講談社 月刊現代 2004年3月号
リスク管理甘かった、吉野家の落日
「最大の強みが最大の弱みになってしまった」。
牛丼最大手チェーン吉野家ディー・アンド・シーの広報IR担当者は取材に対してこう答えた。
牛丼販売のみで売上高の9割を超えるという利益率を誇った吉野家が最悪の危機を迎えている。同社の牛肉の在庫は残りわずか。牛丼販売の休止は2月中旬ごろとみられている。(1月22日現在)
03年12月24日、「米国産牛肉にBSE感染の疑い例が発生」というニュースが飛びこんだあとの安部修二社長の行動は迅速だった。マスコミは米国産牛肉に99%以上を依存する吉野家の動向に注目していた。当然、それは同社も意識していただろう。記者会見で安部社長は「使用している牛肉は世界規格の安全性の認定を受けており、危険とされる部位は使用していない」と安全性を強調する一方、同社の牛肉の在庫は1ヵ月分しかなく、米国からの禁輸が長引けば牛丼の販売は中止せざるを得ないと発表し、早急な輸入再開の必要性を訴えた。
12月30日、安部社長は2回目の記者会見を開き、米国産牛肉の代替えとして、オーストラリアなどの牛肉を使用することは味とコストの関係で難しいと説明。そのうえで、「カレー丼」「マーボー丼」「豚キムチ丼」「焼鳥丼」の新メニュー4種類を紹介し、これらを年明けに順次発売していくと発表した。
吉野屋の情報公開の姿勢と迅速なマスコミ対策、安部社長の明確な態度は高く評価され、逆境の同社にエールを送るメディアもあらわれた。
それから1ヵ月以上が経ったいま、吉野家の姿勢に迷いがみえてきている。まずは「豪州産牛肉」の使用について。1月14日におこなった取材では「豪州産牛肉ではお客さまが満足できる商品を提供できない。一頭買いが基本である豪州とブロック買いが可能な米国とではコスト面で大きな隔たりがある」と繰り返したうえで、
「米国でのBSE発生は当然予想していたことで、一国集中型の供給を拡散させるためのプロジェクトチームを立ち上げ、研究・開発を重ねていたが、その矢先に今回のBSE騒動が起こってしまい、間に合わなかった。タイミングとしては最悪だった」(広報IR)と嘆息していた。
にもかかわらず、わずか1週間後の1月21日、吉野家は米国産牛肉の禁輸がこの状態のまま長引くならば、豪州産牛肉使用によって牛丼販売を再開する方針を固めたという報道がなされた。その根拠として同社は、「研究の結果、いままでの味を損なわない商品の開発に成功したからだ」と述べているが、それはいくら急ピッチに研究を進めたといってもあまりに性急すぎるのではないか。商品開発された豪州産牛肉の牛丼がどの程度の質のものなのか疑問を生じずにえない。
さらに1月から発売を始めたばかりの「カレー丼」などの新メニューの一部を2月中旬の牛丼停止とほぼ同時期に値下げする方針を発表。新メニューは400円~450円で280円の牛丼と比べると割高感は否めない。同社は値下げによって顧客への定着を図ろうとした。しかし、不運は重なる。その翌日の22日、鳥インフルエンザ感染の疑いでタイからの鶏肉が禁輸となってしまったのだった。新メニューのひとつ「焼鶏丼」では、使用する鶏肉の20%がタイ産だったため、同社にとっては痛恨のダブルショックとなった。
マスコミ発表を繰り返すたびに迷走する吉野家。反対にBSE発生当初に極力マスコミの露出を抑えたのが、焼肉の「牛角」を主力とする外食フランチャイズチェーン、レインズインターナショナルである。「牛角」では90%弱の米国産牛肉を使用しているため、12月24日、西山知義社長を本部長とする緊急対策本部を設置。今後の対応を検討する会議を繰り返す一方、商品本部担当者は年末年始を国内に残る在庫確保のためにかけずりまわった。この緊急手配で当初1月末から2月中旬になくなる懸念があった在庫が3月末までを確保。それが報じられたことが株式市場での好感につながった。
吉野家はBSE騒動発生当初、遠からず輸入停止措置が解除されるだろうという楽観的な希望を持っていたのではないだろうか。
同社が今回の危機を迎える原因はどこにあったのか。筆者は、1971年から2年間、吉野家の前身であるレストラン西武(現・株式会社西洋フードシステムズ)のダンキンドーナツ部門に在籍し、その後、日本マクドナナルド運営統括部長、機器開発部長などを経て、現在はフードコンサルタントとして大手ファーストフードや大手スーパーなどの経営コンサルティングに携わっている。今回、吉野家のBSE発生前後の動向を冷静に分析してみると以下の3つの疑問点が浮かび上がってきた。
1米国でのBSE発生を予測していなかったのか?
