「料亭」とに接続する形で区分されるのは1968年(昭和43年)調査からである。この時の「日本料理店」は1万7,575店、「料亭」は1万6,094店で両者は店数の上でほぼ拮抗していた。しかし、「日本料理店」数は1992年(平成4年)調査では4万1,368店と2倍に増え、ここ10年間見ても贈店を続けている。一方「料亭」は1991年(平成3年)調査では8,529店へとほぼ半減している。

表3-8 「飲食店」の業種別店数の推移

一般食堂日本料理店と料亭の計西洋料理店中華料理店、その他の東洋料理店
日本料理店
1960年(昭和35)55,00227,0462,3489,923
1962年(昭和37)58,19426,8303,04811,008
1964年(昭和39)65,88327,8253,77913,200
1966年(昭和41)75,99831,9676,17016,892
1968年(昭和43)76,36033,66917,5756,93623,587
1970年(昭和45)85,43834,92115,3348,41927,278
1972年(昭和47)84,93438,25726,36711,57934,822
1974年(昭和49)91,07442,35630,75914,47340,093
1976年(昭和51)96,09445,08134,20416,77346,129
1979年(昭和54)104,72143,38434,34919,49553,447
1982年(昭和57)120,95643,09034,89322,51256,488
1986年(昭和61)113,38340,79231,48823,21863,479
1989年(平成元)102,91536,22326,02172,062
1992年(平成4)94,10849,89741,36827,15078,402
そば・うどん店すし店喫茶店その他の一般飲食店酒場、ビヤホールバー、キャバレー、ナイトクラブ
1960年(昭和35)32,01112,83915,04810,53641,91823,289
1962年(昭和37)30,09315,12316,52611,06741,18529,680
1964年(昭和39)29,91017,50819,85012,03844,74634,304
1966年(昭和41)34,14522,34127,23313,41952,58940,600
1968年(昭和43)30,60726,62236,08342,53251,43643,499
1970年(昭和45)31,23831,33850,03349,21858,65649,432
1972年(昭和47)34,96835,62568,14654,34462,58558,449
1974年(昭和49)36,18639,85585,83658,19767,35866,860
1976年(昭和51)42,02544,020106,93759,51581,25878,161
1979年(昭和54)41,73448,598143,04057,340101,174123,882
1982年(昭和57)41,54249,825161,99640,183140,838161,019
1986年(昭和61)40,06747,446150,60840,412140,394190,023
1989年(平成元)39,08345,835132,93736,283
1992年(平成4)37,56444,974115,14335,339137,920225,460

資料:通産省「商業統計」、一部総務庁「事業所統計」

  1. 「事業所統計」は事業酒数である。
  2. 1986年(昭和61年)と1992年(平成4年)の「料亭」、「酒場、ビヤホール」、「バー、キャバレー、ナイトクラブ」は、「事業所統計」の1986年(昭和61年)値と1991年(平成3年)値を採用した。

「西洋料理店」は、1960年(昭和35年)では2,348店と少なかったが、一貫して贈店を続け、直近の1992年(平成4年)では2万7,150店となった。この30年間で11倍以上に増えたわけである。特に和食とか中華とか謳わないファミリーレストラン(FR)の多くはこの「西洋料理」として数えられているため、1970年代以降各地に増えつつあるFRは「西洋料理」数増大の一翼を担っている。

「中華料理店、その他の東洋料理店」は、1960年(昭和35年)調査では全国に9,923店あったが、「西洋料理店」同様一貫して増え続け、1992年(平成3年)には7万8,402店である。この30余年に7.9倍ほど増えた。「中華料理店、その他の東洋料理店」は現行ではさらに細かな分類が設けられている。直近の内訳を表3-6で見ると、「中華そば店」が3万4,434店、「中華料理店」が2万4,360店、「焼肉店」が1万7,307店、「東洋料理店」が2,301店である。

  • 低調な「そば・うどん店」、激減する「喫茶店」

続いて「そば・うどん店」と「すし店」という伝統的な2業種についてみていこう。「そば・うどん店」は1960年(昭和35年)調査では3万2,011店と相対的に多かったが、1976年(昭和51年)の4万2,025店をピークに漸減傾向に転じ、1992年(平成4年)調査では3万7,564店である。

「すし店」は1960年(昭和35年)調査では1万2,839店であったが、1982年(昭和57年)調査までは贈店を続け4万9,825店となったが、これをピークとして漸減傾向に転じ、1992年(平成4年)調査では4万4,974店である。

「そば・うどん店」と「すし店」という伝統的な2業種は、若干のタイムラグはあるもののかなり似かよった傾向を呈している。すなわちいずれも1980年(昭和55年)前後にピークを迎え、その後穏やかな減少傾向に転じている。今後もおそらくこの漸減傾向はしばらくは続くであろう。

次に「喫茶店」数の推移である。「喫茶店」は1960年(昭和35年)調査では全国に1万5,048店であった。「そば・うどん店」の半数以下、「料理割ぽう店」にも遥かに届かない店数である。ところが、その後急激に店数を増やし、1982年(昭和57年)調査では16万1,996店と20余年間で10倍以上になった。しかし、この年をピークにこれまた急激に減少しはじめ、1992年(平成4年)には11万5,143店となった。10年前と比べて4万6,853店、3割弱も店数が減ったのである。4万数千店という店数は「日本料理店」の全店数、「そば・うどん店」あるいは「すし店」の全店数をも凌ぐ店数である。10年間でこれだけの店数が減るというのは大きな変化である。そして今後もまだしばらくは「喫茶店」数は大幅減少を続けるであろう。

なお、「喫茶店」数の増加、減少の型は、その規模の大きさを別とすれば、メニューに特徴や技術の薄い「一般食堂」のそれと相似形であると見ることができる。また、これら減少傾向にある店の多くは生業的な正確をもつ小規模な店が多く3)、後継者難という要因も店数の減少に拍車をかけているものと思われる。

「その他の一般飲食店」は表3-4で示したように雑多な業種から構成されているが、1992年(平成4年)調査では、「ハンバーガー店」「お好み焼き店」の項目を設けたので、その店数が分かる。表3-6を見ると、「ハンバーガー店」は3,526店である。「ハンバーガー店」が意外と少ないという印象を受けるのは、前述したようにハンバーガー店の中には「飲食店」ではなく、「小売業」=「料理品小売業」とされているものがあるのが主因であろう。「お好み焼き店」は2万2,970店であり、店数だけで見れば、「西洋料理」にも近い勢力である。

「酒場、ビヤホール」及び「バー、キャバレー、ナイトクラブ」(以降「バーなど」と略記)は、以前は「商業統計」が調査していたが、既述のようにいまは除かれているので「事業所統計」によって補ってみる。

「酒場、ビヤホール」は1960年(昭和35年)調査では4万1,918店であったが、1982年(昭和57年)調査では14万838店へと増店した。直近の1991年(平成3年)調査では13万7,920店である。これ以降は横這いないし漸減で推移しているものと見られる。「バーなど」は1960年(昭和35年)調査では2万3,289店であったが、特に1970年代後半以降は増加率が激しく、1991年(平成3年)調査では22万5,460店と30年前の10倍近い店数となっている。

表3-9 「飲食店」の業種別構成                  (店数)

店数構成比(1)%構成比(2)%
1960年1992年1960年1992年1960年1992年
飲食店229,960845,957100.0100.0
食事主体の飲食店149,705367,43465.143.4100.0100.0
一般食堂[食堂]55,00294,10823.911.136.725.6
日本料理店+料亭[料理割ぽう店)]27,04649,89711.8  5.918.113.6
西洋料理店  2,34827,150  1.0  3.2  1.6  7.4
中華料理店、その他の東洋料理店  9,92378,402  4.3  9.3  6.621.3
そば・うどん店32,01137,56413.9  4.421.410.2
すし店12,83944,974  5.6  5.3  8.612.2
その他の一般飲食店10,53635,339  4.6  4.27.0  9.6
料飲主体の飲食店80,255478,523  34.9  56.6(100.0)(100.0)
喫茶店15,048115,143  6.513.6(18.8)(24.1)
酒場、ビヤホール41,918137,92018.216.3(52.2)(28.8)
バー[サロン]、キャバレー、ナイトクラブ23,289225,46010.126.7(29.0)(47.1)

資料:通産省「商業統計」、総務庁「事業所統計」

  1. 1992年値の「料亭」、「酒場」、「ビヤホール」、「バー、キャバレー、ナイトクラブ」は「事業所統計」1991年値を授用した。
  2. [ ]は1960年の項目名である。

以上、「飲食店」の30余年間の業種別消長を概観した。最後に1960年(昭和35年)調査時の「飲食店」の業種別店数構成と、直近の1991年(平成3年)ないし1992年(平成4年)調査のそれとを対照しておこう。表3-9がそれであるが、図3-1と対照できるように[食事主体の飲食店]と[料飲主体の飲食店]の各小計を設けておいた。

まず、[食事主体の飲食店]数と[料飲主体の飲食店]数の割合は、1960年(昭和35年)時が65.1%対34.9%と前者が多かったが、直近では43.4%対56.6%と後者の方が多くなっている。

各業種別には1960年(昭和35年)時では「一般食堂」(23.9%)、「酒場、ビヤホール」(18.2%)、「そば・うどん店」(13.9%)の店数が比較的多かったが、直近では「バーなど」(26.7%)、「酒場、ビヤホール」(16.3%)、「喫茶店」(13.6%)という料飲主体3業種の店数が多い。

次に[食事主体の飲食店]だけに焦点を当て、その業種別店数の構成比(表右部分)を見ると、1960年(昭和35年)時では「一般食堂」(36.7%)、「そば・うどん店」(21.4%)が多かったが、直近では、両業種とも構成割合が著しく減り、代わって「西洋料理店」(7.4%)、「中華料理店、その他の東洋料理店」(21.3%)及び「すし店」(12.2%)の構成割合が増加している。

第四章 チェーンレストラン

  • チェーン経営の本質と主要外食企業の動向

1970年代以降の日本のチェーンレストランの発展は、日本の外食産業の歴史に新しい時代を画したものであった。人々がそれまでの家庭内中心の食生活から外食生活を気軽に楽しむようになる上で、これらチェーンレストランは、清潔な店舗、斬新なメニュー、心地よいサービスなどを大量に供給して、牽引的役割を果たした。チェーンレストランとは同一の店名及び店構え、同一のメニュー及び価格、同一水準のサービスの店舗を多数束ねて運営する経営手法によって運営されるレストランのことであるが、この経営手法を駆使した外食企業が次々と全国で数百店舗規模のチェーン店網を作り上げて、外食事業の産業としての基盤を築いた。本章ではこのチェーンレストランについて特徴や動向を概説する。

チェーンレストランの仕組みを具体的に述べる前に、「外食産業」という言葉の由来について簡単に触れておきたい。実は「外食産業」という言葉は1970年代以降のチェーンレストランの発展を目のあたりにして、1970年代末期にマスコミによって造語され普及した言葉である。「外食産業」という言葉が用いられる以前は飲食店とか飲食業という言葉しかなかった。

実際、チェーンレストランの登場以前には飲食店、飲食業の経営は、生業もしくは家族経営によるものがほとんどであり、近代的経営手法による事業経営は極めて少なかった。また、飲食業は参入障壁が低いことと、持続的な外食需要の拡大を背景として膨大な数の新規参入が相次いだが、短期間のうちに多くの飲食店が転廃業に追い込まれる状況にあったので、経営が不安定で社会的地位も低く見られ、いわゆる“水商売”視されてきたのである。

チェーンレストランの相次ぐ急成長はこうした飲食業の社会的通念を覆すものであったので、新しく生まれた「外食産業」という言葉を用いることで、以前の見方を改めようとしたのである。今日では「外食産業」という言葉は、なお大規模化したチェーン群に限定して使われることもあるが、例えば先に見た「外食産業市場規模」とか「江戸時代の外食産業」などというように外食提供事業者一般を表現したものとして抵抗感なしに用いられるようになっている。

  • チェーン経営の特徴

では、チェーンレストランは従来の飲食店経営とどのような点で革新的であったのだろうか。チェーンレストランとは、同一または類似の店名及び店装、メニュー及び価格で同じような水準のサービスを提供する店舗を多数束ねて同時に運営しようというものである。このチェーンレストランの経営スタイルに対して、従来の飲食店経営は個店経営と位置づけられる。個店経営とは当該店舗1店の経営に専念するものであり、その経営内容はその店の経営者または調理責任者の個人的センス・技量によって決定される。またその店固有の立地条件など、個別の事情によっても左右される。

これに対し、チェーンレストランは多数の店舗が同質の営業内容で運営されなければならないので、多数店舗に共通する、または基準となる営業内容があらかじめ開発されていなければならない。この営業内容を開発し、維持、改良していくチェーン機構を本部といい、直接の営業現場である店舗とは区別される。つまりチェーンレストランの経営組織の特徴は本部機構と店舗とが分離していることである。本部機構と店舗はそれぞれに特有の機能を担って分業し、両者が補いあって外食事業を推進するのである。

両者の分担関係の要諦は次のようである。すなわち、店舗の機能は直接消費者と接触する場として必要なものだけを残し、他の機能は全て本部が担い、店舗の能力を高めるようにバックアップするということである。本部が担当する機能とは、立地選定、店舗設計、メニューの開発、食材の調達、従業員の採用・教育、販売促進活動などである。これに対し、店舗の役割は本部が企画したメニュー、サービスを消費者に対し適切に実現することである。

このため、本部は店舗の負担をできるだけ少なくすることとあわせ、どの店でも平準化したメニュー、サービスが実現できるように企画することが必要になる。具体的にメニューは食材と調理労働と厨房機器の合体物であるから、これら3要素をどのように組み合わせるのかという設計が必要になる。例えば、店舗での労働はパートやアルバイトが多く、あまり熟練度の向上を期待できないと想定するのであれば、それに対応した食材と厨房機器を用意しなければならない。調理そのものも、分割しうる部分があれば極力店舗での負担を少なくし、本部が調理の前処理工程を引き受けるようにする。あらかじめ工場で食材を加工し、各店舗に配送するセントラルキッチン方式はこの典型的な例である。その上で調理やサービスのマニュアルが整備されなくてはならない。

