外食資料集 「高級喫茶店」(綜合ユニコム 月刊レジャー産業資料2008年9月号)

高級喫茶店

日本にコーヒーが紹介されたのは、長崎出島のオランダ屋敷に招かれた蘭学者たちがコーヒーを賞味したことが始まりだといわれており、1797年の「長崎寄合町諸事書上控」の中の、長崎丸山の遊女が貰った物の一つとして「コヲヒ豆一箱。チョクラート」という文章がある。
1888年鹿鳴館の時代に、東京・下谷黒門町に「可否茶館」という名前の、日本最初の本格的喫茶店が鄭永慶(ていえいけい)という人によって開店した。親が外交官だった永慶は、自分の家を洋館に改造し、コーヒーを一銭五厘、牛乳入りコーヒーを二銭で売り出した。
明治の末には、東京・銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」が開店した。コーヒーの大衆化に最も貢献したのは「カフェ・パウリスタ」という、ブラジルコーヒーの販路拡大とPRのために開かれた喫茶店だった。「パウリスタ」は、最盛期には20数店舗を展開していた。その「パウリスタ」で働いていた一人が、キーコーヒーの創業者・柴田文次氏で、氏は1920年に「コーヒー商 木村商店」を開き、現在のキーコーヒーとなった(キーコーヒー社HPより)。
戦後、コーヒー豆の焙煎業者の上島珈琲株式会社が1951年に設立され、コーヒーを普及するために1958年に上島コーヒーショップの第1号店を開店した。
1950年代の後半から、東京や大阪の繁華街に誕生しだしたのが、ジャズ喫茶、歌声喫茶、名曲喫茶などの高級喫茶店だ。特に名曲喫茶は大型の西洋のお城のような立派な外装と、お洒落な店名で街の人気店となった。ふかふかのカーペットの敷かれた店内には豪華なシャンデリアが燦然と輝き、ソファー風にゆったりとした椅子が置かれている。名曲喫茶といわれるゆえんは、高価であった音響装置を設置し、クラシック音楽などのレコードを豊富に取り揃え、客のリクエストに応じて流していたことによる。当時の住宅事情はまだ貧しく、家にはリビングはなく、家で寛ぐことが出来なかったサラリーマンや学生に人気をよんだ。 また、当時はコーヒー豆を個人で買って飲むという習慣もないし、今のような簡単なペーパーフィルターで入れることもなく、コーヒーそのものも高価な飲料であった。お店ではネルの大きなフィルターで丁寧にコーヒーを抽出し、客はそのコーヒーを丁寧に飲んでいた。その後、名曲喫茶や美人喫茶などと呼ばれるようになり、繁華街の有名なスポットとなっていた。
その名曲喫茶は、寛ぐ空間の提供、音楽の提供、憧れのコーヒー飲料の提供、美人によるサービス、人との団欒の場、などの複雑なサービスを提供する晴れの場であった。街場の名曲喫茶等の形態で多店舗展開をして最近まで見かけていたのが、マイアミ、滝沢、銀座ルノアールである。銀座ルノアールは高級喫茶業態として初めて1989年に株式店頭公開をしている。
名曲喫茶は繁華街の中心に大型の店舗と豪華な内装と高価な音響施設を備えなければいけないので、簡単に開業するわけにはいかなかった。しかし、豪華な内装と高価な内装は不要だが、美味しいコーヒーを飲みたいという人のために1960年代の後半にカウンター中心のコーヒー専門店が誕生するようになった。1966年には(株)日本珈琲販売共同機構が創業し、フランチャイズチェーン展開する珈琲専門店「コーヒーハウス・ぽえむ」が誕生し、チェーン展開が開始した。当時のコーヒー専門店はカウンターの上でサイフォンでコーヒーの香りを出しながら一杯づつ丁寧に淹れる形態であり、個人でも簡単に開業できるので、私鉄沿線の駅前や住宅街にまで開店するようになりコーヒーが大衆化するのに貢献した。。
東京以外で喫茶店が普及したのが名古屋だ。車社会の名古屋では郊外型の喫茶店が普及し、それらはドライブインレストランとして後にファミリーレストラン業態に進化して行った。木曽路やカレーのcoco一番などが喫茶店としてスタートした。今でも郊外型コーヒー店を経営しているのが株式会社コメダだ。1968年に個人としてコーヒー店を開業、1970年からフランチャイズチェーン展開している。
東京では、1970年には真鍋氏が珈琲館を創業し、法人組織に改組して1972年にはフランチャイズチェーン展開を開始するようになった。
1970年代になるとマクドナルド、KFC、ミスタードーナツ、ダンキンドーナツなどのファストフードが日本に参入し、当時名曲喫茶でコーヒーが150円ほどしていたのを50円で販売するようになり、人々にコーヒーを安く飲める機会を提供するようになった。しかし、ファストフードは紙カップで提供するし、硬い椅子とテーブルでは寛ぐことは出来なかった。
また、この頃になるとペーパーフィルターが普及するようになり、コーヒーを家庭で簡単に抽出することが出来るようになり、コーヒーの消費量は増加するようになった。
1962年に鳥羽氏は1962年にコーヒーの焙煎と卸売り会社を有限会社ドトールコーヒーとして創業し、コーヒーの販路を広げるために1972年にカフェ�コロラドを開業しチェーン展開を開始した。この業態はいわゆるサイフォンを使うコーヒー専門店であった。1970年代のファストフードの普及やヨーロッパでのコーヒースタンドの繁盛振りを見た鳥羽氏は、1980年4月にコーヒースタンドのドトールコーヒーショップを開業し、一杯150円で美味しい入れたてのコーヒーを提供し始めた。
低価格のスタンド形式のコーヒーショップは従来の高級喫茶店に慣れた日本人には受け入れられないと思われていたが、時間に忙しいサラリーマンに安価で美味しいコーヒーが支持され、急速なフランチャイズチェーン展開を開始した。
しかし、高級喫茶はその豪華な内装とサービスでまだ安泰と思われていたが、1971年にアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで開業したスターバックスが1986年から高品質なシアトルスタイルカフェを全米に展開を開始し、1996年8月2日東京銀座に日本一号店を開店して、高級喫茶店の概念を崩してしまった。気軽にカジュアルな雰囲気で美味しいコーヒーを提供するスターバックスは品質の面で従来の高級喫茶店の優位性を奪ってしまったのだ。
音楽も家庭用の安価なステレオ装置の普及などにより、クラシック音楽をわざわざ高級喫茶店に聴きに行く必要もなくなった。団欒の場としての意味ではカラオケの出現により奪われ、時間消費の意味では漫画喫茶などの複合喫茶点にその機能を奪われてしまった。
この高級喫茶店に対するあらゆる面での競合の出現により存在価値を失い、街角からその姿を失ってしまった。
では、喫茶店のマーケットサイズを見てみよう。ドトールコーヒーはHPで「1970年代に急拡大した日本の喫茶市場規模は、1982年の1兆7,396億円、事業所数では1981年の15万4,630店でピークに達し、以降は緩やかに減少し続けている。減少しているのは主に個人が経営する喫茶店で、経営者の高齢化や時代の変化を背景に、この傾向は現在も続いている。一方、1980年にスタートした「ドトールコーヒーショップ(DCS)」をはじめとするセルフスタイルのコーヒーショップは、その経済性や手軽さから、年々店舗数を伸ばしている。ここ数年は新規参入企業も増え、個人経営と比較してメニュー開発力、オペレーションにおいて優位なチェーン店舗を中心にさまざまなスタイルの業態が生まれた。現在、全国の喫茶店約8万1,000店のうち、セルフスタイルのコーヒーショップはおよそ3,000店程度、全体に占める比率はわずか3%程度と推測されることから、今後も喫茶市場の構造改革は加速し、セルフスタイルの市場は拡大することが予想される。」としている。