2代替え商品の開発をおこなっていたか?
3多業態化を行っていたか?
この3点は外食産業に携わるものとしてはきわめて基本的な危機管理対策であり、01年日本でBSE牛が発生し、食品業界が混乱に陥ったことを鑑みれば、今回の事態は当然想定されるべきであった。3点を詳述しよう。
1米国でのBSE発生を予想していなかったのか?
吉野家が米国集中型の供給に依存し、リスク回避を怠っていた代償は大きい。安部社長はかなり早い段階できわめて高い危険性と対策の必要性を認識していた。実際、日本でBSE牛が発見される直前におこなわれた業界紙の01年8月号インタビューで「単品ビジネスのリスクヘッジとして、牛肉に代わるものを短期であれロングレンジであれ、用意していく必要はある」と語っていたほどだ。その必要性を認識してきたのであればなぜそれほどまでに米国産ショートプレートにこだわっていたのか。
同社はその理由として「代替の牛肉では、量・味・価格の点でお客様のご期待に添える商品が提供できない」ことを挙げている。ほかの外国の供給先を探し、吉野家の牛丼に適した牛を飼育する余裕はあったはずにもかかわらずである。
現在、外食チェーンで構成する日本フードサービス協会は、日本政府や米国政府に米国産牛肉輸入再開を働きかけているが、現実にはかなりの時間が必要となるだろう。日本が米国から輸入再開をおこなうに当たっては少なくとも2つの条件が必要になると筆者は考える。
1つは日本向けの牛肉にBSE全頭検査を義務づけること。2つめはAMRによる牛肉解体法の変更を求めることである。AMRは牛肉解体の最新機械で、一気に肉と背骨の分離をおこなうため、牛背骨の脊髄等が肉に付着する危険性が指摘されている。最低でもこの2つの条件をクリアーしなくてはならないだろう。しかし日本が全頭検査を要求するとそのコストは年500億円以上前後になるものといわれており、米国サイドの抵抗は大きい。
2代替え商品の開発をしていたか?
(日本のBSE検査にかかる費用は50億円と言われており、それとほぼ同等の頭数検査をするとすると50億円前後)
牛丼一本化に徹する同社の12月の既存店売上高は前年同月比9・3%減。競合の松屋フーズとゼンショーの「すき家」は吉野家に比べ、BSE騒動の影響は軽微だった。この明暗の差は各社の商品開発にあらわれている。
01年8月1日、吉野家は従来の「牛丼並」400円を120円安い280円に値下げして販売を開始した。これを契機に牛丼業界でも低価格競争が過熱したが、相次ぐ価格改定が牛丼の利益率を押し下げ、吉野家以外の競合各社はこの競争からふるい落される結果となった。生き残りをかけた各社は別メニューを開発せざるをえない状態に陥った。ちなみに松屋フーズの牛丼の構成比は約4割、ゼンショーは約5割にすぎない。
ひとり勝ちした吉野家は、牛丼一本の「単品経営」に自信を持ち、さらに作業導線、作業工程のムダを徹底的に省くことで高い生産性を誇るようになった。そのため、過去、牛丼以外に本格的に導入した商品は朝食の鮭定食、納豆定食、けんちん汁などに限られる。なお、けんちん汁の導入に当たっては、工場における品質管理に問題があり、途中でいったん販売を中止するという失態を生じた過去もある。
数多くの外食産業の現場で商品開発に携わった筆者は、実際に吉野家の新メニューのいくつかを試食してみた。
主力商品のカレー丼はカレーのなかに一定量の肉が入らないという品質上の問題が生じていた。吉野家ではカレーを牛丼の具を入れていた専用の保温ジャーに入れて温めている。そのため作られた当初のカレーの豚肉はかたい。そしてしばらくすると軟らかくなり、さらに時間を経ると肉が溶けてしまうのだ。