以上のような本部と店舗の関係は、しばしば映画や演劇の作・演出者と役者の関係にたとえられる。直接観客(消費者)によって見られるのは役者であるが、その背後には作・演出者の周到なシナリオ(デザイン)がある。この場合、作・演出者とはチェーン本部であり、店舗従業員が役者に擬せられている。

  • チェーン経営のメリット

チェーンには経営的な観点から二つの大きなメリットがある。一つは同一ブランド(店名)の店舗が多数存在することによって、消費者の認知度が上がり、大きな集客効果が期待できるということである。二つはいわゆるスケールメリットの発揮によって抜群の経営効率化が図れることである。

チェーンでは店名が同じであれば、メニューもサービスも価格も同一かもしくはほとんど同じであることが原則である。また、店構えも同様の外装を施し、ロゴマークや商標で第三者の目に同一チェーンだと分かるように意匠する。消費者はここかしこで、そのチェーン店を見ることになり、チェーンの存在に気づく機会が多い。そして、あるチェーン店を一度利用して店の様子を承知すれば、次回からは同じチェーンの別の店もすでに知っている店として利用することができる。

個店経営の店は、たとえ他の店と似たような店構えであっても、実際に体験してみないと分からないことが多い。特にメニューの味は、利用者がその店を利用するかどうかを決める時の最も重要な要素であるにもかかわらず、食べてみるまでは分からないということになる。その点、チェーン店であれば、多少の差異はあってもあらかじめ自分が承知している範囲とそう大差ないという安心感がある。このようにチェーン店においては、消費者の認知度と集客効果において個店経営の店には及びもつかないメリットがある。

チェーンはスケールメリットについても多くのことが期待できる。まず第一に多数店舗で同質の食材を使用するところから、食材調達上でスケールメリットが発揮できる。備品や消耗品についても同様である。例えば1店舗で使用する食材量を別途に調達する行為と、仮に100店舗で使用する食材量を一括して購入する行為とを想定してみれば、後者の方が価格面で圧倒的に有利に調達できることはたやすく想像できよう。

第二に、同様の効果は店舗の建設や厨房機器の購入の際にも当てはまる。建材や装具、厨房機器を1店舗分購入するケースと100店舗分購入するケースでは価格は全く違ったものになろう。

第三に、これらのスケールメリットは単に既製品を安く購入するということから進んで、チェーンが欲する仕様に合わせた特注品を調達することを可能にする。食材ではPB(プライベートブランド)商品、厨房機器では特別仕様のものをというように、チェーンのイニシアティブで技術開発を進めることができる。

第四に、各種マニュアルの整備や従業員教育についても、スケールメリットは威力を発揮する。店舗で活用されるマニュアルの作成のための労力や費用は1店舗で使われようが100店舗で使われようが、ほとんど同じである。マニュアルの印刷、紙代ぐらいしか違いはない。だから1店舗あたりで割り当てれば後者は前者の100分の1ですむ。実際には前者ではできないものが後者ではできるということも多い。教育研修についても100店舗で相応に負担すれば、チェーンの運営手法に合わせた専用のトレーナーを配置したり、教育研修施設を設けたりすることが比較的容易にできる。

第五に、情報の共有化というメリットがある。チェーン店のある1店で発生した何事かは他の店に伝えられることで、チェーン全体の経験として共有されることになる。例えば調理上の簡単な改良とか、顧客に喜ばれたサービスや、思いがけずに起こったトラブルが他店に伝えられ、チェーン全体の改善につながるのである。

第六は、これも情報の共有化の一つであるが、チェーンでは機器を入れ替えたり、新規メニューを導入する際には、全店一斉に実施しないで、限られた店舗で実験をした上で改良を加えたり、顧客の反応を確認しながら全店に波及させることができる。これにより、より効果的に機器の変更や新規メニューの導入が図れる。

以上のようにチェーンには多くのメリットがあるが、逆にチェーンであるが故にデメリットを生むこともあり得る。例えば、チェーンのある店で発生したトラブルで消費者の信頼を損なうようなことがあると、チェーン全体への不信感となる可能性がある。それがマスコミなどで取り上げられたりすると個別店舗の事情がチェーン全体の致命傷にもなりかねない。

また、最近のようにチェーン店数規模が拡大してくると、食材のうち特に野菜などの生鮮食料品では特定品目への調達ニーズが集中することで、かえって高騰したり、調達が困難になったりするケースもないわけではない。

しかしながら、チェーンレストランの多くは既述のようなメリットを享受する経営効率の優れたシステムを作り上げることで、外食産業の成長を支えてきたのは間違いのないことである。

  • ファミリーレストランとファーストフード

外食産業の今日の発展をもたらす上で、米国から持ち込まれたチェーンレストランの思想と仕組みが絶大な役割を果たしたことは繰り返し述べてきたが、このチェーンレストランの立役者として外食産業界をリードしてきたのはファミリーレストラン(FR)とファーストフード(FF)という二つの業態である。従ってここではこのFRとFFについてその特徴を述べておこう。

FRは1970年(昭和45年)「すかいらーく」の東京・国立郊外の1号店(当時スカイラーク)の開店がその始まりである。後に(1970年代の末以降)FR御三家といわれるロイヤルの「ロイヤルホスト」1号店(北九州市黒崎)は1971年(昭和46年)、米国のデニーズと提携したデニーズジャパンの「デニーズ」1号店(横浜市上大岡)は1974年(昭和49年)のオープンである。

FRは当初は洋食メニューを掲げた当時としてはかなり大型のレストランであったが、それ以前の我が国の飲食店のあり方と比べて決定的に違う点はその立地にあった。それまでは人の集まりやすい繁華街や駅前商店街などが飲食店の好立地であり、それ以外の立地では飲食店の営業が成り立たないといわれていた。これに対しFRは我が国のモータリゼーションの進展を視野に入れて、自動車による来客を見込んで幹線道路沿いなどの郊外(ロードサイド)を出店場所の基本に据えたのであった。

結果として出来上がったFRの形態的特徴は①ロードサイド立地、②30~40台の駐車場規模の駐車場の必置、③フリースタンディングといわれる独立型店舗で建坪100坪前後の大型平屋建て、④席数100席前後の大規模席数、⑤メニューは我が国でフルライン型といわれるもので、スープ、メインディッシュ、サラダ、デザート、ドリンクなどが一通り揃っている、⑥サービススタイルはフルサービスで、ウェイトレスまたはウェイターが注文を取って料理を客席まで運ぶ、等である。

要するに、立地、店舗、メニュー、サービスのそれぞれにおいて、それまでの一般的な飲食店とは際だった特徴があったということになる。立地については上術の通りであり、店舗は著しく大型で、メニュー数も100前後と豊富で、サービスも当時としては限られた高級レストランやホテルのレストランなどでなければ体験できない心地よいものを目指した。

ところでFRがその登場以来、急速な増店を可能とした手法に「店舗リース方式」がある。これは我が国の外食産業界ではすかいらーくが開発した手法であり、「すかいらーく方式」ともいわれる。同方式は、チェーン企業が出店する予定の土地の所有者に店舗建物を所有者の負担で建設してもらい、チェーン企業は、その土地・建物一括で土地所有者から借り受けるというものである。土地所有者は店舗建設費用をチェーン企業の債務保証で金融機関から資金を借り入れるのが通例である。賃貸契約期間は10年程度が一般的である。

土地所有者は土地の値上がり期待や税制上の点から土地を譲渡することを極端に忌避する傾向があり、また第三者が建築を建てると長期借地権を生むことになるが、この方式の採用で、土地を所有しつつ、借地権をめぐるトラブルも回避しながら、賃借料収入が確実に見込めることとなった。

一方、チェーン企業にとっては、土地を購入すれば莫大な資金が必要となる上に、法外な地代を提示しても借地の確保すらままならないという状況であったが、同方式の活用で財務負担を著しく軽減しながら、店舗数を増やせたのである。この方式はすかいらーく以外の他のFRチェーンにもまもなく波及し、FRチェーンは急激に店舗数を増やしたのである。

ちなみにファミリーレストランという名称は、FRチェーンの登場と同時に普及した言葉ではない。例えば、すかいらーくの社内報によれば、同1号店は「ドライブ・イン・レストラン・スカイラーク」と自称していたが、その後「ファミリー型コーヒーショップ」(1973年、昭和48年2月)と自称するようになった。「デニーズ」は本家の米国ではコーヒーショップといわれ、日本の「デニーズ」も当初はコーヒーショップと自称していたが、日本でコーヒーショップというと「喫茶店」と誤解されることが多く、この表現は定着しなかった。

FRという言い方が一般化したのは1970年代半ばで、この頃、すかいらーくは「ファミリーも安心してご利用いただけるレストラン」というのを宣伝文句にしていた。当時は家族揃っての外食習慣はさほど定着していなかったので、こうした宣伝も手伝ってFRという言葉が一般化したと思われる。

なお、FRとコーヒーショップを厳密に業態として区別しようという見方もないわけではない。前者はメニュー政策上、食事メニューにより重点がおかれるが、後者は相対的に軽食メニューを充実させるとする見方である。もともと、コーヒーショップは第2次大戦後、米国で大規模ホテルの発展に伴い、飛行機や自動車で時差を超えて長距離移動して到着する客のために、本格的な食事よりも軽食を取り揃え、24時間オープンして客を迎えるというスタイルから生まれた言葉である。ホテル内には本格的なレストランがあるが、これを補完する形でコーヒーショップが必要とされたのである。このホテルのコーヒーショップの言葉と概念がレストランチェーンにも適用されたのである。ただ、米国のチェーンレストランでも最近はFFとの競争上、食事メニューを充実させるようになっており、その結果、コーヒーショップに代わってファミリーダイニングという言い方が一般的になっている。

FRは1970年代までは洋食主体のチェーンがほとんどであったが、1980年以降になると、うどんと和食の「味の民芸」、和食の「京樽」「藍屋」、中華の「バーミヤン」、ステーキの「フォルクス」「万世」、ハンバーグの「びっくりドンキー」、イタリア料理の「スカイラークガーデンズ」「サイゼリア」など多様な展開をみせるようになった。

すかいらーくが一時期増店に力を入れた「イエスタディ」(すかいらーくは「カジュアルレストラン」と称していた)や最近増店している低価格業態の「ガスト」もFRの一種とみてよいのであろう。

一方、ファーストフード(fast food)とは迅速に提供される食品・料理である。

FFという言葉は「マクドナルド」「ケンタッキーフライドチキン」「ミスタードーナツ」というチェーンブランド及びハンバーガー、フライドチキン、ドーナツという新奇な食品とともに米国から日本にもたらされた。その後、米国直輸入のチェーン、食品だけでなく在来のメニューや和製のチェーンにも応用されるところとなった。従ってFFというと、狭義にこれら米国初のチェーンまたは食品に限定して用いられた頃もあったが、今日ではこれらチェーンも全国に波及し、そのメニューもすっかり日本人の食生活にとけ込んでおり、それに伴って持ち帰り寿し、持ち帰り弁当、牛丼チェーンなど素早く提供される料理や店全体を指すようになっている。

さて、米国初のFFの特徴をまずみておく。具体的なチェーンとしては右記に代表される。これらに共通する事項は次のようである。①単品(限定)メニュー、②カウンター越しのキャッシュアンドキャリー(FRのフルサービスという言い方に対してセルフサービスという)、③注文から提供までほとんど待たされない、すなわちfast、④メニューが原則持ち帰り可能で、フィンガー(ワンハンド)スナック、すなわち手づかみで食することができる。持ち帰り対応としてはメニューは皿で提供されるのではなく、包装されている、⑤従って店舗も店内に客席を設けている店の他に客席部を設けない持ち帰り専用店舗もある、⑥店内作業としては、注文を受けてから料理を作り始めるのではなく、あらかじめ作り置くことが多い。

また、米国でFFというと日本の外食習慣では想像がつかない特別の意味を持つ。欧米のレストランは客席への案内、料理の注文、提供などウエイトレスまたはウエイターが接客して行うが、そのサービスに対して応分のチップが原則である。FFはセルフサービスなので、チップ不要のレストランという意味を持つ。FFと表示された店舗では客はチップを払わなくてすむのである。また、米国では最近FFという言い方に換えて、クイック・サービス(レストラン)という言い方も増えている。

なお、米国ではFFは自動車社会を背景に、郊外立地に出店することから始まり、その後、市街地へ出店するという道筋を辿ったが、1970年代の我が国では、郊外立地はFRの独壇場であり、“新奇なメニュ―”のファーストフードはなかなか周辺住民の利用度を上げられなかった。むしろ、繁華街や駅前商店街など多数の人が集合する雑踏を擁する立地で大いに威力を発揮した。

この点でしばしば好対照として語られるのは「マクドナルド」と「ケンタッキーフライドチキン」の日本での船出についてである。両者とも米国サイドからは強力に郊外型立地でスタートするよう求められたが、「マクドナルド」は繁華街に固執し東京・銀座に1号店をオープンさせ大成功を収め、「ケンタッキーフライドチキン」は愛知県郊外に1号店を作り短期間で撤退を余儀なくされた。2号店、3号店(いずれも大阪)も失敗店となり、市街地立地を求めた4号店(神戸)でようやく店は軌道に乗った。1970年代においてはFFの立地は繁華街、商店街、市街地の人の多いところが原則であった。郊外立地がこれに加わってくるのは1970年代末以降である。

FFの郊外立地の開拓に積極的な店舗開発を推進したのは「マクドナルド」である。「マクドナルド」はドライブ客が店舗の一方から進入してメニューを注文してそのまま店舗の周囲を自動車で移動し、店舗の他方の出口でメニューを受け渡しする「ドライブスルー方式」を1977年(昭和52年)にスタートさせた。また、1980年代に入ると、プレイランド付き店舗も開発して郊外の家族客の誘因に努めた。さらにプール(スイミング教室)、ビデオレンタル(ブロックバスター)、玩具店(トイザらス)などと同じ敷地や建物内に積極的に出店し、集客力を高めた。1990年半ば以降は、郊外型ショッピングセンター、パワーセンター、スーパーマーケットなどの商業施設を初めとして、大学構内や社員食堂にいたるまで「サテライト店舗」と呼ばれる小型の店舗を続々と入店させている。

