先端食トレンドを斬る- サービスを生む教育(柴田書店 月刊食堂1995年8月号)

「サービス」とはあくまでも教育の産物

<なぜアメリカはサービスが劇的に向上したのか>

前回私がガストを例にとって、日本のサービスが誤った方向に進んでいるのではないかと指摘した。ガストのような業態ではサービスがゼロになってしまうし、スカイラークガーデンズのようなアッパーな業態では過剰なサービスとなる。両極端に振れてしまい、適当なところがないのである。
これはアメリカでもそうなのだろうか。5月に再び訪米した際、私はそのへんを注意してレストランを回ってみたが、アメリカではこうしたゼロか過剰かという極端なサービスには出会わなかった。業態に関わらずスマイルがあったのである。もちろん、すべてがというわけではなく、繁盛しているレストランに関してだが。

アメリカで繁盛している店の共通点は、カジュアル化である。フレンチからイタリアンへの移行もカジュアル化の一環と考えられる。イタリアンに移行した理由はふたつあるのではないかと、私は考えている。まずひとつはカロリーの問題だ。バターやクリームを使わないイタリア料理が健康指向にマッチしたのであろう。そしてもうひとつの理由は、サービスにカジュアルさがあるからではないかと私は考えているのである。

日本ではイタリアンが伸びている理由をメニューの面だけで捉えているようだが、アメリカで繁盛しているイタリアンはどこもサービスがすばらしい。そして、それはイタリアンにとどまらず、繁盛しているレストランのすべてに共通していえることであった。 とにかく雰囲気がいい。例えば、「すごくおいしかったから、厨房を見せてくれ」と頼めば、喜んで見せてくれる。お客が望むことに喜んで応えようという雰囲気が、サービスに当たるすべての人間から感じられるのだ。

シカゴにパンプルームというコンチネンタルレストランがあるのだが、日本のある大手レストランの料理長がこの店でいたく感激したという。ワインがすごくいいものだったので、ラベルをもらおうとしたのだが、その時はうまくはがせなかった。普通はここで終わってしまうのだが、この店ではウエイターがラベルをそっくり模写して持ってきてくれたという。そのことで料理長は大いに感激したのである。

私と同行したメンバーも、どこのレストランがよかったかを話し合うと、全員がそのパンプルームを挙げた。商品もおいしいのだが、とりたてて言うほどのものではない。商品がどうのというよりも、サービスを含めたトータルのバランスがすばらしかったのである。だからこそ、強く印象に残ったと言っていいだろう。

<企業の論理がまかり通る日本のサービス>

繁盛店のサービスがすばらしいのはレストランに限ったことではない。百貨店の中で伸びているノードストロームではこんなエピソードがあった。
仲間の一人がワイシャツを買いに行ったのだが、サイズが合わないので試着させてくれと頼んだところ、袋から取りだし、ピンを全部外して試着させてくれたという。日本ではこんなことほとんど考えられない。本人もまず無理だろうと思っていたので軽い気持ちで頼んだのだが、実際に応じてくれたことに感動し、すぐに買い求めたという。もちろんサイズも合ったためだが、いやな顔ひとつせずピンを抜いてくれたことが購入を決定した要因のひとつであったことはいうまでもない。

商品は決して安くはないが、リーズナブルであり、それに前述したサービスがついてきたから、すぐに決めたというのである。

つまり、商品だけで優劣を判断すべき時代ではなくなっているのだ。もちろんいい商品であることは前提としてあるのだが、いいサービスと一緒になってはじめて、お客は感激する。

そこで考えなければならないのは、日本ではこれまでアメリカのサービスを正しい視点で捉えていなかったのではないか、ということである。

今までわれわれは、アメリカはサービスが悪いと評価してきた。それは、融通がきかない、そして遅いというイメージで受け取られる店が多かったからであろう。しかし、現在アメリカはものすごいエネルギーを投入してサービスの向上に努めている。

今回のツアーで経験したことでいえば、JALよりもアメリカの航空会社の方がサービスが上であった。確かに乗客への対応は荒っぽいのだが、お客の求めに対しては的確に応えてくれるのである。その点、JALのサービスは硬直化しており、自分たちの都合でサービスを提供している。

これまで遅いと言われていたスピードの話でいえば、エアラインのマイレージサービスもアメリカはその場で発行してくれるのに対して、全日空はクレジットカード会社との提携カード以外はその場で加入できない。クレジットカード会社と提携してカードを発行し、管理コストを下げるというやり方は理解できる。しかし、それは完全に企業の都合である。企業の都合にお客を従わせようと言うのはどこか歪んではいないだろうか。お客の立場にたったものではないのものを、果たしてサービスと呼ぶことができるのだろうか。

もうひとつ例を挙げよう。アメリカではレンタカーの精算は、車のドアを降りたところでできるようになった。係員が車のところまできて、POSの端末を使ってその場で精算できるようになったのである。いちいち事業所のカウンターに並ぶ必要はない。例えば、飛行機の出発時間が迫っているときなどは、こうしたサービスを実にありがたいものと実感するはずだ。

それなりの人数が必要なわけだから、効率には反するところもあるのだが、お客にとって一番必要な早さというサービスは提供できるのだ。

日本の今のサービスで問題なのは、お客の本当のニーズを掴んでいない、という点にある。まず優先されるのは経営する側にとっての都合であり、ニーズに応えるとは言いつつも、それは会社側の都合のよい形にアレンジされたものになっている。

