先端食トレンドを斬る- サービスレスと生産性(柴田書店 月刊食堂1996年8月号)

先日、ガストのメニュー改訂と同じ頃に入り口のガラス窓に張り出されたステッカーの文章を見て、私は愕然とした(163ページ写真参照)。ガストという店はこれほど荒れた店ですということを、天下に知らしめている。

こんな印刷物を出さなければいけないようなレストランはすぐに閉鎖すべきだろう。外食産業が誕生してから25年、この業界のリーディング企業の主力店舗で、こんなポスターを見るとは思わなかった。本部がこれを認めているということは、すでに同社の基本的なスタンスが問題になっていると判断せざるを得ない。

だいたい、こんなものを貼りだしても効果はない。ポスター1枚でお客のマナーがよくなるなら、法律があれば警察はいらないということになる。

むしろお客に、今までこんなことがあったのかと、ネガティブなイメージを受け取られてしまうだけである。特定の店の店長が思いあまってやったというのなら、笑い話ですむのだが、印刷物にしてしまうというのは、リーディング企業として情けない。

実は、私もマクドナルドに在任中、もっと過激なポスターを掲示して、新規開店したことがある。しかしそれは、関西のある地方都市で開店予定の店舗がやくざの事務所に囲まれ、店長が監禁されるという緊急事態に陥ったときだけだ。もちろん手書きである。

<商品第一主義の弊害>

飲食業で勘違いしているのは、商品に意識が集中しすぎるということではないかと、最近私は考えている。質を上げれば売れる。価格を下げれば売れるという錯覚である。すかいらーくでいえば、質を上げるという路線がスカイラークガーデンズ(以下SG)であり、価格を下げるという路線がガストだ。両方とも商品がメインである。しかし、飲食店はあくまでQSCのバランスで考えるべきものであり、それがバリュー、すなわち支払った金額に対して価値があるか、という判断の基準になる。
かりに商品の質だけ、あるいは価格だけでいったら、CVSやスーパー、高級食料品店にはかなわない。なぜあえて外食するのか、特定のレストランを利用するのか、この点をしっかり考え直す必要がある。

外食動機は商品だけではない。家で一人で食べるのは淋しい、友達と楽しく食べたい、家族の団らんを楽しみたい、といったときに、われわれはレストランを利用するのだが、その時、商品だけを目的とするだろうか。語らいの場としてのいい雰囲気や気持ちのいいサービスも大切なのである。ここのところを外食業は、全般的に考え違いをしているのではないだろうか。

デニーズにしてもそうである。セブンイレブンの影響で、商品の品揃えをすればいいのだ、お客の望む商品を出すんだ、という方向に進んで、オペレーションは混乱し、サービスは置き去りにされてしまった。

高品質化、低価格化、品揃え重視。いずれも商品第一主義である。その弊害が、今外食全体を覆っている気がしてならない。

今私が「料理の鉄人」の次に面白いと思う番組は「王様のレストラン」だ。このドラマでは、料理と同じくらい重要なのはサービスである、と主張している。ちょっと行き過ぎなところもあるのだが、サービスにスポットを当てている点では飲食に携わる者にとっては一見の価値はある。テレビにそこまで言わせていいのか、という気もするが…。 やはり雰囲気やサービスはレストランに行く最大の理由ではないだろうか。なぜなら原価は高くても40%程度であり、最近はお客は原価を簡単に見破れるようになってきている。そこで納得させるサービスが大事になってくる。

<ガストの大いなる誤解>

私はガストの低価格路線を高く評価している。最近では数少なくなってしまったサポーターの一人を自負している。高く評価している点は、低価格を実現するために、キッチンの作業とフロアの作業を合理化して、人件費を下げていった手法である。
とくにキッチンにエアー・インピンジメントオーブンを導入し、ほとんどの調理をそれで行うことで、作業の合理化と調理時間の短縮化を実現した点は高く評価できる。 フロアでも革命的なのは、入り口の案内をなくし、水とホットドリンクをセルフサービスにしたり、テーブルセットをなくしたことなどである。しかもオーダーはお客が呼ぶまで取りに行かないということまでやった。

これはいいことなんだなあと思ったのだが、よく見ると合理化と同時にサービスを放棄していたのである。そしてこのガスト現象は、すかいらーくグループ全体に広がっていった。

ガストの大きな間違いは、サービスの省力化により生産性が高められると思ってしまったことだ。ガストがやっているように、お客が必要なときに従業員を呼ぶシステムを導入すれば、生産性を高めることができるだろうか。客席のグラスに水をつぐ作業を例にとって考えてみよう。

ガストは水をホットドリンクバーにセッティングして、セルフサービスでつぎに行くシステムだった。しかし、若い学生たちがたむろするせいか、着席するときに水を持ってきて、その後欲しいときにはベルスターを鳴らして従業員を呼ぶシステムになっている。つまり、お客がベルを鳴らしたら、その席に水を持って一直線にかけて行くわけだ。

これは一見生産性が高いように見える。しかし、これは単にフロアサービスにおけるパブロフの犬をつくっているだけだ。ベルが鳴ったときだけテーブルに向かうことになれてしまうと、行って帰ってくるだけで、他のテーブルは見ないということになる。

要するに、ベルに対する反射としてのサービスがあるだけで、他のテーブルの状況をウォッチしながら行動するということがなくなるわけだ。

ひとつの客席に水をつぎに行き、そのままキッチンに戻る。またベルが鳴ると一直線にかけていく。途中で、水がなくなりそうなお客のコップに注いでいけば1回ですむ作業を、ワンウェイ・ワンビジネスのため、わざわざ増やしていることになる。かえって作業効率は悪くなっているのだ。