一方、こうした米国ブランドの上陸と華々しいチェーン拡大とは別に、日本独自のメニューを掲げてチェーンに着手したものも少なくなかった。1970年(昭和54年)には「小僧寿し」がフランチャイズチェーン(FC)として1号店をオープンした。「小僧寿し」は「ほっかほっか亭」(1976年、昭和51年スタート)と並び持ち帰り米飯チェーンの代表格であるが、これら持ち帰り米飯店は、メニューの性格こそ異なるが、それ以外では右記のファーストフードの特徴を持っており、FFの和風版ないし和風FFともしばしば称せられるようになった。また1973年(昭和48年)にFC1号店(神奈川・小田原)を出した牛丼の「吉野家」も、カウンターサービスであるが、クイックサービスを売り物にし、店舗数を拡大している。

1990年代に入ると天丼チェーンの「てんや」など丼メニューのチェーンが増店してきた。丼チェーンも店内飲食と持ち帰りの双方に応じる店でクイックサービスを売り物にしている。これら丼チェーンは持ち帰り米飯チェーンとともに和風FFと認知されるようになっている。

  • 主要外食チェーンの変遷

さて、以上のようにFRやFFが牽引する形で日本のチェーンレストランは拡大を続けてきたのであるが、ここで我が国の大手外食企業の業容とその変遷についてみておこう。

「日経流通新聞」は1975年(昭和50年)から「日本の飲食業調査」(調査はその前年実績が対象)を毎年実施している。第1回調査の1974年(昭和49年)、1980年(昭和55年)、1985年(昭和60年)、1990年(平成2年)の各実績から、売上ランキング上位20社をそれぞれ抜き出して提示した(表4-1)。また、直近の1994年(平成6年)実績分については上位チェーン100社を掲載した(表4-2)。これらによってこの間、いかにチェーンレストランが伸びてきたかを知ることができる。

表4-1によると、1974年(昭和49年)ではまだ一連のチェーンレストラン群がスタートして間もない頃であり、当時は様々な業態を手がける老舗の外食企業や給食会社、ホテルが上位を占めていたことが分かる。同年の売上高ランキングの第1位は日本食堂で売上高309億2,200万円、店舗数93店、第2位はニュー・トーキョーで同146億6,600万円、同80店である。両社の業績はともに「総合」となっており、これは様々な分野の店を持つことを意味する。日本食堂は旧国鉄(現JR)の関連会社で、駅構内での弁当販売や食堂、列車食堂の運営や国鉄関連施設の社員食堂などを手がけていた。ニュー・トーキョーは東京・有楽町の総合飲食ビルの営業をはじめ各商業施設へのテナント入店による食堂、ビヤホール、社員食堂などを経営していた。

表4-1 外食企業ランキング上位20社の推移

表4-2 1994年度売上高ランキング上位100社 はエクセル原稿#2に入っています。

このように両社ともチェーンのように店を平準化することはしないで営業していた外食企業である。単一業態で展開するチェーンでは、すでにフランチャイズ・チェーン・システム(FC)を駆使し、全国に店数を広げていた居酒屋チェーンの養老商事(現養老乃滝)が146億円、807店舗で3位にラーメンチェーンの北国商事(現ホッコク)が133億円、900店舗で4位に入っている。しかし、FRチェーンやFFチェーンは10位圏内には入っていない。20位以内ではFFでは14位にダスキン(ミスタードーナツ)(75億円、120店舗)が、19位に日本マクドナルド(68億円,59店舗)が数えられている。日本ケンタッキー・フライド・チキンは27位(52億500万円、119店舗)、ロッテリアは48位(33億7,600万円、51店舗)、小僧寿し本部は56位(27億円、250店舗)、吉野家は59位(26億6,600万円、36店舗)であった。

FRのロイヤル(81億9,000万円、79店舗)は12位だったが、当時はまだFRの「ロイヤルホスト」が本格的に育っておらず、専門店としての洋食レストランやステーキ店のウエイトが大きかった。また、すかいらーくはこの年、100位圏外であり、同社は翌1975年(昭和50年)実績の同調査では98位(20億5,000万円、20店舗)と初めて100位入りする。

それからわずか6年、外食業界の勢力図は一変する。1980年(昭和55年)の売上高ランキングをみると単一業態を主体にした新興のチェーンレストランが上位10社のうち7社までを占めている。すなわち、1位が小僧寿し本部(627億円、1,956店)、2位が日本マクドナルド(500億8,200万円、265店舗)、「ロイヤルホスト」を軌道に乗せたロイヤル(409億7,500万円、191店舗)が4位、すかいらーく(383億6,400万円、251店舗)が6位、日本ケンタッキー・フライド・チキン(331億円、312店舗)が8位、ロッテリア(328億4,900万円、292店舗)が9位という具合である。

こうした動きはそれ以降も加速していったことが掲示した表から容易に読みとれよう。直近の1994年(平成6年)では上位10社は全てチェーンレストランを手掛ける企業である。これを上位20社でみても、11位の西洋フードシステムズはFRチェーンの「カーサ」、居酒屋チェーンの「藩」などチェーン主体であるので、ホテル2社を除いて18社がチェーン企業である。

また、チェーンレストランの急拡大によって売上高ランキング上位社の売上高も、この間飛躍的に伸びていることはいうまでもない。例えば、各年のランキングトップの売上高をみると、1974年(昭和49年)は日本食堂の309億2,200万円であったが、1980年(昭和55年)には小僧寿しが627億円と倍増し、1985年(昭和60年)では日本マクドナルドが1,188億3,200万円とこれまた倍増に近い。1990年(平成2年)、1994年(平成6年)も日本マクドナルドで1,754億7,500万円と2,152億3,700万円である。上位10社で計算しても、同様に凄まじいばかりの売上高の伸びが確認できる。

さて、直近のランキング上位社をみると、第1位は、日本マクドナルドで年間売上高は2,152億3,700万円であり、店舗数は1,092店舗である。第2位はほっかほっか亭総本部で、同1,399億5,400万円、2,656店舗であり、第3位はすかいらーくで同1,395億5,400万円、816店舗である。

以下、日本ケンタッキー・フライド・チキン(1,322億6,800万円、1,148店舗)、モスフードサービス(1,210億円、1,330店舗)、本家かまどや(1,080億5,500万円、2,307店舗)、ダスキン(ミスタードーナツ)(1,037億5,900万円、837店舗)、ロイヤル(1,012億2,900万円、428店舗)、小僧寿し本部(1,007億4,400万円、2,000店舗)と続き、第10位デニーズジャパン(950億円、471店舗)となっている。

この年、上位9社までは年間売上高1,000億円の大台を突破している。一口に年間売上高1,000億円といっても、単価の低い外食事業においてこれだけの売上高を達成するには、仮に客単価1,000円とすると年間1億人の来客実績があったという計算になる。年間1億人は日割り計算すれば1日27万人である。膨大な数の消費者が日々、大手外食チェーンを利用しているわけである。

ちなみにこれら上位10社のうち、すかいらーく、ロイヤル(ロイヤルホスト)、デニーズジャパン(デニーズ)はFR御三家と呼ばれてきた我が国を代表するFRチェーンであるが、他の7チェーンは業種をみると全てFFチェーンである。米国でもFFチェーンの売上高シェアが増え続けており、最近では米国の外食400社の売上のうち、FFチェーンが占める割合は過半に届くようになったという報告がある(表4-5)。我が国でもそうした傾向をキャッチアップしてFFチェーンのシェアが拡大する方向にあるという見方ができよう。

  • フランチャイズ・チェーン・システム

チェーンレストランの拡大を述べる上で欠かせないのがフランチャイズ・チェーン(FC)システムである。チェーンレストランの発展はFCシステムによって担われたところが大きい。先に紹介した表4-2の「日経流通新聞」による直近の外食企業上位100社(うちホテル14社を除く)のうち、FCシステムを採用しているのは45社(86社の52.3%)に上る。FCによる売上は上位100チェーン(同)の総売上高3兆3,828億円のうち1兆2,667億円(37.4%)を占め(デニーズ、フォルクスを除く)、店舗数でも上位100社(同)の総店舗数4,872店のうち、1,9515店(47.7%)を占めている。このようにFCシステムは、外食産業の中核となる仕組みの一つである。

FCシステムも米国を発祥としている。近代的なビジネスの世界に初めてFCシステムが取り入れられたのは、米国シンガーミシンが最初で、1863年にこのシステムの原型を採用されたとしている。その後、自動車製造会社や石油会社がディーラーやガソリンスタンドを「コカコーラ」などの清涼飲料メーカーがボトラーをFC加盟店として組織する動きが活発となり、FCシステムは19世紀末期から20世紀初頭にかけて広まった。

ただ、これらの業種は物品販売の販路開拓という性格(物品の販売代理店的性格)が強く、米国産業経済局の統計分類などでは、これらの業種は「Traditional Franchising」(伝統的フランチャイズ)と呼ばれ、これら以外のフードサービスなどのFCシステム「Business Format Franchising」(ビジネス・フォーマット・フランチャイジング)と区別している。今日、我が国でフランチャイズシステムというと、専ら後者を指したりイメージすることが一般的である。

米国の外食産業もFCによる多店舗化で今日の発展の基礎が築かれたということができる。その初期の代表は1925年に創業され1935年にFC展開を開始したハワード・ジョンソンである。同チェーンは28種類のアイスクリームを開発してアイスクリーム店として成功し、これにハンバーガーなどのメニューを加え、全国統一メニュー、店舗イメージの統一などの基本を確立した。1930年代はA&W・ルートビアなどの他の外食企業もFC化に乗り出した。

第2次大戦後になるとFCシステムはほとんどの小売業種やサービス業種で採用されるようになり、多くのFCが一斉に生まれた。兵役解除になった人たちの社会生活を支援する目的で彼らが商売を開始する際には政府の融資が計られるなど国策としてFCシステムが奨励されたとも思える状況があったようである。

我が国で初めてフランチャイズ、フランチャイジングという言葉が使われたのは1956年(昭和31年)11月、「東京コカ・コーラボトラーズ」の設立時といわれるが、これは「伝統的フランチャイズ」の性格が強かった。「ビジネス・フォーマット」のタイプでは1958年(昭和33年)に「不二家」(洋菓子)と「ダスキン」(科学雑巾、ダストコントロール)がフランチャイズチェーンに着手したのが最初であり、外食チェーンでは1961年(昭和36年)の「養老乃滝」(大衆酒蔵)が最初であるとされている。

  • FCシステムの仕組み

ではFCシステムとはどんな仕組みなのであろうか。チェーンとは既述のように比較的均質な多数の店舗を束ねて同時に運営することであり、そのために本部と店舗とが機能を分担し合って組織全体の力をより高めようとする経営形態のことである。FCシステムはそれと同様の特質を有しながら、本部と店舗の経営体を別個にしてチェーン展開する形態のことである。本部となる企業(フランチャイザー)が、加盟店(フランチャイジー)を集めチェーンを拡大していくのが一般的で、そうしてできたチェーンをFCという。本部はフランチャイザー(略してザー)、加盟店はフランチャイズ店とかフランチャイジー(略してジー)と呼ぶことも多いが、本書では本部、加盟店の名称を用いる。

本部にとってFCシステムの最大のメリットはチェーンを拡大する上で、人、物、金の確保が直営店のみで展開を図るよりは格段に軽減できるということである。本部にしてみれば、加盟店は人、物、金を投入してくれる格好のパートナーであり、そうしたパートナーを大勢集めればチェーンを拡大するのは比較的容易だからである。一方、加盟店にとっては、何もない状態からビジネスを開始するより、すでにあるビジネスに参加する方が手っ取り早いという利点がある。このように双方の利害が一致する点がFCシステムの根本の考え方である。

本部と加盟店とは、対等の立場で契約を結び、契約に従って権利・義務を果たしながら、双方が一体となってチェーンを運営する。本部は加盟店に事業運営のノウハウパッケージを提供する。これに対して加盟店は対価を本部に支払う。この対価は通常、契約時(加盟時)に支払われる一時金(加盟金という)と、その後の運営に伴って定期的に支払う対価の2種類がある。後者はロイヤルティーとかフランチャイズフィー、または単にフィーとか呼ばれる。この表現はまれに一時金を含めて指すこともある。

ロイヤリティーの金額算定方式はチェーンによってまちまちで、形式的には加盟店の売上に連動する定率方式、連動しない定額方式、店舗面積に比例する方式、さらに売上高が多くなると比率が高くなるもの、逆に低くなるもの、最低額を固定し売り上げ規模が一定以上になると売上比率とするものなど様々である。なお、店舗開発に関する費用(立地調査など)、店舗従業員の教育訓練費、広告費などはロイヤリティーとは別途の扱いとするチェーンが多い。

また、ラーメンチェーンのように製麺などの食材供給が本部の利益と直結するところでは、ロイヤリティーは徴収せず、食材価格にロイヤルティに相当するノウハウ料を含めるケースもある。さらにロイヤルティーは著しく低率ないし低額にしておいて残りの相当分を食材価格に含めるという方式をとるチェーンも少なくない。

一般に本部は加盟店に対して、店を運営するための一切のノウハウを提供する。例えば、商標・サービスマークの使用権や店舗デザイン、メニューレシピなどの提供は勿論、従業員の採用や教育、資金繰り、食材の仕入先の斡旋、販促活動、経理など経営全般の面でバックアップする。

さらにスーパーバイザーと呼ばれる本部スタッフが加盟店を定期的に巡回して、直接経営指導を行ったり経営相談にのる。今日、スーパーバイジング機能はFCシステムの必須の機能とされている。こうして加盟店とその連携を強固にし、本部はチェーン店全体が同一の商品、サービスを消費者に提供することを目指す。

