マクドナルド転職のチャンス
(商業界 飲食店経営1996年6月号掲載)
マクドナルドへの転職
自ら仕事を身につける環境を切り開く
田無店を立て直した成果により業界に注目を浴びるのではないかという幻想を抱いていた。しかし、現実にはミスタードーナツの後塵を拝したファーストフード業内の中では誰も注目してくれることはなかった。
どんなに一所懸命に仕事をしても、環境が整備されていなければ、自分を伸ばすことが難しい。自分を伸ばすには仕事が十分に出来る環境が必要になる。転職しもっと勉強になる業界にはいり、優秀な人材の中でもまれることが必要なってきたようだ。日本では幾ら仕事が出来てもスカウト人事なんてあり得ない、自分で良い仕事先を探し売り込むことが重要なのだ。自分で自分を伸ばすというチャンスをつかみ取ると言う積極性が重要なのだ。良い会社というのは現在大会社である必要はない、今は小さい会社でも将来性があるかという事だ。
当時のダンキンドーナツ(レストラン西武)は、当時の外食産業の中での有数の大企業で学ぶことが多いだろうと思い入社した。しかしながら西武百貨店の1子会社であり、若手の社員の育成には優れていたがマネージメント方針が頻繁に変わるという問題を抱えていた。
また、米国ではドーナツは朝食かおやつの位置づけであり、主食にはなり得ない物であった。そのために1店舗の売り上げも他のファーストフードより低く従業員も10名くらいとこじんまりした店舗であった。売り上げは低いが投資金額は少なくてすむためにフランチャイズチェーン展開に適していたが、直営店舗の運営に関するノウハウが少ない。ノウハウはドーナツ製造技術ををどうやって短時間で教育し、その品質を維持するかという単純な物であり、あまりマネージメント技術についての教育を受けるチャンスはなかった。
そんな風に色々悩み始めていたときに友人から転職の相談を受けた。自分の能力をどうやって伸ばすかという面で限界を感じて急成長中のマクドナルドに入社したいという事だった。
当時の米国外食産業売り上げランキングは1位がKFC、2位がマリオット(ビックホーイ等)3位がARA、4位がデアリークイーン、5位がマクドナルドであった。特に売り上げの伸びの第一番はKFCで29.2%、2番目はマクドナルドの25.9%とファーストフードの強さが目立ち始めていた。
日本でもダンキンドーナツと同時期に進出したKFCとマクドナルドの急成長ぶりには目を見張る物があった。特にマクドナルドは銀座1号店を皮切りに代々木、大井、お茶の水、新宿二幸、横浜松坂屋、など立て続けに開店し、当時の歩行者天国の開始と相まって大盛況を示していた。マクドナルドは当時の初任給が3万円くらいの時代に店長の給料10万円という破格の待遇で幅広く人材を募集していたのだ。
マクドナルドの各店を訪問して驚いたのはその忙しさの中で社員やアルバイトが楽しそうに生き生きと働いていたことだ。その楽しそうな忙しい雰囲気と給料の大きさに目が眩んだ筆者と友人はマクドナルドに応募したのだった。皮肉なことにアイディアを出した友人が試験に落ち、筆者が合格してしまった。マクドナルドのように活況を示している会社に入ってやっていく自信はなかったが、受かったのも何かの縁だと思い入社することにした。マクドナルドに落ちた友人はKFCに入社し、その後もお互いに切磋琢磨するようになっていった。
年末に退職願を出し店舗の清掃を完璧にして、1月の20日で退職、マクドナルドに入社した。当時は日本進出後まだ2年目でありまだ15店舗の店舗数であった。そんなに少ない店舗数でありながらすでに立派なハンバーガー大学をお茶の水に開いており、店舗配属の前にまず、BOC(ベーシックオペレーションコース)第12期生として入学した。
当時ではまだ外食産業などと言う言葉はなく、飲食店は水商売と言われ、バーやキャバレーなどの酒を売る商売と全く同列におかれていた。水商売の従業員というのは何か身を持ち崩したような人が入る業界のイメージで、マネージメントという言葉とは無縁の社会であった。そんな水商売で荒んでいない人間を採用するために、マクドナルドでは常識外の高給で他産業から幅広く人材を集め、優秀な人材を短期間で洗脳しようとハンバーガー大学を開設したのであった。
