外食資料集 「ファストフード」(綜合ユニコム 月刊レジャー産業資料2008年9月号)

レジャー産業資料集 ファストフード ハンバーガー業界

サンドイッチは英国のサンドイッチ伯爵がカードゲームの合間に手を汚さないために、冷たい肉などをパンで挟んで食べたことにより命名された。(John Montagu, 4th Earl of Sandwich,1718 ? 30 April 1792、現在その子孫と投資家がThe Earl of Sadwichというサンドイッチチェーンを展開している)。 そのサンドイッチが米国に渡り、米国人の好きな牛挽肉を焼いたものを丸いバンズではさんで食べるハンバーガーに進化した。一説によると1904年にセントルイスで開催された万国博覧会会場内でハンバーガーステーキを挟んだサンドイッチが「ハンバーガー」という表記のもとで販売されていたということだ。
もう一つの説は1900年にコネチカット州ニューヘイブンの食堂ルイース・ランチLouis Lunchで開発されたという説があり、米国には元祖を名乗るお店や州が多くある。
このハンバーガーを一躍有名にしたのが、1940年にディックとマックのマクドナルド兄弟がカリフォルニア州に開いたドライブインだ。この行列を見て感激したレイ�クロック氏が店舗展開権を買い取り店舗展開して世界に3万店舗展開して世界一のレストランチェーンになったのが、現在のマクドナルドだ。米国2位のハンバーガーチェーンはバーガーキングで、ウエンディーズなどが続く。
日本のハンバーガーの起源は第2次世界大戦後、進駐軍として米国軍が日本に滞在するようになり、1950年に当時米軍関係の施設のあった六本木に開いたザ�ハンバーガー�インだといわれている。もう一つの説は同じく米軍基地のあった佐世保だ。現在では佐世保バーガーとして名物になっている。

現在のようなハンバーガーチェーンは、当時米国大手ハンバーガーチェーンであったバーガーシェフが不二家と提携して1968年頃に東京郊外の茅ヶ崎に開業したのが最初である。まだ、車が普及しておらず、まもなく閉店してしまった。その後、大阪万博を契機に日本で外食産業が生まれ、米国から多くのファストフード企業が日本に進出をした。その一つがマクドナルドで、藤田商店と第一製パンと米国マクドナルドの合弁で会社を設立し、1971年に銀座三越に第一号店を開設した。その1年前には元々マクドナルドとの提携を考えていたダイエーが独自のハンバーガーチェーンドムドムを開店している。このマクドナルドの進出を契機にハンバーガーが注目され、日本企業としては1972年にロッテリアとモスバーガーが開業した。その後、日本のハンバーガーチェーンとしては、サントリーがファーストキッチン、ロイヤルがベッカーズ、ほっかほっか亭の共同創業者の栗原氏がフレッシュネスバーガーを開業している。

その後,米国からはダイエーと提携してウエンディーズ、丸紅と提携してデアリークイーン、商社の兼松はハーディーズ、大阪のファミリーレストランと提携してホワイトキャッスル、大阪のファミリーレストランのフレンドリーはカールスジュニアと提携した。しかし、デアリークイーン、ウエンディーズ以外はことごとく撤退している。

当初はマクドナルドとロッテリアは拮抗していたが、そのバランスを崩したのがマクドナルドが1987年に仕掛けた低価格戦略の390円(サンキューセット)だ。ロッテリアは反撃として380円(サンパチセット)で応酬し両社は激しい体力消耗戦に突入した。

この低価格戦争は両社の体力を消耗し、やがて休戦となったが、米国マクドナルド主導の世界戦略により、原価をぎりぎりまで低下させることに成功したマクドナルドは再度1994年に「バリューセット」の販売を開始した。ハンバーガーセットは540円から400円に 、ビッグマックセットは790円から600円と大幅に値下げした。次に1995年定価210円だったハンバーガーを一気に130円に値下げし、対抗上、ロッテリア等はこれに追随して値下げせざるを得ない、価格破壊戦争が開始した。当時はバブル崩壊後の日本は景気が悪く、外食の売上が低迷を始めた頃で、ファミリーレストラン最大手のすかいらーくは主力のすかいらーくを低価格のガストに切り替えるなど、外食業界は一気に低価格戦略にシフトしている時期であり、このマクドナルドの低価格戦略はマスコミの話題に取り上げられ大成功となった。