ただ、右記の事柄はあくまで一般論で、チェーンによっては本部と加盟店との連携の濃淡は大きく違う。連携の薄いケースをあげれば、例えば食品メーカーや食品問屋が本部となった場合には、実質的には加盟店への食品販売がFC構築の目的となることがあり、その場合には、経営面での加盟店支援に力を入れないケースもある。さらに店舗デザイン会社や厨房機器メーカーが本部となった場合もデザイン料の獲得や厨房機器販売が主目的となって、同様の現象がみられることがある。

一方、モスフードサービスや小僧寿し本部などでは、加盟店の側から商品開発など重要な案件を含めて積極的に提案するなどして、加盟店の強い働きかけでチェーン運営全体の改善が推し進められている。加盟店同志が連絡して本部とは別にある種の組合を結成し、これが本部のスーパーバイジングに相当する機能を補強しているのである。

ところで、フランチャイズ(franchise)の元来の意味は「特別の権利を与える」ということであり、しばしば独占的販売権のように解されている。例えばエリア・フランチャイズという時には、本部と契約した加盟店は契約に示された特定エリアについては当該本部の供給する商品を独占的に販売する権利を得るという具合に理解される。つまり、本部は全国地図上にエリアを分けて、各エリアでの独占販売権を加盟店に販売するのである。

このエリア・フランチャイズという考え方は「伝統的」フランチャイズにおいてよく当てはまるものであり、その考え方が「ビジネス・フォーマット」フランチャイズにも応用されたものと考えれる。FCシステムが広大な国土を有し、各州の法律が異なる米国で発展したビジネス手法であるので、おそらく米国での事業展開においては、エリア・フランチャイズの手法が有効であったと推測される。

このエリア・フランチャイズ・システムの考え方は、米国のチェーンが日本など諸外国に進出する時にも援用される。米国のチェーン本部が日本1国を1エリアとみなして、単一の経営体とのみフランチャイズ契約を結ぶわけである。マクドナルドなら日本マクドナルド、ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)なら日本ケンタッキー・フライド・チキンとのみノウハウ供与の契約を結ぶわけである。

両チェーンとも日本国内ではそれぞれが本部として加盟店にノウハウを供与している。従って日本の加盟店はアメリカの本部からみるといわば孫に当たる。このようにフランチャイズ・チェーン・システムにエリア権を設定するなどして本部と加盟店の関係が多段階になるものをサブ・フランチャイズ・システムという。ただし、この表現は同一国内での多段階システムについて用いられるのが一般的で、海外との契約については用いられていない。

  • FCシステムの脆弱性

FCシステムは、軌道に乗れば急速な店舗展開を可能にするが、決して万能のシステムではないことを見逃してはならない。巨大な店舗網を構築したFCが多数成長した一方で、これまでに淘汰されていったFCが膨大数に上るのも実状である。こうしたFCには多くの問題が内在していたわけであるが、以下代表的なケースを4点指摘しておく。

1つは十分なノウハウがないのに、安易にFC店募集を始めてしまうチェーン本部があるということである。本部の商品力やノウハウの内容が弱ければ加盟店においても予定の売上を得ることができない。また、本部の加盟店への支援力が弱い場合も同様で、これらの事態では加盟店からの本部へのロイヤルティの支払い拒否をはじめ、様々なトラブルを随伴して加盟店の脱退問題へと発展する。

2つ目は本部が加盟店の声に耳を傾けないため、加盟店が本部から離れていくことが起こったりすることである。例えば、FC本部の多くは、チェーン全体の中でも成績のよい店舗をモデルに店舗デザイン、メニュー、販促方法などを標準化しようとする傾向がある。しかし、全店が成績のよい店と同様のことをしても、店の業績は地域によって大きな差がでることもあり得る。地域によって顧客の層や嗜好が異なるからである。加盟店が地域に応じた営業を本部に訴えても本部はその声を聞き入れない、といったケースが典型的である。また、加盟店が売れないと判断している商品を本部が一方的に押しつけ、両者の関係が悪化するケースも見られる。

3つ目は本部がチェーン拡大を追いかけ、安易に加盟希望者を受け入れる結果、契約事項を遵守せず、本部の意向に従わない加盟店を持つチェーンがみられる点である。チェーンによっては、価格やメニュー構成を加盟店の裁量にある程度委ねているものもあるが、チェーンの多くは、原則的にチェーン全体で同一価格で同質の商品、サービスを提供することを目指している。しかし、本部の意向に沿わない加盟店は本部が定めた以外の食材を使用したり、他の加盟店とは全く異なる料金で別の料理を提供したりするところが出てくる。こうした加盟店が増えると、消費者のチェーンへの信頼は低下して、チェーン全体がダメージを受ける場合がある。

4つ目は、加盟者側の問題である。本部の掲げる目標利益ばかりみて、加盟店を経営する際の労働の実態や現実の売上を冷静に考慮しない加盟希望者は少なくない。加盟後に初めて厳しい労働実態を知り、「こんなはずではなかった」と後悔する加盟者が多いのも実状である。この結果、店舗運営で手を抜いたりして、利益が本部が掲げるほど上がらなくなってくるとチェーン本部との絆は薄れ、チェーンの組織力は弱まってしまう。

以上のように本部と加盟店は契約を結ぶ前に、本部は加盟店を、加盟店は本部を相互に厳選する姿勢が徹底していないと、FCを維持、拡大させるのは困難である。

  • 広がりはじめた社内FC制度

最近ではチェーン本部が従来のように外部から加盟店を集め組織するのではなく、社内にいる人材をFC加盟店として独立させる制度を開発して、これを積極的に活用していこうとする外食企業が増えている。この制度は「社内FC」と呼ばれる。また、企業によっては厳密な意味でのFC制度ではなく、既存店の運営を社員に任せ、売上に応じて利益を配分する仕組みを設け、「社内FC」と称するところもある。

「社内FC」の方式は2つに大別できる。1つは一定期間の勤務経験があるなど、社内で定めた独立基準を満たした社員に直営の既存店の経営を任せ、その店を直営店から加盟店に変える方式である。日本マクドナルドの「社内FC制度」はこれである。もう1つは応募者を将来加盟店になることを前提に、いったん本部に入社させて一定期間、店舗運営能力などを身につけさせた後、加盟店のオーナーとして新規に店を開いてもらうやり方である。カレーチェーンの「カレーハウスCoCo壱番屋」の「社内FC」制度はこれである。

日本マクドナルドが社内FCを導入している理由は社内活性化である。外食業界で働く人の多くは将来的に独立したいという願望を持っている。同時に大手外食企業などでは、従業員の高年齢化やポスト不足といった問題に直面しはじめている。独立の夢を与え、社員のやる気を引き出すと同時に高年齢化した社員を外部に出すといった多面的な狙いがある。

一方、「カレーハウスCoCo壱番屋」の「社内FC」導入の理由はFCの将来における弱体化を避けるためのものである。本部と加盟店の関係がうまくいかず、弱体化する理由は前述したように、つまるところ本部と加盟店の相互認識の甘さにあるということができる。従って、加盟店になる前に一定期間本部並びに直営店で働くことは、本部と将来の加盟店との相互理解を深めるのに役立つのである。加盟店応募者はこの間、店舗運営能力を身につけると同時に、本部の能力や姿勢を知ることができ、納得できなければ加盟店になる必要はない。一方、本部はその間に、加盟店応募者の適正を見極めた上で、加盟店として独立させるかどうかを決定できるのである。こうして本部、加盟店は相互理解を深め、よく納得した上でフランチャイズ契約を結ぶわけだから、双方のリスクはかなり軽減できる仕組みといえよう。

  • 米国の外食チェーンの変遷と現状
  • 米国外食チェーンの歴史

既に見てきたように日本の外食産業の発展は、米国で生まれ発展したチェーンレストランの思想と仕組みを1970年代以降日本に持ち込んだことによるところが大きい。そこで、ここでは米国のチェーンレストランの歴史を簡単に触れ、次に最近の米国大手外食企業の動向を概観しよう。

米国のチェーンレストランの歴史は1930年代に発展の途につき、第2次世界大戦の勃発と戦時経済体制の移行により一時期中断するが、戦後まもなくチェーンレストランが再生し、発展する。この戦前戦後を通じて米国のチェーンレストランを代表してきたのはハワード・ジョンソンである。

ハワード・ジョンソンの創業は1925年といわれている。この年、彼は父親から「みすぼらしい」ドラッグストアを引き継いだ。ドラッグストアは、通常店内に薬臭い風味のシロップ入り炭酸飲料(コーラのツール)やアイスクリームなどをその場で提供する一角を造作しており、この頃になると軽食を扱うところも少なくなかったようである。彼は、しばらくして28種類のアイスクリームを開発して、ドラッグストからフードサービス業への転換に成功した。当初はアイスクリームの製造メーカー及び小売業者であったわけだが、じきにレストラン経営を付け加え、1935年には本格的なFC展開に着手した。

ハワード・ジョンドンの店舗は、自動車移動の顧客を想定し市街地ではなく郊外のハイウエイ沿いの立地を選んだ。そして、店舗のデザイン(ストア・アイデンティティ)をオレンジ色の屋根の上にブルーのトンガリ帽子の小屋根、白い壁で統一し、自動車客が遠くからでもハワード・ジョンソンの店と分かるようにした。メニューも全米共通とし、アイスクリーム、ハンバーガー、ホットドッグ、ステーキというアメリカで最も代表的で誰でも知っているメニューを扱った。また、スーパーバイザーを本部に設けて、店舗の運営が本部の指定した状態になっているかを指導監督する体制を作った。ハワード・ジョンソンは当時、未知の土地に移動する顧客に対して、まず「安心」を売ったのだということができる。

ハワード・ジョンソン以前にも、例えばハンバーガーと飲料を主体にしたA&Wが1925年よりFCシステムにより店舗拡大を目指しており、第2次大戦前においてチェーン経営スタイルはそれなりに確立しつつあったと見られる。

しかし、1940年代に入ると、第2次大戦を控えての軍事体制への移行が次第に強くなり、一般の消費需要が大きく後退して、ハワード・ジョンソンにおいても当時の4分の3のレストランが一時期閉鎖を余儀なくされたようである。この時、ハワード・ジョンソンは、事業部門を工場、学校、そして軍隊という非商業部門に押し広げ、軍需産業工場や軍隊向けの集団給食分野の開拓に成功した。この1940年代はハワード・ジョンソン以外にもマリオットなどのフードサービス企業が同様の対応をして、戦後の発展への基礎を培っていたようである。

1950年代は、戦後アメリカの経済社会の急激な発展を背景として多くのチェーンレストランが発展の緒についた年代である。1970年代以降、ハワード・ジョンソンに代わって外食産業の代名詞となるケンタッキー・フライド・チキン(米国でのチェーン名は現在KFC)及びマクドナルドのフランチャイズ化も、この1950年代に始まる。

ケンタッキー・フライド・チキンの創業者というよりもシンボルであるハーランド・サンダースはケンタッキー州のコルビンという街で「サンダース・コルビン・レストラン」を営業していたが、この店は1930年代には11種類の調味料からなる極秘タレのせいもあって州全域や南部にまで評判が及ぶほどであり、州知事が大佐の位を贈るほどであった(彼は名誉大佐となった)。そして1939年に、彼は圧力釜を使ったチキン料理法に成功し、やがて1952年になると自ら自動車を運転して、圧力釜と味付け秘訣の入ったバッグを持ってフランチャイズのセールス行脚の旅に出た。白のリネン服、黒ヒモ・ネクタイ、ダイヤモンドのタイピン、やぎひげ、ほほひげという出立ちは、今、近所の店頭で我々が目にする彼のレプリカと同様の姿であった。

彼のセールスは成功して、1960年にはFCを全米で400店、カナダで6店を数える規模になった。彼は1964年にジャック・マッセイとジョン・ブラウン・ジュニアの2人に事業の全ての権利を売り渡し、マッセイが会長、ブラウンが社長となってケンタッキー・フライド・チキンはマクドナルドを凌駕してさらに発展した。1970年には年間売上高10億ドル、チェーン店数は世界40カ国で6,000店となり、1日のチキン消費量は200万羽といわれた(同社はその後1971年2億2,600万ドルで食品コングロマリット、ヒューブライン社の手に移り、現在ではペプシコ社の傘下となっている)。

マクドナルドについては次のようなヒストリーがある。1937年に東部から移住してきたマクドナルド兄弟がカリフォルニア州パサデナに簡素で小さなドライブインを開店した。マクドナルド兄弟がハンバーガーを焼き、店内のテーブル客にサービスし、駐車中の客には3人のカーホップ(ウエイトレス)を雇って対応した。1940年には、ロサンゼルス郊外のサンバーナディーノに移転した。同地は労働者の新興都市として発展しており、前の店より立地条件がよかった。メニューはビーフとポークのサンドイッチ、スペアリブなど25種類で大繁盛し、週末には駐車場に押し寄せる125台の車の客に20人のカーホップが総掛かりで対応するという状態であった。

しかし、マクドナルド兄弟にはいくつかの点で不満があった。客層がティーンエージャー中心で広がらないこと、労働集約的なサービスとなって高コスト構造になりつつあったこと、労働力市場が逼迫してきて従業員(カーホップ)の定着率が極めて悪かったこと、そして食器がどんどんなくなってしまうこと、などである。

そこで経営方針を全く改めて、スピーディサービスを売り物にするドライブインの新タイプを作り上げ1948年12月に同地に新規開店した。これが事実上マクドナルド創業の店である。マクドナルド兄弟はこの店のオープンに先立って3ヶ月休業して、商品の迅速な提供を徹底的に追及し、その結果次のような新しいスタイルを生み出した。

