米国レストランピリ辛情報 「日米マクドナルド不振の背景と対策 その2」(綜合ユニコム 月刊レジャー産業資料2003年4月号 NO.438)

メイド・フォー・ユー・システム(以下MFYと省略)はステージングよりも高額の投資額が必要であり、厨房改造に投資した分、店舗の内装のグレードアップや新商品の開発には投資できなかった。しかも味の面で問題を抱えていた。高速トースターは素晴らしい機械であったが、短時間でバンズを焼き上げると、切り口の焼き色とか中心温度は基準以内になるが、焼き上げた際の歯切れや香りが良くなかった。大型のハンバーガーのミートパティも保温しておくとぱさぱさとした食感になってしまう。

MFY導入後も客の味やサービスに対する評価は低いまま売り上げは低迷し、取締役会は2003年1月1日をもって、CEOのグリーンバーグ氏を退任させ、代わりに以前、国際部門の社長で退任したカンタルポ氏を呼び戻しCEOに就任させた。カンタルポ氏も同じく公認会計士出身者であり、店舗の運営に不安を感じた取締役会は、同日に店舗運営に強いチャーリー・ベル氏を社長兼COOに就任させた。ベル氏は15才の時にオーストラリアマクドナルド社でアルバイトを開始し、19才というオーストラリアで最も若い店長に出世した。その後93年にオーストラリア社長にまで上り詰めた現場からのたたき上げだ。

その成功を元に米国マクドナルド社国際部においてアジア、パシフィック部門の社長を勤め、直前にはマクドナルドヨーロッパ社の社長を勤め上げた。数々の成功を元に米国マクドナルド本社で、初の米国マクドナルド出身者でない社長兼COOが誕生した。ベル氏はBSE問題で牛肉消費量が低下し、売り上げに大きなダメージを生じたヨーロッパで、カフェやサンドイッチのプレタマンジェなどの多角化に取り組み大きな成果を上げたと言われている。

米国マクドナルド本社はフレキシブルな会社であり、各国の現状を分析し、その国で最適な調理システムやメニューを導入している。それは国によって文化的な背景、好みや販売動向が異なるからである。米国は清教徒によって建国された国であり、敬虔なクリスチャンが数多くいる。そのため、日曜日は家族で教会に礼拝に行く日であり礼拝後、家で静かに過ごす安息日となっている。ショッピングセンターや百貨店は平日夜9~10時まで営業をしているが、日曜日は夕方の5時から6時には閉店してしまう。そのため飲食店の売り上げが最も低いのは日曜日だ。一番忙しい曜日は金曜日か土曜日であるが、それでも平日の1.2倍程度の売り上げに過ぎず、売り上げは週を通じて平準化している。言い方を換えればピークがないと言うことになる。それが、MFYと言うシステムを誕生させた文化的背景なのだ。

クリスチャンでない、日本や東南アジア諸国は日曜日は家族で買い物や食事に出かける日である。そのため日曜日の売り上げは平日の1.5倍~3倍と言う高い売り上げを示す。その文化的背景を考慮しなかった日本マクドナルド社は、ハンバーガー65円という低価格路線を展開した結果、日曜日の忙しい時間に数多くの客から多量のハンバーガーの注文を受けると、作り溜めできないためお客を待たせるという混乱に直面してしまった。

ステージングやMFYは、小型のサテライト店舗を開店する武器となり年間700店にも登る急速な展開を可能にするというメリットもあった。しかし、急速展開は裏目に出て、自社内競合を激化させ、既存大型店の売り上げと利益を大きく傷つけることとなってしまった。また、デフレ経済の影響で小型サテライトを展開していた、ショッピングセンターなどが撤退、会社更生法の申請をするなどの影響で売り上げが低迷するという問題も生じた。小型のサテライト店舗は大型の既存店の店長が兼任し、アルバイトで運営するようにしたため、既存店の店長の管理能力が低下し、売り上げ挽回に対する有効な手段を打ち出せないと言うジレンマにも陥っている。

2001年9月までは絶好調であった同社は、2001年9月のBSEによる売り上げの低下、と政府のインフレ政策と円安の兆候を見て突如2002年1月に65円ハンバーガーと言うディスカウント路線から撤退をした。しかし依然としたデフレの不況の中で消費者にそっぽを向かれ、2002年3月27日に突然、新社長兼COOに八木康行氏を就任させた。八木社長は新卒入社で入社1年で店長就任というスピード出世を遂げ、その後、運営本部長、副社長と店舗のたたき上げとして社長に就任した。今年就任した米国社長のベル氏と同じく店舗のたたき上げなのは興味が深い。店舗運営に強い社長に率いられた日米マクドナルド社がどのような改善策を採っていくのか、日米を比較しながら見ていくと面白いだろう。

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