この成功に味をしめたマクドナルドは、1995年には為替が1ドルが80円近辺へ急激な円高が発生し、牛肉や冷凍ポテトなど輸入原材料コストが低下したのをばねに、ハンバーガー単品の価格を創業当時の80円へ値下げした。
そして2000年2月14日より平日半額キャンペーンと称して、平日は130円のハンバーガーを半額65円で販売するなどの極端な低価格戦略を取り入れた。
これに体力の劣るロッテリアは壊滅的なダメージを受けてしまい、店舗網を縮小せざるを得なくなってしまった。従来はマクドナルドやロッテリアとは異なる高品質の手作りハンバーガーを売り物にしていたモスバーガーもこのマクドナルドの低価格戦略の影響を受け店舗展開の速度が低下してしまった。

競合をことごとく退けたマクドナルドは独走状態となり、マクドナルドは2001年にジャスダック市場に株式上場を果たした。しかし、上場後のマクドナルドは円安の影響などから価格政策がふらつくようになり、値上げと値下げを繰り返し、消費者の信頼を失い、日本マクドナルドの創業者であった藤田田氏は退任をせざるを得なくなった。藤田田氏の後を就任した子飼いの八木社長も間もなく退任し、米国主導の会社となり、現社長の原田氏を迎え、米国的なビジネスの展開にシフトし、直営店舗の展開からフランチャイズ店舗の展開に重点を置くようになった。創業30年次に行った契約更改時に、米国マクドナルド社に支払うロイヤリティが大幅に増加し、売上の低迷とあいまって同社の利益が大幅に減少した。その対策として、本社従業員の早期退職、営業時間の延長、アイドルタイムのスナックメニュー、コーヒーの高品質化、低価格商品は目玉として、新商品の単価の高い商品の商品開発と矢継ぎ早に対策を打っており、現在はハンバーガー業界はマクドナルドの独走状態となっている。
このマクドナルドの独走状態に、米国第2位のハンバーガーチェーンのバーガーキングは日本に進出をきめた。元々、1970年に当時のセゾングループのレストラン西武(現在、西洋フードシステムズ�コンパスグループ)がバーガーキングと提携交渉していたが当時の日本の牛肉の価格が高いことで進出を見送っていた。その後、何回か進出の機会があったが見送っていた。
当時米国バーガーキングの親会社で会った英国グランドメトロ社は、同社の所有していたホテルチェーンのインターコンチネンタル社をセゾングループに売却した関係で、1993年年に西武グループ系列企業の西武商事とバーガーキング社が提携した。西武商事は自社の不動産である西武沿線の駅に展開することにこだわり、店舗展開はあまり進展がなかった。
そこで、英国グランドメトロ社は日本での展開を大手企業の日本たばこ産業JTと合弁で1996年に設立したバーガーキングジャパン株式会社で行うことにした。バーガーキングの展開速度を上げるために、森永製菓系のレストラン森永が展開していた「森永LOVE」の事業を人材ごと買収してチェーン展開を始めた。
しかし、当時のマクドナルドの激しい低価格戦略には大型ハンバーガーを得意とするバーガーキングでは対応できず、2001年3月末に撤退せざるを得なかった。当時のバーガーキング社には決裁権が殆どなく、グランドメトロ社に全ての判断をゆだねているため、方針の決定が遅れたことが大きな原因であった。
その後、米国バーガーキング社はグランドメトロ社の傘下から離れ、再び公開会社となり経営の自由度を得るようになり、再度、日本への進出を開始した。前回は合弁契約にこだわったが、今回はフランチャイズ契約として、日本側の自由度を増すようにした。
今回バーガーキングと提携したのが、マクドナルドの低価格戦略にブランドイメージを傷つけられたロッテリアで、企業再生専門のリバンプ社と提携して、バーガーキングジャパンを設立し、2007年6月8日に1号店「新宿アイランドイッツ店」を開店した。皮肉なことに新宿アイランドには日本マクドナルドが本社を構えている。初代社長にはマクドナルドやウエンディーズを経験した笠眞一氏が(かさ しんいち)が就任したが、2008年9月には退任をしてしまった。やはり、マクドナルドの低価格戦略の前には店舗ごとの赤字の累積が大きくなりすぎるようであり、今後どのようになるか注目されている。
モスバーガーはファストフードのイメージから米国で人気のファストカジュアル(健康的で手造り感のある料理)の緑モスに転換を急いだが、高価格の商品や調理時間の遅さ、店舗面積を増加しない改造、などの理由により低迷状態にあり、ミスタードーナツを経営するダスキンと資本提携して改善を模索している。
ロッテリアは長らく低迷していたが、企業再生専門のリバンプが再生を指揮するようになり、企業イメージの刷新や商品の品質を改善している。今年度発売しが絶品チーズバーガーは、プロの調理人がバンズや肉、チーズまで見直して開発したのもので売り切れになるほど人気が出ている。今後、これらの商品開発が新店舗の開設につながるか注目されている。
ファストキッチンやベッカーズ(親会社がロイヤルからJR東日本に移動した)はマクドナルドの低価格戦争には参入せず、ハンバーガー以外の商品開発に努めている。
2005年にこのハンバーガー戦争に参入した企業が、低価格イタリアンで大チェーンを築き上げた、サイゼリヤだ。2005年にイート・ランという100円台の低価格を打ち出すハンバーガー業態を開発し、マクドナルドの元従業員をスカウトして3店舗まで展開したが、立地選定のまずさと、マーケティング戦略不在のため低迷し、2008年夏までに1店舗を残して業態を変換した。