まず、メニューについてであるが、メニューはそれまでの25種から9種に減らした。ハンバーガー、チーズバーガー、3種類のソフト・ドリンク、ミルク、コーヒー、ポテトチップ、パイの9種である。これは過去3年間の売上伝票を調べ、売上高の80%がハンバーガーだったことによる。あわせて売り物のハンバーガーの価格を大幅に下げた。パティ(肉塊)は1ポンド(約454g)から8個とっていたのを10個とし、価格を1個30セント(これでも安かった)から15セントにした。そしてハンバーガーの調味料は、あらかじめケチャップ、マスタード、玉葱、ピクルス2個をバンズにつけるように統一してしまった。好みの異なる注文の客には個別に対応し、個別対応の客へのサービスがスピードダウンすることもやむを得ないこととした。こうした調理時間の短縮と調理能力の向上のために厨房設備を改良した。パティを焼くグリルは特注して標準型の倍のサイズのものを2台導入した。さらに食器類は、ペーパーバッグ、包装紙、紙パックに代えた(これにより皿洗い機とその収納スペースが不要となった)。

次にサービス面であるが、カーホップによるサービスを廃止し、顧客が自分で窓口に注文するセルフサービス方式とした(顧客はカーホップに支払っていたチップが不要となった)。

しかし、このニュータイプのレストランは、リニューアルオープン後しばらくは売り上げ低迷に悩まされた。カーホップがいなくなったことでそれまで主力であったティーンエージャーが来店しなくなったからである。だが同時に若者の溜まり場でなくなったことで6ヶ月もしないうちに新しい幅広い客層を迎えることになる。それは「家族連れ」であった。

やがて顧客が増え、注文が大量になっていくと、迅速に商品を提供するためにさらに店舗運営方法を効率化する必要に迫られた。そこで調理工程を分解し再構成して分業体制を作り、従業員に比較的単純な反復作業を習練させ、それらの統合で調理が全て終了するようにした。すなわち「グリルマン」(ハンバーガーのパティを焼く係)、「シェイクマン」(ミルクシェイクを作る係)、「フライマン」(フライを作る係)、「ドレッサー」(調味料を加え包装する係)、「カウンターマン」(注文を受け、商品を引き渡す係)といった分担を設け、担当以外の領域の作業には手を出さないことをルールとした。

ヘンリー・フォードがモデルT(T型自動車)の組立ラインによって生産性を飛躍的に高めたのと同様の革新が行われ、米国の飲食業界がフード・サービス・インダストリー(外食産業)と呼ばれる根拠を打ち立てた。さらにその結果、それまでのレストラン経営では発想されなかった全く大胆な変革が可能となった。それは注文を受ける前の作り置きが可能となったことである。マクドナルド兄弟は注文のピーク時で30秒以内に応じられるようにするという目標を設定し、あらかじめ予測されるピーク時に先立って調理をし始めた。そして、作り置いたハンバーガーにはホールディングタイム(販売可能時間、つまり廃棄までの時間)も設定した。システム改良の方向はじきに食材調達の分野にも及び、食材の規格化とそれに伴う品質管理の徹底が図られた。

ミルクシェイクを作るマルチミキサーのセールスマン、レイ・クロックが同店を訪ね、同店のフランチャイズ販売代理人として契約し、同店の多店舗化へのレールを敷くのが1955年である。1961年にはレイ・クロック(マクドナルド・コーポレーション)によるマクドナルド兄弟からの全ての権利の買い取りが完了した。以降、レイ・クロックの指導の下に次々と革新的経営手法を開発導入して、マクドナルドチェーンは時代の寵児となっていく。いくつかの代表的な手法または技術革新を例示しておこう。

第1に、今日多くの外食企業でモットーとなっているQSC(品質、サービス、クレンリネス)の合い言葉を作り、これを全店で実現するためマニュアルを作成し、それを従業員がきちんと遂行したかどうかをチェックする評価システムを作り上げたことである。

第2に、調理作業に時間と温度とによる工程管理を確立し、独自の食材調達システムを作り上げたことである。調理作業を標準化するためには、まず原料の質なり規格なりが定まっていなければならない。ハンバーガーパティーの原料となる牛肉は部位や赤身と脂肪の比率を確定することから進んで、牛の品種や牧場での飼育方法までがマクドナルド仕様になった。ポテトも貯蔵の条件と期間(糖の澱粉化作用に違いによって同じ温度で揚げても、生だったり焦げたりする)の指示から進んで、フライドポテト専用種(ラセット・バーバンク)の開発と農家の栽培方法の指定にまで及んだ。

第3に、自前の本格的訓練プログラムを実施するハンバーガー大学を正式に発足させたことである。最初のハンバーガー大学は1961年にシカゴ郊外に設けられ、全日制の15人入学級で、店舗の開業と運営の基本が網羅されたカリキュラムが用意された。その後、数次にわたって建物設備、カリキュラム、コース、宿泊施設など大幅なグレードアップが行われている。

第4に、地主から土地と建物を借り受け、これをフランチャイジーに貸し付ける手法を編み出したことである。一方ではマクドナルドの店舗立地に適した土地の地主に交渉して店舗を建ててもらい、それをマクドナルドの小会社が固定賃料で借り受けた。他方では熱心で勤勉なフランチャイジー希望者を見つけて、そうした物件を斡旋し、不動産手数料と売上歩合による賃料を取った。この結果、マクドナルドは自前資金による投資をしなくても、店舗を増設できるようになった上に、店舗の又貸しによる賃料差益を享受した。

さらに有望な立地については、地主に交渉して割賦で土地、建物を購入していき、自社所有の店舗を増やした。そうした店舗はかつては郊外と都市部の境目にあったものも多かったが、その後の都市の発展に伴って主要な立地となり、膨大な資産となった。今日、マクドナルドは米国有数の不動産所有者として知られ、自社店舗の貸し出しによる不動産収入は同社の利益を生み出す一大部門である。

これらの経営革新の多くは他のチェーンでも応用されていくことになり、1950年代後半から、チェーンレストランは総体として壮大なイノベーションを実現しながら米国本土で店舗を競い合って拡大していくのである。

  • 米国の主要外食企業の推移と現況

ここで米国のチェーンレストランのその後の発展の足取りを見るために、米国の専門誌「Restaurants & Institutions」が実施しているいわゆるランキング調査の結果を確認しておこう。

同誌がランキング調査を開始するのは1964年実績分(1965年)からであるが、ここでは1965年、1970年、1980年、1990年の各実績からそれぞれトップ20(表4-3)と、1994年の実績からはトップ50を抜き出した(表4-4)。これらの表を年代順に眺めてみると、ランキング上位社(組織)の入れ替わりの中にいくつかの傾向を指摘することができる(同誌の調査は途中に調査方法の変更があったり、主要チェーンについては海外進出による売上高分が加えられていたり、一部同誌による推計値で補われていたりと必ずしも厳密な整合性を持ったものではないが、大まかな傾向を見る上では有益な資料とすべきである)。

まず第1は、米国の外食分野を集団給食分野(non commercial feeding)と市中の商業ペースの分野(commercial feeding)とに区分すると、ランキング上位社に占める割合は、以前は前者が圧倒的ないし優勢であったが、1980年代以降は後者が多くなってくるということである。例えば、集団給食分野は1965年と1970年にはいずれも上位20社中9社はあったが、1980年になると7社、1990年は5社、1994年は4社となっている。これを上位10社で見るとその傾向はより顕著で1965年では6社あったものが、以下5社、2社、1社という具合である。

表4-3 米国外食トップ20の推移

[1965年]

順位名  称(業種)売上高(100万ドル)店舗数
1U.S. Army(給食)6002,854
2Howard Johnson(コーヒーショップ)350  760
3U.S. Navy(給食)3101,184
4U.S. Dept. of Agriculture(給食)27270,132
5Canteen(給食)258  131
6Automatic Retailers of America(給食)240  131
7Big Boy Franchaises(コーヒーショップ)225  517
8U.S. Air Force(給食)202  773
9Holiday Inns of America(ホテル)188  725
10Kentucky Fried Chicken(チキン)1871,088
11International Dairy Queen(アイスクリーム)1803,600
12McDonald’s(ハンバーガー)171  760
13F.W. Woolworth(多業態)1502,000
14A&WRoot Beer(ハンバーガー)1472,574
15ABC Consolidated(多業態)1374,000
16Interstate-United(多業態)135    56
17Army and Airforce Exchange Service(給食)1281,800
18Sheraton(ホテル)127  300
19U.S. Marine Corps(給食)125  273
20Servomation(給食)124  141

[1970年]

順位名  称(業種)売上高(100万ドル)店舗数
1U.S. Army(給食)1,2243,635
2U.S. Dept. of Agriculture(給食)74178,339
3Kentucky Fried Chicken(チキン)7003,722
4McDonald’s(ハンバーガー)5871,592
5U.S. Navy(給食)5771,088
6Marriott(多業態)5601,109
7ARA Service(給食)4821,495
8International Dairy Queen(アイスクリーム)4654,141
9Canteen(給食)370570
10Holiday Inns(ホテル)3674,289
11Howard Johnson(コーヒーショップ)365900
12Ogden Foods(多業態)29510,200
13U.S. Air Force(給食)281498
14Servomation(給食)277450
15A&W International(ハンバーガー)2492,505
16U.S. Marine(給食)249158
17Burger Chef Systems(ハンバーガー)2401,174
18Burger King(ハンバーガー)225770
19U.S. Army Open Mess Operations(給食)201566
20TFI Industries(フルサービス)1982,123

[1980年]

順位名  称(業種)売上高(100万ドル)店舗数
1McDonald’s(ハンバーガー)6,2266,263
2The Pillsbury(多業態)2,7373,097
3U.S. Dept. of Agriculture(給食)2,47993,552
4Kentucky Fried Chicken(チキン)2,2985,868
5Marriott(多業態)1,7981,583
6Holiday Inns(ホテル)1,6142,900
7ARA Service(給食)1,4091,656
8PepsiCo(多業態)1,3765,255
9Wendy’s International(ハンバーガー)1,2092,034
10International Dairy Queen(アイスクリーム)1,0204,833
11Hardee’s Food Systems(ハンバーガー)9201,320
12Denny’S(コーヒーショップ)8671,872
13Canteen(給食)849945
14Saga(給食)7741,143
15U.S Navy Food Service Systems(給食)764639
16U.S. Army(給食)7631,099
17Sheraton(ホテル)7351,095
18General Mills Restaurant Group(多業態)622425
19Army and AirForce Exchange Service(給食)6162,200
20Howard Johnson(コーヒーショップ)5961,050

[1990年]

順位名  称(業種)売上高(100万ドル)店舗数
1McDonald’s(ハンバーガー)18,75911,803
2Burger King(ハンバーガー)6,1006,200
3Kentucky Fried Chicken(チキン)5,7738,187
4Pizza Hut(ピザ)4,9008,040
5Hardee’s(ハンバーガー)3,1583,622
6Wendy’s International(ハンバーガー)3,0703,727
7ARA Service(給食)2,7002,600
8Marriott Managenent Service(給食)2,7002,388
9Domino’s Pizza(ピザ)2,6505,376
10Taco Bell(メキシカン)2,4003,273
11Dairy Queen(アイスクリーム)2,3165,207
12U.S. Dept. of Agriculture(給食)2,11691,493
13Red Lobster(シーフード)1,600610
14Sheraton(ホテル)1,6001,600
15Denny’s(コーヒーショップ)1,5291,358
16Arby’s(サンドイッチ)1,4302,420
17U.S. Army Center Of Excellence(給食)1,429995
18Little Caesars Pizza(ピザ)1,4003,173
19Canteen(給食)1,3701,632
20Marriott Lodging Division(ホテル)1,363766

資料:「日経レストラン」1993年、平成5年10月6日号、日経BP社、62-63頁

  1. 日経レストランは「Restaurants & Institutions」による。
  2. 名称は掲載時のまま。R&Iの調査は1988年に企業ランキングからチェーンランキングの調査方法を変更しているため、1980年代以前と1990年以降の数字に厳密な連続性はない。

表4-4 米国外食トップ50(1994年)

順位名  称(業種)売上高(100万ドル)店舗数
1McDonald’s(ハンバーガー)25,98715,205
2Burger King(ハンバーガー)7,5007,547
3Kentucky Fried Chicken(チキン)7,1009,407
4Pizza Hut(ピザ)4,79710,648
5Taco Bell(メキシカン)4,5005,950
6Wendy’s(ハンバーガー)4,2004,406
7Hardee’s(ハンバーガー)3,6703,456
8Aramark(給食)3,2002,566
97-Eleven(コンビニエンスストア)2,90014,697
10Subway Sandwiches & Salads(サンドイッチ)2,7009,893
11Marriott Managenent Service(給食)2,6642,670
12Domino’s Pizza(ピザ)2,5005,079
13Dairy Queen(アイスクリーム)2,4505,540
14Little Caesars(ピザ)2,0004,700
15Red Lobster(シーフード)1,916715
16Gardner Merchant Food Services(給食)1,9006,500
17Arby’s(サンドイッチ)1,8002,792
18Sodexho(給食)1,8005,145
19Dunkin’ Donuts(ドーナツ)1,6103,958
20ITT Sheraton(ホテル)1,5731,200
21Denny’s(ファミリーダイニング)1,5501,548
22Holiday Inn Hotels(ホテル)1,3352,000
23Hilton Hotels(ホテル)1,3311,150
24Shoney’s(ファミリーダイニング)1,317922
25The Olive Garden(フルサービス)1,250478
26Marriott Lodging Group(ホテル)1,200680
27Canteen Corporation(給食)1,1041,612
28Baskin-Robbins(アイスクリーム)1,1004,044
29Jack In The Box(ハンバーガー)1,0501,224
30U.S. Army Center Of Excellence,Subsistence(給食)1,028471
31Caterair International(機内食)1,000118
32Chili’s Grill & Bar(ディナーハウス)1,000426
33Big Boy(ファミリーダイニング)970850
34Long John Silver’s Seafood Shoppes(シーフード)9391,456
35T.G.I. Friday’s(ディナーハウス)913315
36Hyatt Hotels(ホテル)893507
37Applebee’s Neighborhood Grill & Bar(ディナーハウス)889505
38Sizzler(ステーキ)870604
38Naval Supply Systems Command,Sup.51(給食)792485
40Sonic Drive-Ins(ハンバーガー)7761,369
41Service America(給食)7251,090
42Ponderosa(ステーキ)706680
43Walt Disney Co.(遊興施設)700350
44Westin Hotels & Resorts(ホテル)680534
45Dobbs International Services(機内食)67168
46Popeyes Famous Fried Chicken & Biscuits(チキン)650907
47International House of Pancakes(ファミリーダイニング)631620
48Friendly’s (ファミリーダイニング)631750
49Perkins Family Restaurants(ファミリーダイニング)614432
50Coco’s(ファミリーダイニング)596406

