誌上フィールド検証スタディ「フード・ビジネスの新潮流とそれを主導するトレンド・リーダーたち<前編>」(オフィス2020 AIM「2020BD」8月号)

出席者
島田始:(株)マガジンハウス・チーフプロデューサー
松坂健:長崎国際大学教授
神山泉:(株)エフビー・代表取締役
王利彰:(有)清晃・代表取締役

司会
緒方知行・本誌主幹

(敬称略・発言順)

★自分を否定する文化を自分の身の内に持てるか
緒方

今日はレストラン・ ビジネスの話といっても、従来のように「業態」とか「立地」とか「価格戦略」といったタームで語り合いたいと思っていないんです。
もっと、我々自身の生活や心のあり方に密着するようなキーワードを使って、このビジネスを捉えられないか。そういう思いで、メンバーを組んでみたわけです。

島田

緒方さんのその問題提起、僕もすごく重要だと思います。これまでは、このビジネスを語るとなると朝昼晩的にどうだとか、どこのエリアが狙い目だとかいう形の議論が多かったんだけど、これからは「食」の世界だけが独立して存在するんじゃなくて、たとえばファッションとかマッサージみたいな卑近なものも含めてリラクゼーションと深くかかわってきたりしているんだから、もっと人間の精神とか文化とのかかわりみたいな観点が必要なんじゃないか、ということは僕も痛切に感じてきたことなんです。

松坂

ドラッカーの最新著である「ネクストソサエティ」を読むと、あの明晰なドラッカー先生して「この10年、私は誤解してきた」みたいな記述がある。つまり、20世紀最後の10年の激しい変化を自分を含めて経済学者の大半が「経済の変化」だと思ってきた。自分もそうだった。でもこの10年本当に変化したのは経済じゃなくて、「社会の変化」だったんだ、と。実にシンプルな言い方なんだけど、はたと膝を打つような感じがありましたね。
僕もこの間の外食の不振の原因などをついついバブルの崩壊による外食費用の節約効果なんて説明しちゃうんだけど、言われてみると、お財布の中身の問題だけで、これは論じられないな、と。経済の変化が社会の変化を招いているんじゃなくて、社会の変化が経済の変化を招いていると考えた方が、いろいろなことの説明がつきやすくなっていると思う。ドラッカー先生ほどの人でも、「経済用語」に呪縛されるところがあるんだね、ってまたまた彼の論文が好きになりましたよ。

神山

うーん、価格戦略論派として、ここで一大論陣をはるべきなんだろうけど、そういう社会の変化が経営のあり方を変えていくという実感は、僕にもありますね。特にアメリカの外食トレンドをウォッチしていると、おやっと思うようなことに出くわします。
あとで話がでるかもしれないけど、いま、アメリカの外食産業の合い言葉は「スクラッチ」。とにかく、店舗で加工、その場販売が主流。これって、アメリカの外食チェーンが伸びてきた最大の理由の一つである「工販分離」原則からの逸脱なんだけど、それをしないと新しいお客さんがつくれない。
で、面白いのは、そういう手作りの原始的なやり方を標準化の権化みたいなチェーンがしれっと手がけているところ。大チェーンが自分のやり方を否定するものを、子会社に持っていってしまおうという動きなんですね。これなんか、さっき松坂さんが言った、経済の変化対応型ビジネス・モデル構築型じゃなくて、社会変化対応型の動きだと思うな。

自分のやっていることのアンチテーゼの存在を外部に認めるのではなく、あえて自分の身内に置いてしまう。そういう考え方が生まれてきたのも社会変化ということでしょう。結構、柔軟に構えるようになった。前回の座談会でも話題にしたけど、日本でも既成の大チェーンが、格下げといっては申し訳ないけれど、規模も小さいし歴史も浅い新興チェーンのフランチャイジーになって、生き抜こうとしたりするのも、以前の経営者マインドでは考えられないですよね。格下げによって助けられるなんて潔くない、なんてね。こういう現象もかなり社会の反映だし、外食ビジネスは小売業よりももっと、お客さんの五感に訴える分、ダイナミックに反応するところがありますよね。

緒方

確かに、小売りのほう、特にGMSなんて業態は、お客の経済状態対応の話ばかりという気がする。よく例に出るのが紳士服のスーツだけど、あそこは1万円で当てたけど、うちが1万9800円の品質志向でいく、とかいった類のことが記事になる。問題は、いくらのスーツなら売れるという思考の回路じゃないのにね。どういうスーツが望まれているか、の話が出てこない。社会の変化に少し鈍感かもしれないね。

松坂

素人さんだから、的を外しているかもしれないけど、ダイエーの再生計画を見ても、GMSが駄目だ、だったらカテゴリー・バリュー・センターだとかいって、100円ショップのまねごとみたいなことをやったり、批判も多く出たユニクロまがいをやったりで、やっぱり、ダイエー本体を否定し尽くすエネルギーの不足が感じられますよね。なんか、既存店を見ていても、瀬戸際で頑張っているぞ、という熱気がなさすぎますよ。まだ、小手先の「業態」で乗り切れると思っているのか、とダイエーのファンとしてがっくりくる。

島田

企業が自ら掲げたテーゼで儲け続けるのは構わないけど、どこか企業の内部にアンチテーゼを養っておく企業文化がないといけませんよ。コンピュータ・ソフトウェア企業だって、ハッカーを雇って自社のプログラミングを破らせて製品を進化させるんですもの。

大チェーンになればなるほど、自分の大きさ自体が恐くなる。まして、自分を否定する存在が外にあると、もっと恐い。だったら、否定する部門を自分の中に抱え、持っちゃえという発想はありますね。