市場規模は民間調査会社の富士経済によると、国内ハンバーガーチェーンの総売上高は2004年から拡大に転じ、2005年には6006億円、2010年には6200億円に達する見通しだ。

ハンバーガー�チェーン業界はマクドナルドの独走状態であるが、個人店の経営するハンバーガー店が今元気だ。個人店のハンバーガー店はチェーン企業のような低価格戦略を取れないので、手造り感のある高品質のハンバーガーを売り物にしている。
個人店のハンバーガーチェーンの最初といえるのは、1985年に東京広尾に開店したホームワークスだ。マクドナルドの通常のハンバーガーの肉の重量は1/10ポンド、45gと小さいのだが、ホームワークスは米国のスタンダードハンバーガーの重量1/4ポンド、113gよりも大きい、130g、150g、220g と大きいのが特徴だ。勿論価格は1000円からだからファストフードのハンバーガーとは顧客層が全く異なっている。
そのホームワークスの創業に携わったといわれている松本幸三氏が1990年に五反田の閑静な住宅街の外交官の住宅を改造して作ったのが、お洒落なフランクリンアベニューだ。ハンバーガーをオープンキッチンで丁寧に焼いている姿を見ながら、ビールやワインを傾けて待っているのが楽しいお店だ。ハンバーガーだけでなく、米国風のパストラミサンドイッチやローストビーフサンドイッチも美味しいお店だ。
この2店の成功を見て、1995年開業の三軒茶屋のファンゴ、1996年開業の本郷三丁目のファイヤーハウスが続く。その後一段落していたが、1997年にはピザーラを経営するフォーシーズがハワイの高級ハンバーガークワアイナ、1999年にはフレッシュネスバーガーがワンズダイナー、2003年には中野に佐世保バーガーのザッツバーガーカフェが開業、2005年には閉鎖した六本木のザ�ハンバーガーインが経営者と場所を変えて開業、等2005年以降個人経営のハンバーガーチェーンの開業ラッシュだ。
マクドナルドが日本で展開して35年経過し、ハンバーガーで育った世代が増えてきたためだろう。個人店のハンバーガー開業当たって注意することは、価格が高めのため、高所得者の多い立地でなければいけないということだ。ま多、ハンバーガーは米国生まれだが、米国そのままの味ではモスバーガーのように日本化したハンバーガを食べて育った世代には受け入れられない。マクドナルドのような米国系のハンバーガーは肉の味にバンズが負けないようにあっさりとした味付けのバンズを使用するが、アンパンで育った日本人は柔らかく、ちょっと甘みのあり、香りのするバンズでなくてはいけないのだ。バンズを美味しく仕上げるのが、ハンバーガーチェーンに打ち勝つ秘訣なのだ。

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