資料:「Restaurants & Institutions」1995年7月1日、62頁より作成

  1. 業種は同誌の小分類(segment)による。

第2は、その集団給食分野においても、当初は軍隊や学校給食の実施プログラムを所管する米国農務省(U.S.D.A)といった公的分野が上位に位置していたが、時代が進むにつれ民間分野の集団給食企業の方が相対的に上位に位置するようになったことである。例えば1965年では、ランキング20位に顔を出す給食分野の9社のうち、官分野は第1位の米国陸軍、第3位の米国海軍をはじめ6組織であり、民間分野はキャンテーンなど3社であった。1970年の官民の区分も6組織体3社であったが、1980年では4組織体3社、1990年では2組織体3社に、そして1994年では官分野は上位20から姿を消している。

第3は、市中のレストラン分野では以前はフルサービス(テーブルサービス)スタイルのレストランチェーンが上位社に数多く位置していたが、最近では圧倒的にファーストフード(FF)(クイックサービス)スタイルが上位を占めるようになったことである。例えば1965年では第2位のハワード・ジョンソン、第7位のビッグボーイというコーヒーショップチェーンがあるが、直近の1994年では第1位マクドナルド以下上位20社中、12社がFFである。フルサービスとしては4位ピザハット、15位のレッドロブスターが顔をのぞかせているだけである(業種では同じピザでも、ピザハットはフルサービスレストラン、ドミノピザ、リトルシーザースはクイックサービスである)。

FFチェーンの優勢は米国外食市場全体の傾向として指摘できることのようで、「Restaurants & Institutions」誌も最近は同調査の度に注目している。同誌は1994年でランキング上位400社(組織)の売上高をトータルすると、FF企業による売上高はそのうち半分以上を超えたということを指摘している(表4-5)。こうした傾向は米国の外食産業の発展を後追いする形で発展してきた我が国の外食産業の市場動向においても顕現することではないかと思われる。

表4-5 米国の外食ランキング上位400社の大分類別企業数と売上高シェア(1994年)

企業数売上高(百万ドル)構成比(%)
ファーストフード(Fast Food)10086,16751.6
フルサービス(Full Service)15638,66223.2
コントラクター(給食)(Contractors & Institutions)9327,18816.3
宿泊施設(Lodging)3512,0367.2
その他(Other)162,9371.7
   合     計400166,989100.0

資料:「Restaurants & Institutions」1995年7月15日号、17頁より作成。

  1. 「ファーストフード」はクイックサービス、コンビニエンスストアを含む。
  2. 「フルサービス」は「ファミリーダイニング」「ディナーハウス」「ステーキ/バーベキュー」「キャフェテリア」を含む。
  3. 「コントラクター」は、原資料でのContractorsとInstitutionsを筆者が加筆したもの。Contractorsは給食企業である。Institutionsは軍隊、輸送機関、病院、行政施設(刑務所など)、教育施設である。
  4. 「その他」は小売り、リクリエーション施設を含む。
  1. 集団給食と事業所給食
  • 「給食」の由来と事業所給食の歴史
  • 戦前の給食事情

給食とは、会社事業所の勤務者や学校の児童・生徒、病院患者などあらかじめ特定される人々を対象として食事を提供することをいう。給食が実施されている分野は、工場やオフィスの社員食堂(事業所給食)、学校給食、病院での患者に対する給食(病院給食)の他にも寮・保養施設、保育所、老人福祉施設など多岐にわたるが、本章では主に事業所給食に焦点を当て、その歴史と現状を概観し、その他の給食分野については全体の施設数などを確認するに留める。

給食の歴史もかなり古くまで遡ることができる。我が国では給食は古くから存在した。例えば僧侶の集団や軍兵の間には、集団給食の記録があるし、江戸時代になると多数の雇用者を抱える商家では彼らの食事を賄うためのいわば集団炊事マニュアルのような教本も多数出版されている。

明治以降になると、近代的工場制度の導入と運営の場面で工場内に食堂を設け、調理などの担当者を請負契約して女工ら工場労働者の食事を作って提供する産業給食(事業所給食)がスタートする。殖産興業のモデル事業として始まった群馬県富岡の官営富岡製糸工場(1872年、明治5年開業)でも約400人の女子工員に対して給食が実施されていた。同工場の従業者は、それ以後、日本各地で設立されていくことになる新式工場の幹部技術者であり、食事の内容も当時としては良質なものであった。

しかし、これはむしろ例外で、これ以後、しばらくして誕生した工場の食事内容は粗悪であったということが多数記録されている。また工場勤務のために全国から集められてきた女工らの寄宿舎での食事も同様であった。

他方、主に都市内部にあった中小企業工場では、通勤工の昼食は持参弁当が通例であったが、住み込み、寄宿では食事は出入りの弁当屋からの弁当に依存することが一般的で、工場内に寄宿するものは三食とも弁当で済ますことも多かった。食事は三食とも「工場主の支給」の場合もあり、「会社にて賃金の内より控除」して従業員が弁当の支払いをする場合もあった。

一方、街場の商店など住み込み奉公人が多いところでは、事業主が彼らの食事にも責任を持たなければならず、賄い専用の奉公人を抱えて対応するところが多かった。あえていえば直営方式での給食である。

これに対して、通勤の従業者が多い事業所などでは持参弁当が一般的であったが、商店の業容が拡大した商社などではホワイトカラー職種の事業所でも事業所側が食堂を備えて従業員に食事を提供するところもあった。直営の社員食堂ということになるが、この食堂の運営業務を背負う「出張賄い」の業者が出現するに至って、こうした業者への社員食堂運営を委託に出すケースも1920年代の頃から始まったようである。

以上のように資本主義の発達とともに、工場なり事務所での弁当給食と社員食堂形式による給食のスタイルが形成されていったわけである。通勤の従業者については家庭からの持参弁当が圧倒的な主流であったが、弁当給食及び社員食堂運営の基本的な型は戦前において出揃っていたといってよい。そしてそれが全国的な広がりをもって社会的に一般化するのは第2次大戦中のことである。

  • 戦時統制で「給食」の呼称が一般化

元来、「給食」という語の意味は「食事の支給」であり、工場勤務者に衣服を支給するという言い方と同様に用いられた。当時は国家総動員法はじめ戦争遂行のために国内の会社体制が全て組みかえられた時代であった。基本食料・生活物資も順次配給となり、米穀通帳で米の配給は成人1人330gに制限されたが、労働者にはその作業の内容に応じて労務加配米が家庭に配給された。

1942年(昭和17年)になると、労務加配米は全て軍需工場へ直接配給され、工場で分配されたが、その後この労務加配米は持ち帰りが禁止され、工場の給食として労働者に分配されるようになった。これにより多くの工場で給食が実施され、この頃から「給食」や「集団給食」という言葉が一般化したのである。

第2次大戦後の戦後復興期を経て1950年代半ばより高度経済成長の時代に入ると膨大な新規労働力需要が発生して、全国各地から大都市部などへのいわば民族の大移動ともいうべき人口の社会的移動が起こった。

しかし、これら新規就労者は故郷を離れて就労するものが多く、彼らを迎え入れる会社事業所では、彼らの食事をどのようにしたらよいかが課題となった。大規模工場では社員食堂を用意することが多かったが、中小企業などでは自前でそうした施設を整備することができないため中小事業者が寄り集まり協同組合方式で弁当工場を設立し配送するという手法も案出された。

1960年代から1970年代の初頭にかけては1万人以上の常時従業者を抱える大規模工場が数多く設立された時代であり、そうした工場の社員食堂は委託に出されることも多く、専門の給食事業者も大きく発展した。ただ、事務所で社員食堂が設けられたところは多くなく、社員食堂の有無はしばしば企業の良否の世間的な判断指標にも使われ、社員食堂を有する事業所がある種のステイタスとみなされることもあった。

一方、この頃までは各企業では、事業所以外の食事を賄う形態としては寮、下宿、賄い付き借間といったスタイル、つまり、住と食の双方をあらかじめセットで提供する形態が目立った。高度経済成長の時代までは一般の食生活も決して豊かなものとはいえず、従って社員食堂の食事や弁当給食も概してカロリー補給的な意味あいが強く、美味しさや食のバリエーションを楽しむといったこととは無縁のものが大半だった。

しかし、1970年代になると、チェーンレストランの急成長も始まり、人々の外食生活が広がるとともに、一般家庭での食生活も向上した。これに伴い、給食業界でもカロリー充足の時代から質の向上を目指す動きが出始めた。給食事業者の中には逸早く米国の給食会社(コントラクター)と技術提携など交流を求める動きも始まり、社員食堂のサービス形態においてもそれまでの定食制を改めてカフェテリア方式(自由選択制)を採用するなどの試みも行われるようになった。

ただ、会社事業所側では長らく「給食」は社員の福利厚生の一環であり、いわば義務的に社員食堂のスペースを確保し、コスト的にも時間的にも効率的な食事の運営を求めるものが依然多かった。それでも1980年代に入ると外食産業がさらに発展し、一般の食生活も格段と向上していく中で、企業側も徐々に快適な食空間を整えて美味しくて楽しい「社員食堂」づくりを積極的に志向するように変わっていった。1980年代末にはいわゆるバブル景気の深刻な人手不足、人材枯渇という経済局面に遭遇して、快適な社員食堂づくりが一挙に推し進められるところとなったのである。

  • 事業所給食の運営実態

現在の会社・事業所における給食及び社員食堂の運営はどういう仕組みで行われているのであろうか。

まず、それら給食は総称して「事業所給食」といわれる場合が多い。以前は「産業給食」という呼び方が業界及び企業の福利厚生担当部署などでもよく使われていたが、現在ではこの「事業所給食」という呼び方が一般的になっている。また、「企業給食」といわれる場合もある。

「事業所」の形態には工場、事務所、商店、倉庫などがある。かつての「産業給食」といういいかたはおそらく高度経済成長期に各地に大規模な工場が次々と増設され、そこで営まれる給食をイメージして用いられてきた言葉であろう。今日では都市に巨大なオフィスビルが林立し、そこ(形態としては事務所)での給食を包含する意味で「事業所給食」といういいかたが支配的になったものと思われる。

給食の実施形態は概念的には2つあり、1つは弁当の配給であり、2つは社員食堂形式によるものである。前者を「弁当給食」方式、後者を「社員食堂」方式として区別することができるが、今日では前者は少なくなる傾向にあるので、「事業所給食」といって後者のみを表す場合も多い。後者はまた、かつては「弁当給食」と区別する意味で「対面給食」とも「配膳給食」ともいわれたが、今日ではこうしたいい方はほとんどされなくなっている。以下本章でも「事業所給食」というときは主に社員食堂の運営を指すことにする。

さて、事業所給食は、基本的には当該事業所への勤務者に対する経営側の福利厚生の一環として実施される。福利厚生制度は法規に明示された「法定福利」と、そうでない「法定外福利」とに区別される。後者は経営者の自発的意志または労働者(組合)との協議に基づき実施される。事業所給食はこの「法定外福利」に位置づけられているため、統一的な考え方というものが社会的に示されてはいない。要するに事業所給食は、その実施の有無を含めて当該企業の任意でその内容が決定される。

ただ、税務上の配慮があり、弁当給食を含む事業所給食による食事の享受については現行1人1ヶ月3,500円までは課税対象から除かれている。これを超えた金額で食事が従業員に供与されればそれはその従業員の所得(現物支給)とみなされ、所得税の対象として課税される。さらに食堂の設置、施設の運営に要する水道高熱量、調理担当者などの雇用については度外視されているため、食材費が1人当たり1ヶ月3,500円を超えなければ課税対象とされないのが通例である。とはいえ、確認するが、食堂の設置の有無もこうした食費補助の支出の有無及びその多寡も、法規上の義務づけはない。

事業所が社員食堂を運営するに際しては、調理担当者、栄養士などを直接雇用してこれに当たる場合と、そうせずに外部の専門オペレーター(給食運営会社)に委託する場合とがある。前者は直営方式、後者は委託方式という。

企業・事業所が大規模なものは、従業員の福利厚生面で発生する業務も膨大なものとなり、これらの業務を専門的に担当する別法人(子会社)を設立したりすることがある。社員食堂の運営もそうした子会社に委託するケースが少なからずある。これは直営と委託の中間に位置づけられ、準直営ないし準委託と呼ばれる。さらに、いわば企業の福利厚生業務が独立法人化して親会社、グループ企業などの関連会社の社員食堂の運営に留まらず、他の企業・事業所の社員食堂の運営まで積極的に受注していこうとするものもある。これはもはや実質的には専門オペレーターと同じだとみなされる。

事業所の規模(事業所の従業者規模)が大きくなると、社員食堂の設置と運営の必要度は高まる。特に事業所の形態が工場の場合には、工場敷地の外にある一般の外食店へ限られた昼休み時間内に出向いていくことが施設規模からいって不可能なことも多い上、就業時間の合間を縫っての従業員の外出も企業側からすれば好まいしいことではない。しかも、現実的には郊外立地で周辺に食事需要を満たす飲食施設がほとんど見あたらないケースも多い。小規模の事業所では、弁当を外部業者から配達してもらって対応するケースもあるが、大規模な事業所では概ね、社員食堂が設置されるといってよい。