しかし、サラリーマンにとって、会社を出てから寛ぐ場や、顧客との打ち合わせの場所が失われてしまったわけだ。勿論、マクドナルドやドトール、スターバックスを利用すればよいのだが、ゆっくりと寛いで商談や休憩をすることが出来なくなったのだ。
そのニーズに注目したパスタ店のダッキーダックなどを駅ビルを中心にチェーン展開する東和フードサービスは1998年に新しい高級喫茶店の「銀座七丁目椿屋珈琲店」を開店し、現在まで高級喫茶店業態を24店舗に増やしている。
椿屋珈琲店はインテリアデザインに凝り、アンティークな雰囲気の木製家具やステンドグラスを使い、落ち着いた雰囲気を演出し、従業員のサービスもこだわりを持っている。顧客ターゲットは昔の高級喫茶を知っている年齢のようだが、結果的には若い女性にも使われている。コーヒーの価格は800円以上と高価であるが、豪華な雰囲気でゆったりとして時間を過ごせるという事が繁盛の理由のようで、昔の高級喫茶店を彷彿させる。
この成功に注目したのは大手培専業者のUCC上島珈琲株式会社で、従来のシアトルズカフェ風のお店だけではなく、セルフサービスだが高級な喫茶店、上島珈琲店を開発し、フランチャイズチェーン展開を開始することになった。
上島珈琲店のコンセプトは「かつての喫茶文化を大切にした珈琲店。どこか懐かしく温かなのに、今まで何処にもなかった大人のための珈琲店をコンセプトにした。味の点では昔の高級喫茶店で使われていた美味しい淹れ方のネルドリップを元に独自のネルドリップマシン(特許出願中)を開発し、手で淹れる高級なコーヒーを再現している。また、空間デザインにおいては工業デザイナー柳宗理氏デザインの食器や椅子を取り入れ、レトロ感の中に斬新さを併せ持つ空間に仕立てている」(同社HPより)
この動きは個人で高級喫茶店を経営しようという方には注目されるだろう。高品質な空間とコーヒー、サービスを提供できるのは個人経営のこだわりに向いているからだ。ただし、消費者のそれらに対する目は肥えており、素人経営ではなかなか難しいだろう。そういう意味では大手コーヒー培専業者などが開発した高級喫茶店フォーマットのフランチャイジーになっても良いだろう。

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