マクドナルドの創始者レイ・クロックの最も優れていたのは洗脳だろう。信頼した従業員をその過激な言動で洗脳し、マクドナルド人間を作り上げることだった。その洗脳という作業を担当するのがハンバーガー大学の重要な機能であった。校内にはレイ・クロック語録があちこちに張り出してあった。QSC,TLC、CLEAN AS YOU GO、カスタマーファーストなどの横文字が氾濫していた。同時に日本マクドナルドの藤田田社長のアジテーションもレイクロックに負けず劣らない凄い物だった。
教え方は洗脳だけではなく、店舗に行きハンバーガーの焼き方を一から教えるという現実的なトレーニング手法だった。しかし驚いたことに当時のマクドナルドはマニュアルなどと言うハードウエアーには無頓着な会社であった。ダンキンドーナツでは1号店の開店の前には米国のマニュアルを全て日本語に翻訳し、立派に印刷したマニュアルを各人に配布していた。しかし、マクドナルドのマニュアルはまだガリ版刷りで翻訳の文章もいい加減な物で驚かされた。
当時のマクドナルドではマニュアルではなくハンズオン(実際の仕事上の教育)を重視しており、多少のマニュアルとの食い違いには鷹揚だった。しかしながら現場での作業の教え方、基準については厳格なトレーニングを実施しており、実践を重視した教育方針だった。
店舗での作業の合間の授業の後には筆記試験があり横文字と記憶力の弱い筆者には地獄の苦しみで、殆ど最下位の状態のていたらくであった。そして、卒業の前日には過去のトレーニングの総決算として夜中通しての清掃作業という過酷な労働を強い、それに耐えた卒業生は朝食をとりながら卒業証書を受け取るという物であった。
何とか卒業できた筆者は(小学校から大学まで卒業時は何時も落第しないぎりぎりの得点というのが筆者の特技であった)お茶の水店にマネージャートレーニーとして配属された。現在のマクドナルドのトレーニングシステムは入社後すぐに店舗に配属になり、マネージャートレーニングプログラム(以下MTPと省略)に沿って3ヶ月、店長や,SVが毎日具体的な仕事を教えるという綿密なプログラムである。
しかし、当時のマクドナルドは急成長しておりそれらのトレーニングマニュアルやプログラムの整備が遅れていた。ちょうど筆者が店舗に配属になった当時にマネージャートレーニングプログラムを配布した最初であった。プログラムの使い方の説明を受けていない筆者は毎日店舗で仕事を覚えようと夢中であった。
あっと言う間に1ヶ月ほど過ぎた時だった。独りで店舗のフロアーコントロールをしているときに裏口から見知らない汚いレインコートを着たおじさんが楊枝を加えながら入ってきて、筆者にたどたどしい日本語で「君何しているの」と聞くではないか。そしてMTPの進行具合はどうかと聞くから「店が忙しいからやっていませんよ」と適当に答えていた。
丁度そのとき新店舗の開店準備にきていたTマネージャー(現大手玩具小売店社長)が、「王さん、あの人は偉い人なんだよと」と忠告してくれた。説明によると米国からきている顧問だという事だった。普通顧問というと定年退職した人の閑職だと思っていた筆者はなーんだ大した人じゃないんだと勘違いをした。
しかし米国の顧問というのは日本と異なり、米軍軍事顧問のように命令権を持つ絶対的なボスだというのに気がつくのに1時間とかからなかった。担当のSVが息を切らせて店舗に駆け込んできたのだ、そして、全くやっていなかったMTPをその晩、徹夜で終了し翌日からセカンドアシスタントマネージャーに昇格したのだった。これがその顧問との最初の出会いであり、まさかそれが20年近くも続くとは予想もしなかったのである。
会社が大きくなるには2人の優秀な人間がいる。ホンダの本田宗一郎と藤沢副社長のような、リーダーシップの強烈な創業者とそれを財政面や運営面で支える実務家だ。米国マクドナルドも同じだ。
レイクロックという強烈なリーダーシップの持ち主を実務面から支えたのは、フレッド・ターナーであり、クロックが会社の父親としたら、ターナーは母親だった。日本マクドナルドも同じだった。藤田田社長は父親としての強烈なリーダーシップで業界をリードしたが、その会社の運営面を母親のようにきめ細かくフォロー、トレーニングしたのはその軍事顧問だった。