ところで、企業・事業所が社員食堂を設置して運営しようとする際に、直営で行わずに外部の専門オペレーターに委託しようとするのはどのような理由からであろうか。主な理由としては2つのことが挙げられる。1つはその企業・事業所の一般業務と比べて特殊な勤務形態となるので他の一般社員と社員食堂従業者との間に就業条件の違いが起こり、この問題の煩わしさを避けようとして社員食堂運営業務を外注しようとするものである。

2つは、社員食堂の運営にはメニュー作成、食材調達、大量調理などそれなりの専門的ノウハウが必要であり、直営ではノウハウの確保や向上について自信がもてないということがあるからである。

これらの点は、例えば事業所の警備や施設のメンテナンスといった業務がそれぞれ専門の事業者に外注されていることが多いことを思い浮かべれば得心がいくであろう。

  • 専門オペレーターの契約形態

社員食堂の運営を外部の専門オペレーターに委託する場合には、その契約方式として、通例次の3つのパターンで整備される。

1つは「管理費制」といわれるものである。これは受託者が食堂運営に必要な人件費や諸経費(材料費を除く)、利益額の合計を管理費として受託者から受け取り食堂運営を行う方法のことである。この場合、一般には材料原価相当分が社員食堂利用者へのメニュー販売価格となる。

2つは「単価制」または「食単価制」といわれるものである。これはメニュー販売価格に材料費、受託者の人件費などのコスト全てと利益分をも含めるものである。レストラン営業と違うのは、社員食堂の設置と設備などの負担が全て委託者側で行われること、営業に伴う水道光熱費といったコストも受託者側で負担されることである。

「管理費制」と「単価制」を比較すると、喫食者の立場から見ると前者の方がメニュー価格が低く、後者の方が相対的に高くなる。受託者(給食企業)の立場から見ると、「管理費制」は利益があらかじめ保証されているが、喫食率の向上や喫食数の増加が必ずしも利益の向上に結びつくとは限らない。これに対して「単価制」は喫食率ないし喫食数の増減がストレートに利益の増減に反映する。

現実の運用としては事業所が小規模になればなるほど、「管理費制」を採るのが一般的である。小規模事業所では「単価制」では社員食堂の受託の引き受け手がなくなってしまうからである。例えば、従業員が数人とか十数人の小規模事業所において「単価制」で社員食堂を運営しようとすれば、メニュー販売価格が極端に高くなってしまい、これでは従業員が利用することができないことになる。

3つは「補助金制」といわれるものである。これは「管理費制」と「単価制」には収まらないそれ以外の方式だと思えばよい。例えば「管理費制」における管理費(人件費、諸経費及び受託者の利益分)に相当する金額の一部を受託者に補助金として支払ったり、「単価制」をベースにしながら、それに一定額の補助金を支払うという組み合わせもある。

この方式では、喫食者の負担(メニュー販売価格)は、「管理費制」(材料原価分だけの費用)よりも相対的に高くなるが、「単価制」(全てのコストと受託者の利益分を負担)よりも低額になることが一般的だが、その程度は補助金額の多寡により増減する。

これら契約形態がそれぞれどのくらいの比率で見られるかというと、表5-1が参考になる。同表は全国の社員食堂運営会社130社の調査データである。130社合計で工場2,512事業所、事務所2,160事業所の計4,672事業所を受託しているが、契約形態は工場の場合には「単価制」が2,512ヶ所のうち1,316ヶ所、52.4%と多く、「管理費制」は733ヶ所、29.2%である。これに対して事務所の場合には「管理費制」が2,160ヶ所のうち1,086ヶ所、50.3%と多く、「単価制」は681ヶ所、31.5%という状況であった。また「補助金制」はそれぞれ工場185ヶ所、7.4%、事務所246ヶ所、11.4%と1割前後で比較的少ないのが現状である。

表5-1 社員食堂(工場・事務所)の契約形態

単価制管理費制補助金制その他
事業所数4,6721,9971,819431425
工場2,5121,316  733185278
事務所2,160  6811,086246147
構成比(%)100.042.738.99.29.1
工場100.052.429.27.411.1
事務所100.031.550.311.46.8

資料:フードシステム総合研究所「社員食堂運営企業の実態に関する調査報告書」(1994年、平成6年)

  1. 全国の大手・中堅給食会社130社が運営する社員食堂の合計4,672ヶ所について契約形態別に数えたもの。調査は1994年(平成6年)7月~8月に実施。
  • 専門オペレーターの現況

我が国の代表的な専門オペレーター(給食会社)を紹介しておこう。表5-2は「日経流通新聞社」の「日本の飲食業調査」(1994年度、平成6年実績分)において売上高ランキング上位100社のうちで分野を「集団給食」としている給食を抜き出したものである。

同表によると、シダックス(年間売上高457億円、事業所数1,904ヶ所)、ニッコクトラスト(374億円、891ヶ所)、エームサービス(340億円、356ヶ所)、魚国総本社(286億円、577ヶ所)、グリーンハウス(280億円、410ヶ所)など10社が外食企業全体の100社ランキングに入っている。

表5-2 日本の大手企業給食企業

企 業 名売上高(億円)事業所数ランキング順位
①シダックス4571,90421
②ニッコクトラスト374  89124
③エームサービス340  35627
④魚国総本社286  57739
⑤グリーンハウス280  41041
⑥メフォス2551,48651
⑦ウオクニ227  77658
⑧一富士フードサービス203  71067
⑨東京魚国169  45584
⑩キャプテンクック165  54286

資料:日経流通新聞「日本の飲食業調査」(1994年、平成6年実績)より作成(表4-2参照)

  1. 売上高は千万円単位を四捨五入した。
  2. ランキング順位は上位外食企業100社のうちの順位

表5-3 日本に進出した外国の大手給食企業

企 業 名日本法人名日本側提携企業名提携年
アラマーク(米国)エームサービス三井物産、二幸1976
マリオット(米国)ロイヤルマリオットアンドエスシーロイヤル住友商事大阪ガス1990
ガードナーマーチャント(英国)ガードナーマーチャントジャパン伊藤忠商事不二製油1992
ソデクソ(フランス)ソデックスケータリング三菱商事総合食品1993

このほか、給食専業会社ではないが、「多業態」企業である西洋フードシステムズでも給食大手企業の一つに数えられることが多い。同社の全体の年間売上高943億円のうち、2百数十億円分は事業所給食分野での売上高であるからである。さらにニュー・トーキョーや日本食堂など他の分野での外食事業を主力としながらも事業所給食分野でも実績のある外食企業は少なくない。

この分野での最近の話題としては、相次ぐ外資系企業の市場参入がある。エームサービスは、米国最大の給食企業(コントラクターという)アラマーク(旧名ARAサービス)社と三井物産などとの合弁企業であり、1976年(昭和51年)にスタートしたが既にこの分野で売上高ランキング第3位の実績である。これに続いて、米国のマリオット、イギリスのガードナーマーチャント、フランスのソデクソという世界4大コントラクターが、いずれも住友商事、伊藤忠商事、三菱商事といった我が国有数の商社と合弁企業を起こして市場参入を果たしている。(表5-3)

これら欧米のコントラクターの事業活動は社員食堂の受託に留まらず、病院給食、社会福祉施設給食、レジャー施設でのフードサービス提供、交通機関やケータリングなどいずれも多岐にわたっている。我が国の外食市場分野でもこうした新しい分野への外食企業ノウハウが求めれれているという事情もあり、さらにはアジア地域全体の外食市場の拡大を見越して、これら新しい企業の活動の余地は少なくないと見られている。

社員食堂の運営を担当する専門的事業者は一般に給食企業といわれるが、事業所関係者の間ではオペレーター(専門オペレーター、給食オペレーター)といわれることも多い。また、外食産業界では欧米に倣ってコントラクターといわれることが多く、この事業領域をレストランビジネスに対置してコントラクター・フード・ビジネス、コントラクター・フード・サービスということも多い。(外食市場の構成区分名称としては前者がコマーシャル・フィーディング、後者がノン・コマーシャル・フィーディングといういいかたもある。)

表5-4 社員食堂運営会社の社員食堂以外の事業活動

企業数回答割合(%)回答割合(%)
調査数130  100.0
社員食堂運営のみの企業118.5
社員食堂以外の事業を手掛けている企業11991.5  100.0
寮・保養所の食堂運営7053.858.8
学校給食5743.847.9
弁当給食5743.847.9
一般レストラン5139.242.9
病院(患者)給食4836.940.3
出張料理4534.637.8
仕出し3728.531.1
人材派遣業118.49.2
コンサルタント業  43.13.4
その他3426.228.6

資料:フードシステム総合研究所「社員食堂運営企業の実態に関する調査報告書」(1994年、平成6年)

  1. 全国の大手・中堅給食企業130社の調査結果。調査は1994年(平成6年)7月~8月に実施。

さて、我が国の給食企業においても、事業領域が社員食堂の受託だけに限定されるものは少数で、多くは隣接するフードサービス事業を積極的に展開している。前出の全国の給食企業130社の調査データによると、130社中、11社8.5%の企業は社員食堂の運営を手掛けるだけであったが、残りの119社の91.5%は表5-4のように多岐にわたって隣接、周辺の事業を手掛けている。

「寮・保養所の食堂運営」を手掛けている給食企業は70社(130社の53.8%)である。「寮・保養所の食堂運営」は、企業の社員食堂の受託運営とセットで請け負うケースが多い。例えば、工場とそこに勤務する人たちが住む独身寮を想定すると、寮の食事と工場での食事の内容のバランスに気を遣ったメニュー提案ができる。実際、このような理由で同一の給食企業が特定企業の社員食堂と寮・保養所の食事を一括して受託しているケースは少なくない。

「学校給食」「弁当給食」を手掛ける給食企業は、いずれも57社(43.8%)である。これら2部門はむしろこれらの事業を専門にしていたものが、依頼を受けて企業の社員食堂の運営を手掛けるようになったというケースが多い。

「一般レストラン」を手掛ける給食企業は51社(39.2%)である。これは一般にはむしろレストラン企業が社員食堂の運営を委託するようになったいうケースが多い。特に地域の有力なレストランの場合には、当該地域に企業が進出するに際して、社員食堂の運営をこうしたレストランに依頼することが多かったからである。

表5-5 「病院給食」の委託病院数(1993年、平成5年10月現在)

開設者別全病院数委託病院数割合(%)
総数9,8441,95219.8
  394  7519.0
公的医療機関1,378  33524.3
社会保険関係団体  137  4835.0
医療法人4,550  82618.2
個人2,530  47818.9
その他  855  19022.2
医育機関(再掲)  170  8650.6

資料:厚生省「医療施設調査」

注1) 医育機関とは大学病院をいう。

「病院給食」を受託している給食企業は48社(36.9%)である。ここでいう「病院給食」とは病院の入院患者を対象とする給食すなわち治療食のことである。医師・看護婦など職員を対象とした食堂は社員食堂、事業所給食の範疇となる。

「病院給食」はかつては直営が原則であったが、1886年(昭和61年)から厚生省の方針として民営化可能の方向が打ち出され委託化が進行している。厚生省「医療施設調査」(1993年、平成5年)によると、我が国の総病院数9,844病院中1,952病院(19.8%)は外部の給食オペレーターへ「病院給食」が委託されている(表5-5)。「病院給食」は1994年(平成6年)10月に制度が一部改訂された。それまでは診療報酬制度に基づく「基準給食」という制度が定められていたが、これを踏襲しながら「入院時食事療養費」という制度に改められ、制度上は「基準給食」という言葉はなくなった。そして、医療保険で賄われていた治療食=「病院給食」も患者の自己負担(1994年、平成6年10月より1人1日600円、1996年、平成8年10月より同800円)が求められるようになった。こうした経緯から病院での食事の質や環境づくり、サービスの向上などに対する病院側の改善への取り組みが強く求められるようになり、結果として専門オペレーターへの外部委託化が一層進むのではないかという見通しが業界関係者の間でもたれている。

また、これまでは「病院給食」は当該病院施設内に設けられた厨房で調理されたもの以外の提供が認められなかったが、1996年(平成8年)4月からは、一定の要件を満たした「院外厨房」による料理の提供が可能となる見通しであるなど、「病院給食」分野での規制緩和が確実に進行している。従って給食企業も「病院給食」分野を今後の有望な市場とみなして一層の拡大あるいは新規参入を企てるところが多いとみなされている。

  • 「集団給食」施設の概要

最後に統計データにより我が国の給食施設の全体を概観しておこう。全国の保健所は「栄養改善法」に基づいて所管地域の給食施設数を毎年把握し、これを一定の書式に基づいて厚生省に報告している。「衛生行政業務報告(厚生省報告例)」は、これを全国及び都道府県別で集計した結果を記載している。

表5-6 集団給食施設数(1994年、平成6年末)

実数構成比(%)
集団給食施設その他の給食施設集団給食施設その他の給食施設
該当施設該当施設
総数72,05741,4314,51430,626100.0100.0100.0100.0
学校18,68617,1201,0071,56625.941.322.35.1
病院9,1175,7741,6273,34312.713.936.010.9
事業所12,9298,1401,3274,78917.919.629.415.6
その他31,32510,39755320,92843.525.112.368.3
老人保健施設77641783591.11.00.21.2
児童福祉施設19,4015,8265613,57526.914.11.144.3
社会福祉施設6,1151,927434,1888.54.71.013.7
矯正施設15710033570.20.20.70.2
寄宿舎3,243964382,2794.52.30.87.4
一般給食センター699635252641.01.55.60.2
その他9345281234062.01.32.71.3

資料:厚生省「衛生行政業務報告」

  1. 「集団給食施設」1回100食以上または1日250食以上の食事を提供する施設。
  2. 「その他の給食施設」1回50食以上または1日100食以上の食事を提供する施設。
  3. 「該当施設」①「病院」許可病床300床以上の病院