もともと吉野家の牛丼は盛りつけについて社内の厳しい検定制度があることで知られている。それをパスするためには、ご飯、牛肉、タマネギの盛りつけがg単位まで決められた厳しいマニュアルをマスターしなければならない。この検定制度によって全国各地、どの吉野家に行こうとも同じ味と分量が保証されている。まさにこの安心感が吉野家を業界第一位の牛丼チェーンに発展させた秘訣であったはずだ。しかし、この厳格な牛丼基準と比べてしまうと、カレー丼の肉量のバラツキは吉野家ファンにとっては許容できないだろう。また、マーボー丼は肝心のスパイシーさがなく、吉野家の固定客を満足させるバリューは感じられなかった。かろうじて合格するのは他社も販売している豚キムチ丼くらいである。
従来、吉野家に設置されているのは牛丼の鍋と湯煎器のみである。肉とたまねぎは鍋で調理保温され、注文に応じて迅速に提供する。朝食メニューに出されていた鮭はもともと真空パックで用意されていて、専用の湯煎器で温められていた。今回スタートした新メニューは新たな調理器具の導入が間に合わなかったため、鍋と湯煎器で調理できるものが開発されている。カレーが保温鍋で加熱保温され、ほかのメニューは真空パックに入れて、湯煎器で温めるという仕組みがとられている。しかしいまの設備のままでは、今後メニュー開発に限界が出るのはあきらかであろう。
競合の松屋の場合、厨房にはハンバーグを焼く本格的なグリドル、再加熱用の大型電子レンジ等を設置されている。ファミリーレストランと同じレベルの商品アイテムを調理できる能力をそなえているため、今回の騒動でも慌てることなくデミたまハンバーグ定食や、チキンカレー、唐揚げチキンカレー、サバ味噌煮定食等を日常通り販売することができた。
3 多業態化をしていたか?
食文化の多様化でさまざまなニーズが生まれる外食産業において、「食」の流行はうつろいやすい。前出のレインズインターナショナルは一般的には「牛角」のイメージが圧倒的に強い。しかし、実際に会社全体の収益でいえば、「牛角」は10%前後にすぎない。居酒屋「土間土間」、釜飯と串焼の「とりでん」など実に22種もの積極的な多業態戦略をおこなっている。(実際の店舗数の比率が高いので、収益はもう少し高くなると思いますが?)
「この業界ではどんなにヒットしたブランドでもせいぜい5年で陳腐化してしまいます。わが社はそれを念頭において常に次の戦略を考えています。単独の業態のみに専念するということはそのブランドがヒットしている間は良いのですが、お客様が次のニーズを求められたときそれに対応できないというリスクがある。お客様のニーズの先をいく多業態化が、今回のような不可避的な出来事が発生した際のリスクヘッジになっています」(経営企画室室長・福井克明氏)
牛丼業界を例にとると、「すき家」のゼンショーは多業態化を真剣にすすめ、現在ではCOCO’S、ビッグボーイ、ウエンディーズ、大和フーズ(うどん)という、ファミリーレストランとファースト・フードを手中に収めている。現段階で発展途上のための収益性の低下という問題は抱えているものの、企業としての安全性では高くなったと言えるだろう。
もちろん吉野家がまったく多業態開発をおこなわなかったわけではない。居酒屋を手始めに惣菜店「おかずの華」、カレーの「POT&POT」などの新規事業を手がけているし、「ハミータ」という回転寿司を買収したこともある。ほかにも「ピーターパンコモコ(一口茶屋)」というたこ焼き会社の経営、「京樽」への援助と子会社化、中華デリバリーの「上海エクスプレス」への資本参加などの多角化も目指している。しかし、先行の居酒屋は2店舗の段階ではやばやと閉鎖。今回、新メニューのノウハウとして利用した「POT&POT」も現在は十数店舗にすぎず、回転寿司の「ハミータ」、「京樽」に統合されてしまった。同社が手がけて成功しつつあるといえるのは「京樽」の再建と「ピーターパンコモコ」だけである。
吉野家の精神的な弱点。それはいくら多角化を目指していても、結局、牛丼を越える合理的なオペレーションや、高い利潤が見込めないからという理由で、すぐに事業撤退してしまうところにある。
