プーリアからの目線で世界を見る

南イタリア美食便り

ちょうど400回の区切りにFood104の連載としては、最終回を迎えることになりました。

1995年9月、ミラノスカラ座の東京公演がきっかけで、私はイタリア半島の最南東、ブーツのかかとの部分にあたるプーリア地方と出会いました。正しくは、プーリア出身で当時フォーシーズンズ・椿山荘のメインダイニング、リストランテ・ビーチェのコンサルティングマネジャーとしてして働いていたジョヴァンニ・パンノフィーノと出会った訳ですが、出会いから30年近く経った今でも、私にとって彼はプーリアそのもので、彼と向き合うことがプーリアという土地の風土や歴史を知ることと重なっています。そして知れば知るほどプーリアからの目線で世界を見ると私が生きていく上で腑に落ちること、意味を与えてくれることが多いと気がつくのです。

それは、地産地消の食生活「キロメトロ ゼロ = 0km」という考え方がプーリアでは今でも広く根付いている事であったり、プーリアの伝統建築であるトゥルッリがその土地に豊富にある石を使って作られたサステイナブルでエコロジカルな住居である事だったり、郷土愛の強さ、大人数で長時間かけて食事をすることを大事にする事だったり、日本をはじめ多くの先進国と呼ばれる地域で「今、取り戻そうとしている一度失ったもの」が生きていて身近に感じることができるからだと思います。

人と自然の調和した共生を表す「身土不二」=「身体と土地は切り離せない」という東洋哲学由来の言葉を私が初めて聞いたのはジョヴァンニと出会ってしばらくした後の韓国のソウルでした。彼がビーチェを新羅ホテルに立ち上げた時に暮らしておりました。その当時のソウルの印象は何十年か前の東京はこんな感じだったかもと思わせるような、何故か懐かしさを感じる土埃と食べ物が路上に溢れているというものでした。

私はジョヴァンニを通じて飲食業界に関わることになり、王先生やFood104と出会いました。

1970年代後半、ヨーロッパ各国の5つ星ホテルでの修行時代から揺れ動く80年代のロンドンで大型ディスコやアップスケールなイタリア料理店の立ち上げ、その後バブル経済崩壊後の日本、さらに変容する韓国、そして2000年以降は原点回帰とも言えるプーリアの食文化に深く関わることになる彼の仕事やライフスタイルそのものが、時代の変遷の反映とも言えると思います。

南イタリアと多くの共通点を持つと考えている九州の地域おこしと静かな観光ブームを享受するプーリアでの和食PRが今後の私たちのテーマであります。 自分たちの軸に沿ってバランスをとりながら「食べることは生きること」「人を笑顔にすること」を仕事として行きたいと思っております。

王先生にはこの場で文章を書く機会を与えていただき心より感謝しております。振り返ると自分が何を思ってきたかということの貴重な記録が残っておりました。スタッフの方々にもお礼申し上げます。そして今までご拝読いただいた皆様、お付き合いいただき本当にありがとうございました。

大橋 美奈子

大橋 美奈子

東京生まれ。演劇プロデューサーを志し、高校卒業後アメリカ留学。ニューヨーク大学芸術学部在学中は舞台、映画で俳優及びプロデューサーとして活躍。卒業後、メディア関係のリサーチ、コーディネイト会社を設立。現在はホスピタリティビジネスのコンサルタントである夫ジョヴァンニの故郷であるイタリア・プーリアから“外食とはエンターティメントである”という考えのもと“感動”を創る仕事を支えています。

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