母親といっても子供が100人以上もいるような大所帯だからきめ細かくみれるわけではない、優秀な人間には教えるが無能な人間は終わりだった。獅子が子供を鍛えるために崖からけ落とすような荒いトレーニング方法だ。もちろん崖下には危険がないか事前にチェックしておくというきめ細かさはもっていたが、厳しさにはかわりがなかった。
当時のマクドナルドの店長は玉石混淆だった。頭の良い優れた人もいれば、朝店舗にきて挨拶するとそのまま近所のゲームセンターに入り浸る人や、麻雀に明け暮れ、店と雀荘を往復するという豪傑もいっぱい居り、まるで梁山泊の砦のような雰囲気だった。当時のマクドナルドはマスコミに引っ張りだこであり、ある店長なんか25歳で月収10万円で未婚だと週刊誌に載ったら、毎日女性読者の手紙の山で店舗を訪問してくる女性から逃げるのに必死だった。
2年間で全くど素人の人間が15店舗も開店するわけだから、店長の細かい点まで見る暇がないわけであった。しかしながらその厳しい状況の中で軍事顧問は社員の選別を進めていたのだった。アメリカ人の彼のモットーはUp or out(昇進するか退職か)と言う厳しい物だった。チャンスは1回きり、それを逃すと終わりだった。そんな息の詰まる緊張感の中での勉強は弾の飛び交う戦場にでるような緊張感を覚えた物だった。
転職時に注意するべき事
他の飲食店やチェーンで店長でいた筆者が転職したときには、周りの人に仕事ぶりを厳しく評価された。まず、最初に店長との人間関係を確立しなければならなかった。
店長の中途入社に対する対応
前職でどんなに優秀であっても、一人では何も出来なかったはずだ、周囲の協力の下に仕事を旨くやることが出来たわけだ。職場が変わっても同じだ。上司や部下の協力がないと仕事を達成することは出来ない。前職でいくら良い仕事をしても会社が変わればまた一からやり直さなければいけない。そのためには会社や、周囲と旨くやっていくことが重要なのだ。
店長にとって筆者のように他の飲食店で経験があれ方がかえって使いにくい。店長に取って必要な部下というのは、単に優秀な人ではなく、まず、店長の言うことを聞いてくれる手足となってくれる人なのだ。店長は中途入社の筆者に対してライバル心を抱き、対抗してくるはずだ、仕事を教えてくれるはずの店長と対抗しては仕事を効率よく覚えるわけにはいかない。
また、いくら自分が前職で優秀な店長であっても、環境の異なる異業種の飲食店に来れば戸惑うし、仕事上で張り合うには不利な条件がそろっている。まず店長と旨くやり、仕事をしっかりと習うように低姿勢で応対した。失敗をしたらすぐ報告し、店長の信頼を得ることがまず一番だ。報告しなくても他の社員やアルバイトから報告を受けすぐに知ることが可能だ。報告をしないという事が一番信頼を損ねるのだ。
次に、同じ失敗をしないという姿勢が大事だ。そして、わからないことがあればすぐに店長に素直に聞くことだ。人間何かものを教えるのは相手に対して優越感を感じうれしいものだからだ。
難しいのはアルバイトとの人間関係だ
店長と旨くやるのはそんなに難しくはないが、アルバイトを自在に使いこなすまでは時間がかかる。アルバイトを見くびってはいけない、とぼけた顔をして新人社員がどんな仕事ぶりをしているかじっくり見ているのだ。彼らは、店に長くいるから色々な店長や社員を見ており、店長の能力を瞬時に判断できる能力を身につけている。マクドナルド時代には色々な社員の不正行為があったがそれを発見するのは上司ではなく常に部下のアルバイトの報告だった。あの新しいマネージャーの行動はおかしいという報告で不正が発覚するのが常だった。
ダンキンドーナツの時代の10人の人間とマクドナルドの100人に近い人間とのつきあい方は自ずと変わらざるを得なくなった。10人くらいであれば毎月一回は膝をつき合わせてじっくりと自分の考え方を相手に伝えると言うことが可能であるが、100人にもなるとそんなことは出来ない、時間がある人間だけと飲んだりするとそれが好き嫌い、派閥の問題になり店内に波紋を引き起こす原因となる。
10人以上の部下のいる店長は注意が必要な点だろう。従業員とのつきあい方は店舗の大きさ、従業員の数により異なる。優秀なアルバイトを掌握しないと後の仕事に差し障る。アルバイトの掌握というと、酒を飲みに行ったり、遊んだりすればよいと思いがちだが、アルバイトといえども仕事にプライドをもっており、仕事上の達成感を大切にしている。その彼らを掌握するのはあくまでも仕事上の能力なのだ。