<リエンジニアリングの前提は顧客の満足>

アメリカでは劇的にサービスが向上しているのに対して、日本では地滑り的にサービスが劣等化している。なぜこのような差が出てくるのかを考えると、ひとつには教育の違いに行き着くのではないだろうか。
アメリカはいい悪いは別にして極端な国であり、終身雇用がなくレイオフを平気で行う反面、中にいる能力のある人間に対しては徹底して優しくし、居心地をよくするというところがある。そして、賞罰も徹底しているから、内部でギスギスした関係が起こりがちなので、それを補うための人材教育が発達している。

ところが、日本ではそのような教育ができる以前に終身雇用制度が崩壊の兆しを見せ、リエンジニアリング(RE)やリストラで人員の削減が行われた。その結果、従業員の間がギスギスし、それがサービスの面に現れ始めたと考えられる。

リストラやREを行うときに、それによって表面化するであろう問題点を正しく捉え、あらかじめ準備しておくことができなかったわけである。

それは同時にアメリカで進められたリストラ、REをある一面からしか捉えられなかったことを意味する。

アメリカでは、リストラなどでお客に迷惑をかけないよう、それと同時にカスタマー・サティスファクション(CS)を徹底的に追及している。リストラ、RECとCSは表裏一体で進められなければならないのである。日本はCSが欠けたまま、リストラ、REを進めた結果、サービスの混乱状態が起こってしまったのではないだろうか。

フードサービスではタコベルのREが成功例として知られているが、同社はREの際、お客のニーズは何かを徹底して調べたのである。その結果、お客は高いものを望んでいないし、メニューの多さも望んでいない。温かい食事が早く安価に食べられることがお客のニーズだったわけであり、それに向けてREを進めたのである。

それに対し、日本にはREの前提であるCSの部分を抜きにして移植されたため、中間管理職や店舗の人員を削減する手術だけが一人歩きしてしまったといえよう。

<マクドナルドのサービスに注目せよ>

現在マクドナルドが進めているサテライト戦略もCSに裏打ちされたものだ。小型店の展開はアメリカでも主流となっており、マックエクスプレスという小型店を路地面のみならず、ウォールマート内やガソリンスタンド、空港などにどんどん出している。新しい店はすべて小型店だと言っていい。日本も全く同じ戦略であり、それはタコベルと同じく、REだと捉えられている。
ところが、マクドナルドはそれをCSの一環として進めている。メニューは多くなくてもいいから、マックのハンバーガーが食べたい、というお客のニーズがあるから小型店にして販売拠点を増やす、というのがマクドナルドのサテライト戦略の本質なのである。

マクドナルドのサービスは変化している。ティーンエイジャーがたむろするからいけないといわれていた電話も最近は置き始めている。これは電話がある方が便利だというお客の声を反映させたものと見るべきであり、ある店では電話機の上に区役所やタクシー会社の電話番号まで記されていた。また、その店ではこどもの牛乳を温めることもし始めている。かつて冷やかし半分にいわれていた「マニュアル一辺倒の画一的なサービス」から脱却し、お客の望むことをしようと考えるようになったのである。

店によってサービスのレベルは変わってくるが、それは仕方のないことであり、それよりもみんなで考えることによりトータルのレベルを上げようというのがマクドナルドの狙いなのだ。

今マクドナルドで注目すべきなのは安売りでも小型店の出店でもなく、サービスなのである。価格の点ではマクドナルドのパイイングパワーには太刀打ちできない。しかし、巨象であり、マニュアル通りのサービスしかできなかったからこそ、他のチェーンはそこを衝くことができた。そのマクドナルドが、一人ひとりのお客のニーズに即したサービスが出来るようになったら、他のチェーンがつけいる隙はなくなってしまう。価格よりもそちらの方が脅威だと考えなければならない。

果たしてマクドナルドがお客のニーズに本当に応えることができるのか。非常に難しいのは確かなのだが、店舗段階で従業員が真剣に考えはじめたという点は、他のフードサービスにとっても脅威として受け止めなければならない。前回、私はガストの従業員は考えることを捨てさせられたのではないかと指摘した。マクドナルドは反対の方向に進んでいるわけである。そして、それはこれまでファーストフードとファミリーレストランのあり方を逆転させたということもできる

<今こそ教育論の見直しを>

REを考えるときは、CSも同時に考えなければならない。マクドナルドが価格を安くしながら、一方でサービスについて深く考えるようになったのは、アメリカのREの方法を正確に捉えているからである。
日本のフードサービスが改めなければならないのは、すべてハードや商品でものごとを考えている点であろう。210円が130円になったことを評価しているだけでは、マクドナルドの本当の強さを理解することはできない。

サービスはあくまでも教育の産物であることを、われわれはもう一度理解しなければならない。安いものを出すというのはシステムであり、本部に数人の賢い人間がいればできることだ。

しかし、サービスは人であり、お客に接する何千、何万というスタッフに飽くことなく教えていかなければ、良いサービスは実現不可能なのである。

良いサービスとは、スピードとフレンドリーな接客の両方を兼ね備えていることだ。サービスのスピードはシステムで解決できる。POSなどのハードウェアで提供スピードはアップできるが、フレンドリーサービスは人材教育でしかないものなのだ。

と同時に、楽しく働くことができる環境づくりも大切になってくる。苦しくてしょうがないときに、お客にスマイルで接することは不可能であろう。詰め込み式のスパルタ教育で、楽しく学習することができるだろうか。つまり、教育の内容はもちろん、方法そのものも変えていかなければならない時期にきているのではないだろうか。

今回、アメリカと日本をつぶさに見て感じたのは、まさにここの差であった。アメリカでは精神論的でもスパルタでもない、しっかりとした教育論とシステムが確立されているのである。

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