          ②「老人保健施設」入所定員300人以上の施設

          ③ ①②以外 1回500食以上または1日1,500食以上の食事を提供する施設

表5-6にいう「集団給食施設」とは「1回100食または1日250食以上」の食事を提供する施設で比較的規模の大きい施設である。このうち「該当施設」とあるのは、「集団給食施設」のうち、「病院」の場合は許可病床300床以上の病院、「老人保健施設」の場合は入所定員300人以上の施設、それ以外は「1回500食または1日1,500食以上」の施設であり、要するに相当に大規模な施設である。「その他の給食施設」とは、「1日50食以上または1日100食以上」の食事を提供する施設であり、「集団給食施設」よりは規模の小さい施設である。

同表によると、「集団給食施設」は4万1,431ヶ所、「その他の給食施設」は3万626ヶ所で、両者を合計した給食施設数は7万2,057ヶ所である。「集団給食施設」と「その他の給食施設」の合計で見ると、7万2,057ヶ所中、「学校」が1万8,686ヶ所(25.9%)であり、「病院」が9,117ヶ所(12.7%)、「事業所」が1万2,929ヶ所(17.9%)、その他が3万1,325ヶ所(43.5%)である。

比較的規模の大きい「集団給食施設」で最も多い分野は「学校」で4万1,431ヶ所のうち1万7,120ヶ所(41.3%)である。次は「事業所」の8,140ヶ所(19.6%)であり、以下「児童福祉施設」が5,826ヶ所(14.1%)、「病院」が5,774ヶ所(13.9%)である。これを最も大規模な「該当施設」だけ取り出してみると、「病院」が4,514ヶ所中1,627ヶ所(36.0%)と多く、「事業所」が1,327ヶ所(29.4%)、「学校」が1,007ヶ所(22.3%)である。

また、あまり規模の大きくない「その他の給食施設」を見ると、「児童福祉施設」が3万626ヶ所中1万3,575ヶ所(44.3%)と多い。「児童福祉施設」とはほとんどが一般に保育所とか保育園とかいわれている施設のことである(「児童福祉施設」とは「保育所」の他「助産施設」や「養護施設」さらに「児童館」や「児童遊園」なども含む用語であるが、施設数それ自体で見ても圧倒的多数が「保育所」である)。

以上、我が国の給食施設の所在状況は同資料でよく分かるが、ただ、右記の情報はあくまで施設数に留まるので、実際の提供食数をはじめとして具体的な運営の実態などについてはまだ不明なことが多い。また、これら給食分野にには、それぞれに制度上の問題もある。具体的に指摘すると、「学校給食」の場合にはその実施の根拠として「学校給食法」があり、「学校給食」は教育制度の一環として教育目的を付与されているので、勢い直営スタイルに固執されることが多く、フードサービス経営という観点からの考察と検討が入りにくい。「老人保健施設」や「児童館福祉施設」などにおいても同様の社会的(法規上の)目的と実施基準があって、いわゆる民営化が望まれないできた歴史がある。しかし、こうした分野にも今後は民営化すなわち外食市場としての可能性が次第に大きくなっていくものと思われる。

  • あとがき
  • 外食産業の根本原理

本書の執筆に当たっては、外食産業に対して筆者が抱く以下のような原理や仮設を下敷きとしてきた。

1つは、外食産業は都市社会の発展とともに著しく発達するということである。都市の歴史はそこに暮らす人たちの生活の場として外食施設を必須のものとしてきた。歴史は繰り返すということが常ならば、都市の栄枯盛衰とともに外食産業の栄枯盛衰が繰り返されることもまた常なのである。

2つは、外食産業の総体として変身し続けるということである。人々の生活スタイルが常に変化するものならば、その生活の一場面としての外食の様子が変わっていくことは当然である。そうした変化の中で、外食産業に携わる人たちの叡知と努力、あるいは決断と瞬発力はしばしば新業態の登場を促して、人々のそれまでの生活体験を超える新しい料理や空間を創出して、人々の生活に潤いをもたらすのである。その意味で外食産業は紛れもなく人々の文化的存在でもある。

3つは、外食産業は、一方でそのように変身し続けながら、他方では過去の経験を決して忘れてしまうことなく蓄積していくということである。例えば、料理がそうである。これまで外食産業はその歴史過程で膨大数の料理を人々の目の前に提示してみせた。それらはいくつもの基層となって次々と積み重ねられている。例えば外国から新しい料理が入ってきても、それまであった料理が駆遂されることは稀である。それまであった料理は残り、新しい料理と共存するか、あるいは新しい料理と融合される場合が多い。また、一度は消えたように見えた料理でも、再び光が当てられ、再生して復活するケースも多い。例えば、郷土食などはこのようにして蘇ることがしばしば起こる。

4つは、現時点ではチェーンレストランが経営上は最も効率的な仕組みであるということである。本部を軸に同質の店舗を多数束ねて運営するチェーンレストランの経営手法は、従来の個店経営とは決定的に異なる。本部と店舗との機能分担に基づく分業体制が経営を効率化させるのである。

5つは、外食産業は今日とてつもなく肥大化し、その役割と責任はかつてないほど大きくなっているということである。外食産業は人々の食を根本的なところで支えている。俗に「おふくろの味」という言葉がある。これは家族の食を預かる母親像をイメージしたものであろうが、「食の外部化」が進行した今日、外食産業がかつての「おふくろ」にとって代わったといえる。従って、外食産業が人々の食と健康を担う役割は大きいのである。また、外食産業は雇用機会を創出する一方、食材の一大購入者としての国内外の食料問題にも関与しており、国民経済の面からも重視されるべき存在となっている。

  • 外食産業は社会を眺めるツール

ところで、本書はこれまで外食産業をどう捉えるかという視点で叙述してきたが、視点を変えて、外食産業を覗き窓として社会を眺めると、外食産業は国際経済や食文化、食品工業など他の分野での問題発見のツールになったり、各分野での発展を促す要因になっていることがよく分かる。3点ほど例示してみよう。

例えば、現代の外食王マクドナルドのハンバーガーを素材に国際経済を論じようという説がある。英国の経済誌「エコノミスト」が、街で売られているハンバーガーの価格を観察して、激動する国際経済の分析軸として活用しようという理論を開発した。名付けて「バーガノミックス」という。

この理論に用いる具体的な物差しは「ビッグマック指数」である。同指数は「ビッグマック」がいくらで売られているかを各国ごとに調べて比較したもので、経済学でいう購買力平価を測る商品として「ビッグマック」を用いるわけである。ドルと円を直接比較するなら、為替レートを眺めるだけでよい。しかし、為替レートは常に変動する上に、投機的な力が働くなど、各国通貨の実力を真に反映しているとはいいがたい。そこで「ビッグマック」を世界統一基準として位置づけ、各国の通貨がどれくらいの購買力を持っているかを測ろうというのが「バーガノミックス」である。

「エコノミスト」誌の1995年4月15日号によれば、米国の主要4都市での「ビッグマック」の平均価格は2ドル32セントである。日本では当時「ビッグマック」は1つ380円で、消費税をあわせると消費者が実際に支払う価格は391円である。これは当時の為替レート(1995年、平成7年4月7日)の1ドル84円で換算すると4ドル65セントである。単純にドル表示すると日本で売られる「ビッグマック」は米国の2倍の値段となる。

これを購買力平価で見ると、米国と日本の「ビッグマック」は同じ価格と想定するので、2ドル32セントと391円は同額であるから、1ドルは169円ということになる。この点から同誌は、為替レートの1ドル=84円という事態は「円はドルに対して過大評価されすぎている」と指摘している。

その半年後、1995年(平成7年)10月16日の「日本経済新聞」は「ビッグマックは円高修正」という見出しで、同日より日本マクドナルドが主力商品「ビッグマック」の価格を380円から100円値下げし、280円(消費税別)にしたことを報じた。この中で「ビッグマック」における日米の購買力平価を計算すると1ドル=169円は、同124円になることを踏まえ、「45円もの円高シフトだ」と伝えている。

このように「ビッグマック指数」がしばしば話題になる理由について、同誌は「ビッグマックは世界83カ国で共通の調理法で作られているため、同じ品質、同じ味で知られる。同一商品の価格が世界中でどう違うかは、通貨変動を実感するものとして一般に分かりやすい」と解説している。「バーガノミックス」とは特別な経済理論をいうのではなく、日常的な体験を分かりやすく説明したという程度のものであるが、こういう「理論」ができてしまう裏打ちとしてマクドナルドが世界のどの国でも均質な商品とサービスを提供していることへの人々の信頼感があるというのは驚嘆に値することである。

2つ目の例は、外食産業が食文化に関する論議に有用な情報を提供し得るのではないかということである。これについては、やはり世界的なスタイルでチェーン展開しているケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の例を引いてみよう。

日本ケンタッキー・フライド・チキンは1970年(昭和45年)に1号店を出店した。以来四半世紀が経った。同チェーンは今日世界68カ国に進出しているが、フライドチキンは世界共通に11種類のスパイスを使っているとのことである。ところがその量の加減は一定でないようだ。塩分については次のことが明かされている。

まず、日本で1号店を出店した時と今日とを比べると塩分の量が3割強も減っているという。次に、日本での成功に後押しされて同チェーンが1984年(昭和59年)に韓国に進出した時の話である。当初、日本で既に減塩していた仕様をそのまま韓国に持ち込んだのであるが、韓国では塩辛すぎるという評価で商品化できなかったとのことである。韓国地域で試験を繰り返し、半数以上の人々が美味しいというところまで塩分を減らし、韓国仕様に作り上げて出店を開始したのである。さらに同チェーンは1991年(平成3年)にフランスに進出した。この時、商品化したフランス向けの仕様では塩の量は韓国仕様のほぼ倍の量であったという(大河原毅他「産業化した社会」、田村眞八郎・石毛直道編「外食の文化」1993年、平成5年、ドメス出版、123頁)。

人の味覚は地域や民族の歴史によってどう違うのか。このように世界各地に進出している外食チェーンはこの点について壮大な規模での実験を繰り返しているという見方もできる。あるいは食文化や味覚を研究する者にとっては、こうした問題発見そのものが外食チェーンの事業展開によってもたらされるのである。

3つ目の例は、食材、すなわち農畜産業や食品加工業に対する外食産業の働きかけについてである。これはドーナツチェーンで販売されているドーナツを揚げる油を例にとってみよう。

ドーナツチェーンで販売されているドーナツは歯触りにサクサク感があり、砂糖もサラサラしている。家庭でドーナツを揚げてもこうした仕上がりにならない。油分がドーナツに染み込み、表面にまぶした砂糖もベタベタになるのが落ちである。これは使用する油が違うからである。

油が液体から個体になる(もしくはその逆)を融点というが、この融点は油の原産地である気候で異なる。南方の植物油の原料となるパーム油は融点が30度から40度程度であり、これだと日本では常温で個体になる。

このように油の性質を利用しながら、特有のブレンドをしたりして目的に応じて作り上げた油を「機能性油脂」といい、大豆白絞油やコーン油などの「単体油」と区別される。日本のドーナツチェーンで使われている油やドーナツに向くように開発された「機能性油脂」で融点は40度程度である。すなわち日本の常温下で販売されているドーナツの油脂がうっすらと固まっていて歯触りがよく、砂糖もベタベタになっていないのはこの「植物性油脂」の故である。

外食産業は単独で商品開発を進めるわけではない。外食産業は商品コンセプトや用途を定め、農畜水産業者や食品企業と共同して商品を作り上げていくのである。こうした外食企業のもたらす食品開発のニーズこそが農畜水産業や食品加工業の技術開発の推進力となっていくのである。

  • 外食産業の問題点

このように外食産業は社会と深く関わり、その発展ぶりは質量ともに以前の外食産業をはるかに凌ぐスケールとなっている。しかし、外食産業の発展は全面的に肯定できることなのだろうか。その発展の過程で見落とされがちな問題点もある。そこで最後に外食産業発展に伴って今問われている問題点を2点だけ指摘しておきたい。

第1点はチェーンレストランで推進されている分業システムとその弊害である。チェーンのチェーンたる所以は店舗を標準化し、労働を単純化、均質化することで店舗間のブレをなくし同質化を目指すことである。その結果として高い労働効率がもたらされる。このため、本部と店舗の機能分担は明確にされ、それに基づく分業体制が敷かれており、現状では、店舗従業員がメニュー開発や食材調達に関与することがほとんどないといえる。チェーンとは本部が設計したとおりに、店舗従業員が動くだけの仕組みだと理解している人も少なくはないようだ。

しかし、人々の食事の場面に立ち会う店舗従業員は顧客の健康と安全を預かる以上、食事提供に伴う食材、調理の総合的な知識はよく身につけていなくていいのだろうか。顧客の中には、従業員は「食のプロ」であって欲しい、と思う人は確実に存在する。しかも最近、急速に高まりつつある食の安全性や健康食品について従業員の知識が乏しければ、その外食企業が消費者の支持を獲得するのはますます難しくなっていくのではないだろうか。外食企業はチェーン展開の要である分業体制を維持しながら、個々の従業員が「食の担い手」としての総合的な知識や技能を体得していくという方向を獲得することがぜひ必要でないかと思う。

もう1点は、外食企業の食材開発や調達への姿勢である。調理とは元来、天然の恵みである素材を所与の条件としてこれを調理する者である。まず入手した食材が先にありきで、それに応じて調理するのがこれまでのやり方であった。ただ、農畜水産業や食品科学、物流体制が発達した現在では、多くの外食企業ではまず料理が先にあって、その当該料理に合わせて食材を開発・調達するというやり方が一般的となっている。しかし、自社の都合によい食材だけを追いかける姿勢は自然の摂理を無視し、資源の乱獲、添加物や農薬の過度な使用などを招くことにつながってはいないだろうか。環境問題に関する議論が日々強まっている今日、無理のない食材調達のあり方がまず問われるのでないかと思われる。無理をせず、適地適産で供給される食材をその都度調理していくことで消費者の支持を大きくしていくという方向もあるのではないかと思う。

今日の外食産業は以上のように、当事者が意識するしないに関わらず、現代社会に対して様々な問題を投げかけていると同時に、社会から様々な問題提起を突きつけられているはずである。外食産業の存在を社会的にはっきりと位置づけることが、そうした問題の所在を手操っていくための第一歩であろう。

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