★侮れないぞ、駅グルメ
緒方

それでは、社会の変化を一方の目で眺めながら、外食ビジネスの変化をもう一つの目で見ていきましょう。要するに両にらみ。

松坂

ごめんなさい。先に口を挟ませていただきますが、社会の変化で結構、よく見える感じになってきたのが、都心回帰、郊外低落という地政学的な変化じゃないでしょうか。先日、某不動産企業のホテル開発部門を手がけてきた敏腕の人と話したんですが、このところ東京の中心部の物件の高騰がすごくて、とても不動産の素人さんが手を出せるような甘い世界じゃなくなっているんですって。都心型マンションの売れ行きがすごいし、これからの銀行預金の記録的な利回りの低さを考えると、不動産証券化ビジネスはこれからが出番。これからは、ダウンタウンですよ、って言われましたね。

神山

いっとき、地方の郊外型居酒屋がいいと言ってたんですが、飲酒運転の規制が厳しくなってきて、少し沈静気味。そんなことでも都心回帰現象はあると思う。

島田

僕は衣・食・住・遊がどんどん無差別的に結合して新しいビジネス・モデルが生まれてくるという説なんだけど、そうなるとエキサイティングな部分はどうしても都心で生まれてくるということになる。かつて、マイホーム的な夢のエネルギーが郊外に充満していて、それがファミレスの隆盛を呼んだと思うけれど、その郊外を支えてきた住民の家族のキズナが急速に拡散してきてますよね。端的に言ってしまえば、戸籍の筆頭者の高齢化。この人たちが、住んで楽しく生きたいと願うと、うんと田舎か、うんと都心かという選択になってくる。結果として、さいたま市みたいなところが急速に力を失いつつある。

神山

いやあ、郊外の力は本当に低下していると思う。ファミレスでも、デニーズとジョナサンに限るけれど、もう都心型立地の争奪戦。ファミレスは郊外が対前年比でガクッと落ちているんです。だから、話題にもなったジョナサン原宿店みたいな超大型ファミレスも出現してくる(増床し座席数が300以上になった)。

ひところ伸びた地方SCもすぐに苦戦状態に入っている感じ。どこへ行っても、スターバックスがあって、マクドナルドがあって、というんじゃ個性がない。均質化している面がある。

松坂

より大型のアウトレットを持ったスペシャリティ型SC同士の競合という面もあるんじゃないかな。ディベロッパーはそれこそ個性を出そうとテナント・ミックスするんだけど、先輩の成功例をついつい学んじゃうから、結局、代わり映えしない打線になってしまう。

だから際コーポレーションの中島武さんなんか、フランチャイズ展開だけど、一軒一軒どれだけ違う店をつくれるかということに賭けているところがあります。

島田

いま、テナント・ミックス的なところでどこが頑張っているかというと、JR東日本でしょ。「HANAKO」でも「改札前グルメ」という特集をやったんだけど、山手線の駅ビルの実力は侮れない。上野駅なんか、レカンが入っているかと思うと、ハードロックカフェが朝食時間帯からがんがん飛ばしていたり、新しい食のシーンが生まれつつある。

松坂

JRのそういう方面の担当者の話を聞いたけど、駅の機能を「通過するための施設」から「そこにわざわざ来る機能」というふうにしたい意図がありあり。まあ、駅のテーマパーク化。さっきの住民の都心回帰の流れと駅空間のドッキングっていうのは、密接ですよね。

アメリカだとオフィスが郊外にも分散しているんで、ランチ需要や社用接待的な需要が郊外SCでも発生する。そこにSC内外食のバラエティ化も出てくる余地があるけれど、日本はどうしてもディナーが弱い。あのグローバルダイニングでも横浜・港北の阪急に出した店は苦戦しているし、客単価の限界がすぐに出てくる。
アメリカだとSCにチーズケーキファクトリーとかいいのが入っていますが、日本だとSCで高級業態がちょっと難しいですね。

緒方

僕は今日のメンバーで最高年齢だけど、やっぱり都心に住むのはいいかな、と思う。ちょっと暇ができたら、歌舞伎でも芝居でも見に行ける足、いい本屋さんもある。でもって、駅グルメやって、面倒くさいときはオリジン弁当でいいし、人恋しくなったらカフェでも出かけるなんていうのがいいね。

松坂

いま、そういうライフスタイルを可能にする街づくりを「ラテ・タウン」って言うんですよ。あの、ミルク入りコーヒーのラテですね。つまり、街全体がカフェのような自由なつくりになっていて、人をして、あまりアルコールみたいな酩酊状態にさせない。うたい文句は「ロッキーのような大自然と不夜城のような都会の融合」って言いまして、標準化した勤務時間に縛られない人たちが、生活と仕事を「両立」させるのではなく、「合体」させられるような街、それがラテ・タウンというわけです。
僕は銀座の大ファンなんで、できるなら銀座に近いところで一生を終えたいと思っているんですけど、例えば佃島なんて、ロッキーほどの大自然ではないけれど、リバーサイドのそれなりの都会のポエジー的な自然があるし、歩いて15分に不夜城がある。僕にとってのラテ・タウンみたいなものです。

緒方

島田さんがおっしゃる衣・食・住・遊の壁が取っ払われるというのは、画一的なサバーバン・ライフの中ではなくて、何が起きるかわからないアドベンチャラスな都心で、ということでしょうか。それでは、そのことも踏まえ、どんなわくわくすることが食ビジネスで起きるのか、次回はそこをテーマにしたいと思います。

(以下次号)

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