しかし、ダンキンドーナツ時代のスキンシップで育てた信頼関係はマクドナルドの初期には役に立った。ダンキンドーナツ時代のアルバイトが筆者を慕ってマクドナルドでもアルバイトにきてくれたのだ。彼は筆者の完璧なる信者であり、その筆者に対する彼の見解は他のアルバイトにも大きなプラスの影響を与えた。
アルバイトを掌握するにはまず誰が影響力があるかを見つけなければいけない。そして影響力のあるリーダーを掌握すればよい。しかしながらアルバイトと言っても優秀な奴を説得するのは大変だ。まず自分の力を見せつける必要がある。しかし、敵の方が仕事が出来るわけだ。そこで敵の弱点を探し、自分の最も得意な分野に持ち込んで納得させる必要がある。
店舗を見渡すと閉店後の清掃が最も大変だった。開店のアルバイトはどちらかというと要領がよいが、閉店後のアルバイトは大変な清掃作業をやるので地味な堅実なものが集まっていた。また清掃作業そのものも地味なものであり、新人のアルバイトを初日に清掃作業させると1日でやめるような過酷な作業だった。
その作業は熟練度ではなく肉体の強さが必要な条件だった。ここで役に立ったのがダンキンドーナツで鍛えた肉体だった、イーストドーナツをこねる作業は大変な肉体能力が必要で当時の筆者の腕はプロレスラーのように張りつめていた。その体力を持ってすれば清掃作業なんか簡単なものだった。
もう一つ役に立ったのが、清掃の知識だった。ダンキンドーナツにいたときに米国のSVによるインスペクションを受けたことがある。驚いたことに彼らは、厨房内のグリーストラップや排水溝までくまなくチェックするというものだった。ここで表面的な清掃以外の重要性をたたき込まれた筆者は、清掃方法を真剣に学んだのだった。
ドーナツの厨房というものはイースト菌を発酵に使用するためそれが厨房中に拡散し、粉などの炭水化物に付着し発酵作用を引き起こし室内が酸っぱい臭いが充満すると言うことだった。そこで当時外資系の洗剤メーカーにその対策を教わり、合理的なスプレーシステムで室内を消毒殺菌するという方法とその他の合理的な清掃方法も学んでいた。
マクドナルドの清掃作業で気がついたのが前近代的な手法だ。体力に任せて清掃するから疲れるし、きれいにもならない。そこで最も汚かったバンズトースターの蓋の清掃をした。従来は只、中性洗剤をつけたたわしでこすっていただけだから、バンズ成分の油や砂糖が落ちず熱により炭化して真っ黒になっていた。そこで、クレンザーと金たわしを使ってぴかぴかに磨き上げてやった。今まできれいにならなかったのがピカピカになるわけだから、知らないアルバイトは驚いた。
翌日、店長も綺麗になったのに気がつき、筆者の知識に気がついた。そんな単純なことでアルバイト、店長に一目置かれるようになった。そんな事の積み重ねが新人社員への信頼とつながって行くわけだ。
転職後最初の3ヶ月が将来を決定する
どんな仕事場でも必ず欠点や、改善の必要な箇所がある。しかし、それに気がつくのは最初の内で、時間がたつと目がなれて問題点を問題点として見なくなる。問題点を改善すれば新しい職場で早く認められるわけだから、どれだけ問題点に気がついてそれを改善するかだ。新しい職場になれるのは約3ヶ月かかる。3ヶ月の間が問題点に気がつくチャンスだ。
筆者の本誌4月号のラクラク情報整理術を参考にしてもらえば詳しくわかるが、まずメモ帳を持って歩き気がついたことを細かく記録していった。そして後でそれを整理し、何をやるか決めていったのだ。勿論全て問題点を解決できるわけではない。まず、店舗でアシスタントマネージャーの身分で出来るところから改善するという優先順位付けをしたわけだ。
例えばマニュアルの整備なんかはアシスタントマネージャーの身分では出来るわけはない、その問題点はSVになるまでお預けだった。しかし、それを忘れずにSVになったときにはその改善に着手したのだ。それには常にメモの内容を忘れないようにしなければならない。その頃に気がついたシンクの洗浄作業の重労働を自動洗浄機の導入で解決したのは、運営統括部長と機器開発部長を兼任するようになった16年後だった。以上