同社の正式社名は吉野家ディー・アンド・シーだ。1988年からの10年間、日本でダンキンドーナツの展開をおこなう会社ディー・アンド・シーと合併していたころの名残であり。合併当初のもくろみとしては、ダンキンドーナツが扱う食材は、小麦粉と油、砂糖、フルーツ、珈琲であり、牛丼とは大きく異なるためリスク分散ができるという点にもあった。しかしながら世界最大のドーナツチェーンであるダンキンドーナツは、日本で業界第一位のミスタードーナツに負け続けた。しかも新たな商品開発も順調ではなかったため、吉野家は98年にダンキンドーナツから撤退。牛丼の利益率を知る経営陣にとってドーナツは古くさく、生産性の低いビジネスに見えたのだろう。しかし、いま、米国ではクリスピークリームというスターバックスを上回る売上伸び率を見せるドーナツチェーンが出現し、その急成長ぶりが話題になっている。長期的に見てみると当時の経営陣の判断ははたして正しかったのだろうか?
利潤第一。そのために米国産の牛肉99%依存という危険な綱渡りをたどった吉野家。そこまで吉野家が追いつめられたのは、同社が倒産という不幸な過去を背負っていたからだろう。1980年、同社は会社更生法適用を申請した。その後83年にセゾングループの資本参加の元に会社更正が進められる。このとき吉野家の生え抜きとして再興の中心となったのが、安部社長と幸島武元副社長(現・西洋フードシステムズ社長)のふたりだった。安部社長は主に吉野家本体の運営管理、幸島副社長は業態の多角化に当たっていた。
「店を閉めるな、明かりを消すな」を合言葉に社員の力が終結した吉野家は、87年には会社更生法手続き終結、90年には株式を公開し、異例の早さで更正を完了させた。
92年、その功績が認められた安部氏がセゾングループ出身の社長に変わって、新社長に就任したことは生え抜き社員に取って嬉しい人事であったことは想像に難くない。しかし吉野家に再度試練が降りかかる。01年末、セゾングループのなかで吉野家支援の中心母胎であった西洋フードシステムズが英国系の大手外資給食会社コンパス・グループに買収されてしまったのである。
同時に米国の大学を卒業し、米国吉野家駐在経験をもつ幸島副社長が西洋フードシステムズの社長として吉野家を離れざるを得なくなった。
さらに昨年1月のセゾングループ完全解体で、グループ負債の分担という問題が持ち上がる。そして解体により、主要株主が吉野家株を他企業へ放出するのではないかという懸念に吉野家はさらされることになった。現在吉野家の主要株主は、元親会社の西洋フードシステムズが21.3%、伊藤忠フレッシュ21.19%であり、元グループ企業の西友が4.19%、そのうち西洋フードシステムズはコンパス・グループに買収され、西友はウオールマート傘下に入っている。今後の元グループ各社の事業再編や、大手商社の伊藤忠の動きによって吉野家の企業独立が危うくなるという不安定な状態なのだ。
吉野家は外食企業としては大変利益率が高く、株式公開時の上場利益200億円を現金で保持するなど財務がたいへん優れている点で他企業にとっても魅力がある存在である。実際、セゾングループから離脱した吉野家の収益性の高さに、大手食品メーカーや商社は注目し、資本参加や経営権の取得に乗り出している。
これら外部の思惑に対応するために、吉野家はなんとしても企業として健全な財務を守らなければならなかった。そのためには利益率を最大限に高める必要があった。つまり米国集中型の供給でコストを抑え、牛丼メニュー一本に絞るということである。さらに同社で新業態に取り組んでいた幸島副社長が去ったこと、が新規事業への本格的な投資を妨げたと思われる。このような要因が重なって吉野家に第2の危機が迫っているのだ。
危機を乗り越えるたびに強くなる企業もあれば、危機に呑み込まれて消えていく企業がある。吉野屋はどちらがわになるのか。今後の動きをチェックしていきたい。