これはお客の受ける印象にも大きく影響してくる。催促してから水を補充されるのと、タイミングを見計らって補充されるのとでは、どちらがサービスとして価値が高いかは明白であろう。先日、SGの店舗チェックをしたときには全く水の補充がなかった。これはSGまでがガストと同じような病魔に冒されている、ということではないだろうか。つまり、すかいらーくがかつて持っていたサービスの蓄積を、丸ごと放棄してしまったのである。

作業を単純化し、分業化することで生産性を高めようという発想は、非常に古い考え方で、かつての自動車の製造ラインに似ている。これは生産性を追求するあまり、作業を細分化し、コンベアーにどんどん自動車を流していき、その前に並んだ作業者は単純な繰り返し作業を強いられた。そして製造ラインはひたすら長くなっていった。

しかし、ある程度まで高まった生産性は、ある地点を境に下がっていったのである。なぜなら、「絶望工場」というルポ記事にあったように、考えることを失った作業者は労働意欲を喪失し、かえって生産性と品質の低下を招いてしまうからだ。

人間は考える動物であり、考えれば考えるほど、生産性を向上させることができるのだということに、外食業も気づかなければならない。人間をロボット化することによって生産性が上がることは、絶対にあり得ない。

<OESが破壊したさーびす>

もうひとつ外食業を誤った方向に歩ませてしまったものと私が考えているのは、オーダーエントリーシステム(OES)がある。
ポジティな面で評価すれば、OESはサービングタイムをドラスチックに短縮した。日本の誇るべきシステムだ。料理提供のスピードアップを図るために、調理時間、サービス時間を集計することができるようになり、その結果、すべての料理は早く、同時に出るようになった。

しかし、同時にテーブルサービスの原理を破壊してしまったのである。まず、お客の顔を見ない。オーダーを受けるときには端末の入力に集中するため、お客と目を合わせるという基本的なことができなくなった。さらに、料理提供に優先順位がつかないから、バラバラに出てくる。

先日、すかいらーくの実験店舗のビルディに一人で入って、ワインとサラダ、スパゲティ、ピザを頼んだら、ほとんど同時にスパゲティとピザが出て、サラダが後に出てきた。「わいわいサラダ」の目的はアペタイザーのはずなのに、完全に逆ではないか。ひとつには調理のプロセスの問題があるのだろうが、OESのせいだろうということもできる。

問題は本部がOESのデータを集計された時間だけで判断しているところにある。仮に従業員が気を遣って、食べ終わるのを見計らいながら提供していったのでは、集計上はサービングタイムが長いと叱責されてしまうのだろう。これでは現場としては全部いっぺんに出すしかない。そうとしか考えられないサービスがビルディだけでなく、FR全体でまかり通っているのだ。

米国ではほとんどOESに出会うことはなかった。だからきちんとお客の目を見て注文を取り、きちんと順番通りに持ってくる。アペタイザー、サラダ、メインディッシュ、デザート、コーヒーをまさにその順番でサービスしている。サービステーブルの基本が崩れていないのである。

OESの反動のせいか、目線のトレーニングが行われなくなっているようだ。 レストランには基本があって、まず注文を受けるときには相手の目を見るが、客席を回るときには見てはならない。だから胸の下、ちょうどテーブルの上を見る形になる。そ して、遠くで見るときはお客の顔全体を見て、何かを求めるようだったら、すぐに対応できるようにする。近くに行ったら目線を下げてテーブルを見ると、ていねいな感じもでる。そして目を合わせたらにっこり笑う。これは基本なのだ。

ところが、今の従業員の動きを観察していると、みんなお客の頭の上を見ている。ほとんどの従業員はひとつの作業を終えると上を見る。

テーブルの上を見るというのは、テーブルサービスの基本中の基本であるが、それが全くトレーニングされていないのだ。OES優先の現在、サービスはスピードだけになっているのではないだろうか。スピードを上げ、回転を上げ、そして売り上げを上げる。それもひとつの考え方であろうが、良いサービスをしてお客を満足させ、再来店してもらうことの方が大切なはずである。

<絶望レストランの危険性>

すかいらーくはふたつの点で失敗したということができる。ひとつはOESであり、もうひとつは生産性を上げるためにベルスターを導入したことだ。そして、従業員が考えないで行動しはじめたことで、むしろ逆に生産性を落としている。
最近のすかいらーくは、社員に考えることを放棄させたのではないかと思わせることがある。例えば、すかいらーくの最近の店舗は、全店回転看板を止めている。全店分の電気代とモーターのメンテナンス代金を考えると、止めた方がよいと思ったのであろう。

しかし、角地の店まで止めてしまうのには驚かされた。確かに、一直線の道路にしか面していない店ならば、回転看板は止まっていても通行車から認知できるので問題はない。だが角地で回転させないと、店舗の認知ができない角度もできてしまう。

回転看板の停止は、おそらく本部の判断によるものだろう。しかし、角地の店舗は止めるべきではない、というこんな当たり前のことを、なぜ現場のマネージャーは主張しないのか。

何も考えていないのか、それとも絶対君主制の会社で、誰も言えなくなってしまったのであろうか。現場と遊離した本部の集中コントロールにより、下からの声は無視され、その結果全員が考えることを放棄してしまったと判断せざるを得ない。現場の様々なアイディアと試行錯誤が企業を前進させるのに、すべてが思考停止に陥っている。

その意味ではすかいらーくは「絶望工場」ならぬ「絶望レストラン」になりつつあるのではないか。

きつい表現になったしまったが、すかいらーくは日本の外食産業のリーディング企業なのであり、その影響力は極めて大きい。だからこそ、方向性を正していただきたいと思っている。そして、かつてのすかいらーくが持っていたQSCのバランスを取り戻していただきたい。

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